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Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/11/26 第424号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

11月24日に堀正岳さんの『知的生活の設計』が発売になりました。

このメルマガを毎週お読みになっている方ならば、楽しんで読める一冊だと思います。

この原稿を書いている段階では、まだ四章までしか読み進めていないのですが、月曜日までには読み終わっていると思います。そののちに、以下の読書会にも書き込む予定ですので、よろしければ覗いてみてください。

https://scrapbox.io/rlifehackdictionary/

参加リンクはこちらです。

https://scrapbox.io/projects/rlifehackdictionary/invitations/1bd4e4d939d921d0cfa5455e6ba7dfcb

〜〜〜とりあえずScrapboxにメモ〜〜〜

先日、TwitterのDM(ダイレクトメール)で簡単な打ち合わせをしました。そこでやりとりした情報を、後から使う可能性が高かったので、まるごとコピーしてScrapboxに貼り付けておきました。

こういうちょっとした手間をかけておくことで、後から「あれ、あの情報どこで見たっけ?」と慌てて探し回る危機を回避できます。

しかしながら、ほとんど無意識に保存先をScrapboxに選んでいたことは、自分のことながら、ちょっと驚きでした。

少し前ならば、間違いなくEvernoteに貼り付けていたはずです。そして、おそらくそのノートの扱いに困っていたことでしょう、という話はまた来週の物書きエッセイにでも書くとして、とりあえず最近のメモ先はどんどんScrapboxになっています。

もちろん、そうは言ってもまだまだEvernoteにだって情報は保存してあるわけですが。

〜〜〜優位な状態での発言〜〜〜

全体として、言論の自由は大切です。国家権力によって自由な発言が妨げられる状況は決して良いものとは言えません。

そのことを確認した上で、フェイクニュースや悪質な広告、欺瞞的な情報(「もうかりまっせ」)について考えてみると、奇妙な構図に気がつきます。

おそらくリベラル的価値観を持つ知識人ならば、「どのような情報であっても、自由に発言される環境は大切だ」という考えを持っていることでしょう。だから、そうした情報ソースについても、明確な犯罪行為をしているのでない限りは放置しておくべし、と考えるかもしれません。それは、たしかに立派な考えです。

しかし、私は思います。そうした知識人は、情報リテラシーが高く、自らが欺瞞的な情報に引っかかることはまずないだろう、と。

もちろん、本気で騙しにかかられたら知識人でも対応できないでしょうが、情報リテラシーが低い人を狙ったようなものには引っかからないでしょう。

つまり、そうした情報ソースを放置していたところで、当人が被害を被る可能性は皆無なのです。非常に露悪的なものの見方をすれば、安全地帯から理念を説いているとすら言えてしまうでしょう。

突き詰めてみれば、そのような放任主義は、「情報リテラシーが高ければ大丈夫」→「情報リテラシーを高めるべき」→「それを高めずに騙される奴も悪い」という考えにかなり近づいている気がします。

そうしたリテラシーの教育機会が均等に与えられているならば、まだ少しは頷けますが、そうでないならば格差を広げる考え方かもしれません。

もちろん、私はそういう情報ソースを何が何でも取り締まるべきだと主張したいわけではありません。ただ、自分に害が及ばないことならば、いくらでも高潔な理念を掲げることができてしまう、ということに危機感を感じてしまいます。

〜〜〜減りゆく書店〜〜〜

平日昼間の、あまりお客さんがいない書店を歩いているときに、ふと感じました。これは、すごく贅沢な空間なんだな、と。

ほとんど変動しない在庫に、ゆったりと歩き回れる通路。そして粗利の低い商品。どう考えても、効率良い小売業ではありません。

そのようなビジネスが維持できていたのは、かなりの部分が雑誌が売れていたからでしょうし、それは「情報」にお金を費やせるくらいには、日本経済が豊かだった、ということなのでしょう。

逆に言えば、経済的豊かさを無くしていく国において、書店が苦戦するのは当然なのかもしれません。あるいは、書店の苦戦にその国の経済の先行きが現れていると言い換えてもよいでしょう。

今爆発的に経済が成長している中国やインドでは、どんな書店が、どれくらい増えているのか(あるいはいないのか)。そういうデータと比較してみるのも面白そうです。

〜〜〜バーチャルB2〜〜〜

シム・シティーというゲームは、プレイヤーが市長になって、町を大きく発展させていくシミュレーションゲームです。

であれば、一つの国家をディストピア・ワールドに仕立て上げていくようなシミュレーションゲームも面白いのではないか、とふと思いつきました。

市民がうるさいことを言い出したら、「集会弾圧」とか「言論統制」とか「焚書」とかを行って沈静させるわけですね。あるいは、科学技術に投資して、全市民の行動を監視課に置くテクノロジーを開発したりとか。

そういうゲームをプレイしていると、むしろ我々市民が何を守らなければいけないのかが、実感としてわかってきそうな気がします。

〜〜〜車上荒らしのゲーム理論〜〜〜

車を運転していたら、前を走っている車のリアガラスに、「この車には貴重品は置いてありません」という旨のステッカーが貼ってありました。防犯、というか車上荒らし対策なのでしょう。

ここでバーチャル車上荒らしが私の胸中に立ち上がります。他の車はわざわざそんなステッカーは貼っていない。つまり、そうしてステッカーを貼るということは、むしろその車には貴重品があることの証左なのではないか。

しかし、そうは言っても、本当に貴重品などなく、単に車上荒らしに「間違えて」荒らされるのを避けたいだけかもしれない。

さて、どっちだ。

というのは、いかにもゲーム理論っぽい感じですね。こういう葛藤を生じさせるのならば、たしかに防犯対策には効果がありそうですが、実際のところはどうなのでしょうか。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を二冊紹介します。

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 「批判理論」は、1920年代から30年代にかけて、フランクフルトの社会研究所に集まった思想家たちによって打ち立てられた。所長をつとめたホルクハイマー以下、アドルノ、フロム、マルクーゼ、ベンヤミン、ハーバーマスと、その名を挙げていけば、そこに20世紀社会科学の荘厳な群像劇が立ち現れる。
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 日本人はアメリカの何たるかをまるで理解していない。二大知性の刺激的な対話によって、アメリカ理解の核心がいま明らかとなる。
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こちらは、始まったばかりの「河出新書」のナンバリング1です。今後どんな本がラインナップされるのでしょうか。今から楽しみです。

〜〜〜庇護と適正〜〜〜

日本のコンビニエンスストア、というのはかなり特殊です。

大半の店舗がフランチャイズであり、オーナーは個人経営者として個々の店舗を経営しています。しかし、契約書という名の鎖によって、オーナーは独自の経営判断がほとんどできません。特に経営時間や仕入れ先といった大きな判断ほどできないようになっています。

この状況を現代の奴隷労働だと評する声すらありますが、程度の差はあれ、オーナーにとって不利な契約条項になっていることは確かです。

が、しかし。

そうは言っても、日本のコンビニ産業は成長してきました。もちろんそれは本部がオーナーから搾取していたという側面はあるでしょうが、個々の店舗がきちんと売上げを作っていた実績も貢献しているでしょう。

その状況が、現在崩れつつあります。客単価は上がっているものの、客数は減り続けているのです。

店舗数の飽和がその理由として挙げられますが、一方で、コンビニの閉店が続く立地にドラッグストアが進出している事例も増えてきました。その地域で物が売れないわけではないのです。だとすれば、何か他に問題があると考えるのが筋でしょう。

コンビニが爆発的に増える前の時期では、多くのコンビニ・オーナーは個人経営の酒販店からの看板替えでした。お酒を販売するための免許を取得するのが難しい時期だったので、だったら初めからそれを持っている人をオーナーにすればいいんじゃね? と本部が考えたのでしょう。

だからその時期には、もともと経営者をやっていた人が、コンビニの経営者になったのでした。もちろん、脱サラしてオーナーになる人もいたのですが、全体からすればその割合は極端に大きいものではなかったでしょう。

そこから長い年月が経ち、元酒販店のオーナーも引退する事例が増えてきました。そして、爆発的な店舗の増加に合わせて、オーナーになれる条件も緩和されてきました。

ここでの問題は、経営者というのはスキルを要する仕事である、という当たり前の事実です。言い換えれば、誰でもが経営者に向いているわけではありません。絵を描くのが上手い人や歌を歌うのが上手い人がいるように、経営に適正を持つ人とそうでない人がいます。

昔は、もともと酒販店を経営できていた人がコンビニオーナーになっていたので、その適正はある程度担保されていましたが、今ではそのような担保はまったくありません。

現在のコンビニの苦境の一端は、この辺にあるのではないかと推測しています。

ドラッグストアのようにすべてが本部統括の店舗であれば、クオリティー・コントロールはしやすいものです。本部の意向を知る人間を店長としてお店に配置し、あとはアルバイトを雇えばお店はまわります。

しかし、コンビニは、強いタテ型の関係がありつつも、やはり一つひとつのお店はオーナーの店舗です。だから、本部が目指したい方向に細かいレベルまでフィッティングさせることができません。オーナーの腕次第な部分がかなり出てくるわけです。

この差が、今後じわりじわりとお店の売上げの差となって現れてくるのではないかと予想しています。

一見何も変わっていないようにみえて、時間の変化や産業の成長と共に変わってしまうものがある。そういことは気に留めておきたいところです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQです。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 自分の書斎をお持ちでしょうか。それはどのような空間でしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も四つの連載でお送りします。

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2018/11/26 第号424の目次
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○「Allbox運用上の課題」 #物書きエッセイ
 Evernoteのタグとノートブックが変換可能ではない、というお話について。

○「Evernoteのノートリンク」 #新しい知的生産の技術
 情報をまとめる機能としてのノートリンクについて考えます。

○「『ホモ・デウス」を読む 第10回」 #今週の一冊
 ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を読み込んでいます。

○「選択できない僕たち」 #エッセイ
 ごく普通のエッセイです。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「Allbox運用上の課題」 #物書きエッセイ

前回は「Allbox」という仕組みについて紹介しました。

Evernoteにおいて、情報の分類ごとにノートブックを分けるのではなく、一つのノートブックにすべてのノートをまとめ、それらをタグ付けすることで情報を探す手がかりとする、というやり方です。

これは極めてデジタル情報の性質に依ったやり方で、アナログ手法の情報整理が持つ難点を軽々とクリアしてくれます。まさに、デジタル情報整理の神髄だと言えるでしょう。

しかし、このやり方を進めていく上で、Evernoteは一つの問題を抱えています。しかも、致命的な問題です。

今回は、その問題について書いてみます。

■ノートブックとタグの互換性

「ノートブック」と「タグ」というのは、情報整理学の観点から見れば、どちらも「情報に対する情報」、つまりメタ情報と言えます。

すべての情報をデジタル化するツールにおいては、その二つには基本的な差異はありません。言い換えれば、相互に変換が可能です。

たとえば、WordPressというブログでよく使われるCMS(Content Management System)について考えてみましょう。

WordPressでは、一つの記事に対して「カテゴリ」と「タグ」というメタ情報を与えることができます。そして、この二つは内部的な処理は違うものの、極めて近い使い方が可能です。

たとえば一つの記事に対して、「Evernoteの使い方」というカテゴリを設定し、「ノウハウ」というタグを指定することもでき、「ノウハウ」というカテゴリを設定し、「Evernoteの使い方」というタグを設定することもできます。ブログ上の表示や立ち振る舞いに差異はありますが、それを除けば、この二つは変換可能です。

そもそもWordPressでは、一つの記事に対して二つ以上のカテゴリを設定できます。つまり「Evernoteの使い方」でありつつも、「WorkFlowyの使い方」であることも可能なのです。

その意味で、これはアリストテレスが想定したような範疇、つまり互いに排他的な分類ではなく、その情報の所属先を示すものだと言えるでしょう。

Evernoteにおいても、だいたいの事情は同じです。

Evernoteにおいて、ノートブックとタグはメタ情報であり、お互いに変換することができます。唯一WordPressと違うのは、一つのノートに対して設定できるノートブックは一つだけであり、そこは排他的な分類になっている、というくらいでしょう。

だから私は、ノートブックからタグへの変換ということをよくやっていました。具体的には、書籍の執筆プロジェクトなどが発生した場合、まずそのプロジェクト名でノートブックを作り、そこに情報を保存していきます。

次に、その原稿が脱稿し、プロジェクトが終着駅に辿り着いたら、そのノートブックに入っているすべてのノートに対して、プロジェクト名のタグをつけ、後はそのノートの特性に合わせたノートブックに割り振っていく、というやり方です。

頻繁に参照するときはノートブック、たまにの参照であればタグ。そのような変換が可能なのも、ノートブックとタグが、基本的なレベルでは同じだからです。

しかし、違いもあります。中でも大きな違いは、情報の性質ではなく、インターフェースです。

■ノートブックとタグ

Evernoteでは、ノートについてのメタ情報はノートのプロパティーで設定可能です。

Mac版では、ノート表示の左上にノートブックが、その右隣にタグ欄があります。ノートブックをクリックすれば、ノートブックリストが表示され、その中から移動先のノートブックを選択できます。

対してタグは、自由記述欄になっており、テキストを入力してタグを設定できます。また、入力した文字に合わせて、すでにあるタグの名前を候補として表示してくれます。

この二つの設定方法は、かなりの違いがあります。ノートブックは、すでに存在するものがツリー形式で一覧されるのに対して、タグにはそのようなUIはありません。入力補助はあるものの、こちらから入力したテキストに対してのみ反応してくれているだけです。

WordPressにおいても、同様のインターフェース的違いがあります。カテゴリはツリー形式ですでに表示されているものから選ぶのに対して、タグは自分で入力する必要があります。入力補助や、「よく使われているタグ」というサポートもありますが、「すでに作られているタグの一覧」から選ぶようなことはできません。

つまり、極端なことを言えば、覚えていなければタグはつけられないのです。そして、人間の記憶は大雑把なので、常に表記揺れの問題が生じます。

タグは「こうもり問題」を消し去ったものの、別の問題を生じさせているのです。

もちろん、このような形になっているのには理由があります。Evenoteの上限数を見ても分かるとおり、ノートブックに比べてタグは相当な数を作ることができます。それらを一覧表示させるのも難しいでしょうし、その中から一つ選ぶ、というのも困難でしょう。

極端な状況を設定すると、10万個のタグの中から、そのノートにフィットするタグを手動で選択する、といったことになってしまいます。これは「イケてる」やり方とは思えません。

その点ノートブックであれば、最高でも1000個ですし、その上限いっぱいまで使っている人は稀でしょう。なぜかと言えば、真に排他的な整理軸はそれほどたくさん立たないからです。

たとえば、「Evernote系記事のWebスクラップ」や「Scrapbox系記事のWebスクラップ」といった細かい分類はいくらでも立てられそうですが、実際は「Webスクラップ」というノートブックを作り、それぞれのノートに対して「Evernote」や「Scrapbox」というタグを付けるのが実際的でしょう。なぜなら、一つの記事に二つの要素が含まれていることがありうるからです。

しかし、「Webスクラップ」は、自分で書いた原稿ではありませんし、アイデアメモでも、もらった名刺でもありません。この粒度であれば、ノートブックとして問題なく機能します。

だから、ノートブックの上限は1000個でも、もっと少なくても大丈夫なのです。

しかし、そのことがまさにEvernoteの使い方に制約を与えています。制約というか、一つの指向性を持っていると言い換えてもいいでしょう。

まず、大分類としてノートブックを使い、その他の追加的なメタ情報としてタグを使う。これが基本的なEvernoteの使い方です。それがやりやすいように、全体のインターフェースも整えられています。

やろうと思えば、「Allbox」方式で運用することも可能ですが、決してやりやすいものではありません。

ちなみに、Mac版のEvernote(ver.7.6)では、サイドバーに表示されるタグリストにノートをドラッグすれば、そのタグをノートに付けることができます。これを使えば、一応「タグの一覧」からタグを選択することは可能となります。「ワンノートブック方式」の助けにはなるでしょう。

ただ、同じ機能がWin版に存在しているかどうかはわかりませんし、最新のブラウザ版では、サイドバーに表示されるのはノートブックリストだけで、タグについては一覧ページへのリンクがあるだけです。ドラッグしてのタグ添付はできません。

この状態では、タグを主軸とした「Allbox」方式はなかなか難しいものがあります。

というように、「Allbox方式」で運用する場合は、とにかくタグを付けなければならないので、いかにタグをつけやすいか、タグでの検索が実行しやすいかがポイントとなってきます。

しかし、現状のEvernoteでは、整理軸の主役はノートブックであり、タグはその補佐的な位置づけなので、どうしてもユーザーの頑張りが必要となってきます。逆に言えば、その頑張りさえユーザーが担うことができれば、Allbox方式での運用は可能です。

実際、最近の私はまさにそのように使っています。これはもう、はっきりいってScrapboxの影響です。

もう一つ、このAllbox方式を回していく上で、ポイントとなる要素があるのですが、それは次回に譲りましょう、

(つづく)

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