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こんまり流タスクの整理/カードとこざねの違い(Scrapboxとアウトライナーの使い方

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2019/07/01 第455号


はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

いよいよ7月に入りました。2019年も折り返しです。

6月は家庭の事情が降りかかってきて、書籍についてほとんど進捗がありませんでしたが、それでもメルマガとブログは無事更新できました。とりあえずは、それで十分でしょう。

7月からはわずかながら落ち着きそうな気配が感じられるので、なんとか平常運転に近づけていきたいと考えております。

皆さまも、無理しない程度に頑張りましょう。

〜〜〜アウトラインの整理〜〜〜

タスクリストに、よく「アウトラインの整理」という項目を書きます。珍しいタスク名ではありませんが、考えてみると、このタスクが意味することは実に多義です。

・順番を並び替える
・項目の追加・削除を行う
・全体のリストラクチャリング

これらすべてが「アウトラインの整理」に含まれますし、私が気がついていない他のアクションもきっとあるでしょう。

「タスクがなかなか手につかないときは、より具体的なアクション名に落とし込め」

の方針がタスク管理にはあるわけですが、この方針を念頭におくと、「アウトラインの整理」というタスクには一体どんな項目が含まれうるかを理解しておくのは有効そうです。

あと、メタ的になりますが、「整理」という言葉そのものについて一度じっくり整理しておくのも面白そうですね。『「整理」の研究』とかになるでしょうか。

〜〜〜その場であがれ〜〜〜

有益なツイートを拝見しました。

Dynalistの「Settings」の下部に「Unindent items in-place」という項目があり、それをonにすると、下位項目をUnindent(shift + tab)したときに、末端ではなく、その場で上がるようになります。言葉だけで説明するとさっぱりですね。気になる方は以下のページをどうぞ。

個人的には、この動作の方がはるかに直感的です。「そう動いて欲しい」と思った通りに動いてくれる感覚があります。

ただし、「一度項目を上に上げてみたものの、やっぱり戻したい」という場合に戻す操作(shift)をしても、項目単独で戻ってくれることはなく、すでに下位項目として含まれている全項目を巻き込んでindentされてしまう点には注意が必要です。
※可能ならばcommand + zで戻しましょう。

この点に関していえば、項目をただ下げられるScrapboxの方がより直感的ではありそうです。

〜〜〜夫婦に見えない〜〜〜

結婚して14年くらいになるのですが、たまに妻と私は──配偶者同士ではなく──兄妹に見られます。

おそらくは、名字が同じなのに夫婦っぽくないからでしょう。いかにも亭主関白的な「夫と奥さん」という感じは微塵もありませんし、結婚指輪をしていないのがそれに拍車を掛けます。勘違いされても仕方はありません。

ただ、妻は私のことを「倉下くん」と呼ぶので、兄妹だと思っていた人は混乱するでしょうし、そもそも夫婦だと思っている人も混乱するかもしれません。そういう混乱は、結構好きです(意地が悪い)。

とは言え、兄妹に見られるときは、いつも必ず私の方が「兄」認定されるのが若干腑に落ちません。同い年なのに。

まあ、私の方がはるかにおっさんくさいのであろう、という現実を受け入れて強く生きていくしかありませんね(おおげさ)。

〜〜〜現代転生〜〜〜

ふと思いました。もし自分が、この2019年という現代において、20歳という若々しい年齢であり、何かを成し遂げてやろうという野心を抱いているとしたら、たとえばYouTuberになっていただろうか、と。

もちろん、そんな状況は仮定でしかありえないのですが、どれだけ頑張って想像しても、YouTuberとしてバリバリ活動している自分はうまくイメージできませんでした。

私は「話す」ことに苦手意識を持っていませんし、むしろ楽しい活動ではあるのですが、「それに掛ける」ほどの魅力は感じられません。

だからやっぱり、どれだけ目立たなくても、死んでいると言われても、ブログを書いている気がします。「ネットで影響力を得る」とか、そういう話以前に、文章を書くのが好きだからです。

いや、「好き」という言葉は少しズレているのでしょう。

「書かずにはいられない」

これが一番フィットします。だからこれはもう、純然たる欲望の話なのです。

〜〜〜記憶の残滓〜〜〜

電話がかかってきたので取ると、クレームの電話でした。買って帰った豆腐が水漏れしている。どうなってるんだ。怒り模様です。

「すいません。工場で何か手違いがあったのか、こちらの店のミスかもしれません。結果を調査してまた連絡させていただきます」
「何を言っているのかわけがわからない。どうなってるんだ」
「すいません。差し支えなければ、どのように袋詰めされていたか教えていただけますか」
「何を言っているのかわけがわからない。どうなってるんだ」

というような地獄のやりとりの最中に、はっと目が醒めました。

夢で良かったです。

〜〜〜Scrapboxセーバー〜〜〜

なんとなく作業が進まないときなどに、YouTubeに逃避するくらいなら、自分のScrapboxのアイデアメモをぼけーっと眺めている方が、はるかに「生産的」な気がしました。

そこで想像したのが、スクリーンセーバーのように、定期的にランダムボタンがクリックされ、表示が切り替わっていくScrapbox専用ブラウザです。もともと、Scrapboxにはランダム表示させる機能が備わっているので、作ること自体はそう難しいものではありません。

みたいなことを考えてツイートしたら、すでにUserScriptでその機能が実装されている事例を教えていただけました。

なにごともつぶやいてみるものですね。

で、この機能は非常に面白いのですが、一度実行すると、ソート順の「Date last visited」がめちゃくちゃ(≒表示順に情報的価値がない状態)になってしまう課題があります。「最近自分が気になってチェックしたもの」以外のものが上位にごっそり上がってしまうので、必要なものが見つけにくくなるわけです。

もちろん閲覧するだけなので、「Date modified」のソート順は生きているのですが、私は「Date last visited」も活用しているので、あまり頻繁に利用したい気持ちはなりません。

とは言え、そのような問題を視野に入れた上で、「attention」という新しいソート順についても議論されているようです。

今後どうなっていくのか、実に楽しみです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、脳のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. もし2019年に20歳だったとしたら、何をしているでしょうか。かつて20歳だったときと同じことをしているでしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2019/07/01 第455号の目次
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○「こんまり流タスクの整理」 #BizArts3rd
 こんまり流の片付け術とタスク管理の視点を重ねあわせてみます。

○「カードとこざねの違い(Scrapboxとアウトライナーの使い方)」 #知的生産の技術

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「こんまり流タスクの整理」 #BizArts3rd

『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵)で提示される片付け術(以下こんまり流)の要点は、以下の一文に集約されます。

「多すぎるなら、まず捨てる」

物が散らかっていてなかなか片づかない。あるいは片づけたと思っても、すぐに散らかってしまう。そうした状況をなんとかしようと思ったときに、先に「収納」を考えてはいけない。まず最初にやることは「捨てること」だ──というのがこんまり流の骨子です。

言われてみれば、これは非常にもっともな話であり、合理的な考え方でもあります。

■片づけの実体

物があちこちに散らばっている状況を、「片づいていない」とよく表現します。だから「片づける」とは、その散らばった状況をなんとかすること(≒片をつけること)、綺麗な状態に戻すこと、つまりどこかにしまうこと──このようなロジックを辿ると、最初に思いつくのが「収納」です。

片づいていないものがあるならば、引き出しにもっとたくさんのものをしまえようにする。あるいは、冷蔵庫の横の空間に新しい収納スペースを設ける。テクニックとしてはよくある話でしょう。

このような収納テクニックは、いってみれば空間の効率的な利用方法だと言えます。家という限定的な空間をより効率的に利用することで、物をしまえる場所を増やす。そうすれば、散らばっていたものは、たしかに綺麗になります。

しかし、時間が経てば、やがて物は再び散らばり始め、そのたびごとに新しい収納が求められます。完全ないたちごっこです。そして、どこかの時点でお手上げになります。なにせ効率化にも、未使用空間の利用にも、限界があるからです。

これが片づけリバウンドの繰り返しの先にある、物あふれ地獄の実体です。

■片づけのジレンマ

先ほども書いたように、こんまり流の骨子は、そうした「先に収納を求める」発想をまず捨てましょう、というと点にあります。収納よりも、先に破棄してしまう。それができるなら、物が減り、ちまちました効率化などを求めなくても、物を収めることができます。

しかし、物が捨てられないからこそ、収納を求めているのだ、というジレンマがあります。そんな簡単にホイホイ捨てられるくらいなら、新しい「片付け術」など必要としないでしょう。それはまったくその通りなのですが、そのジレンマを解きほぐすことなく収納に逃げていたのでは、いつまでたっても問題は解決しません。

なぜなら、「物が捨てられない」は、必然的に「物が増えていく」を意味するからです。これはもう、ごく自然な話です。なにせ、多くのものは一度使用したらアイテムボックスから消えて無くなるわけではありません。切れた電池も、破けたジーンズも、まったく使わなくなったマッサージチェアも物体として残り続けます。

その上で、また何か新しいものを買うのです。だから、全体としては確実に物の数が増えていきます。そうなると、どれだけ収納で一時しのぎしても、やっぱり新しい収納が求められるといういたちごっこに至るのです。

だからこそ、こんまり流の片づけには、どこかしらセラピー的な要素があります。端的に言えば、物と自分の関係を見つめ直す作業が含まれているのです。そして、そこを変えない限りは、どうしたって部屋が長期的に片づいた状態はやってきません。これはもう、力学的と言っていいくらいに確定的な事柄です。

■曖昧な基準

「片づけたい」と強く欲している人は、物が捨てられない人です。もしそれが簡単にできるなら、「片づけをマスターしたい」などと思うような状況には至らないでしょう。逆に言えば、「片づけたい」と強く欲する人に必要なのは、その場しのぎの収納術ではなく、物が捨てられないという行動的傾向を変えることです。

では、なぜそうした人は物を捨てられないのでしょうか。言い換えれば、物を持ち続けるのでしょうか。簡単に言えば、「捨てる基準」を精緻に持っていないからでしょう。

たとえば、よくある基準として、以下の二つがあります。

・使えなくなったら捨てる
・使わなくなったら捨てる

非常にシンプルであり、空っぽの乾電池はこれで綺麗さっぱり捨てられます。

ただし、「思い出の品」のような、そもそも「使う」という述語があたらないものは、この条件分岐が発生しません。だから、永遠に持ち続けることになります。

(注:一応書いておきますが、「思い出の品」を持ち続けてはいけない、という話ではありません。捨てるかどうかについていっさい考えない状況が問題だ、という話です)

また、「使わなくなったら捨てる」という考え方も、一見うまくいきそうですが、ほとんど使っていないけれども「もしかしたら使うかも」と考えてしまうものは捨てられないトラップがあります。だからこそ、整理術では「一ヶ月間触らなかったら、それを捨てる」という半ば強制的なルールが設定されるのです。

結局、こうしたことは「なぜその物を自分は持つのか」について深く考えることなく、「まず持つ。不要だと判断したものだけは捨てる」というゆるい基準しかないことを示しています。これでは、捨てられなくて当然でしょう。

恰好をつけていえば、「最初に物への執着を捨てることで、物を捨てられるようにする」というのがこんまり流が目指すところです。

■タスクの片づけ

2000字以上をかけて、こんまり流の骨子について紹介してきたわけですが、これは壮大な前振りです。

以上のようなことって、タスク管理についても言えるのではないか、というのが本稿で一番言いたいことなのです。

ある程度作業が回らなくなると、効率化によって問題を解決したくなる。そして、それで一時は問題が片づく。でも、時間が経ったらまた新しい効率化が必要になる。その繰り返しで、いつまで経っても「落ち着いた生活」は送れない。

そのような「作業に追い立てられている状況」は、部屋に物が溢れかえっている状況と非常によく似ています。でもってその状況では、効率化を追い求めても根本的な解決には至れません。「何をタスクにするのか」という認識を改めない限り、状況は改善しないのです。

たとえば、いつも定時より5分遅れて退勤になってしまう。こういう場合なら、効率化は非常に役立つでしょう。しかし、毎日毎日3時間残業しているし、休日出勤も珍しくない、という状況であれば、それはもう効率化でなんとかなるものではありません。もっと根本的なレベルで状況の改善に望む必要があります。

で、それは突き詰めれば、「何をタスクとするのか」という基準の改善です。この点を変えない限り、効率化で一時しのぎはできても、やっぱりどこかで「やること地獄」が再来してしまうでしょう。

逆に言えば、「やること地獄」と表現したくなっている状況は、本人が「やること」を次々に抱え込んでしまうという行動的傾向が原因なのだ、という話です。

そしてそれは物を抱え込みすぎる状況と同じで、何をタスクにするのかという基準が緩いこと、言い換えれば、「なぜそのタスクを自分は行うのか」についてほとんど考えていないことが起因しています。

■何が「良いこと」なのか

というように書くと、いかにも当人の努力不足のように思えるかもしれませんが、そうではありません。

実際、物を捨てる基準に関しても、きっと大人になるまで(あるいは大人になってからも)誰かから教えてもらったことなどないでしょう。むしろ「物は大切にしなさい」という価値観(≒判断基準のベースになるもの)を徹底的に刷り込まれて、「なぜその物を自分は持つのか」について考えないように仕組まれてきた場合の方が多いのではないでしょうか。

タスクも同じです。立場的に上の人から言われたことをすべてこなすことが「良いこと」であるという環境で育ってきたら、「なぜそのタスクを自分は行うのか」という思考はなかなか生まれないでしょう。

そんな状態で、周りの人間が当人のことをろくに考えずに、「あれもして、これもして、あれもやったほうがいい、これもやったほうがいい」とどんどん押しつけてしまえば、その人はいずれパンクしてしまうでしょう。

いわゆるホワイトな職場に勤めている人ならそこまで真剣に気にする必要はありませんが、今の日本の状況は楽観できるものではありません。グレーかそれよりも悪い状況の職場なら、自分で判断を加えていかないと、えらいことになります。これは、何一つ誇張していない、真剣な話です。

フリーランスであれば、否が応でも「なぜそのタスクを自分は行うのか」について考えなくてはなりませんし、むしろ考えすぎを避けるためにいくぶん抑制を働かせた方がいいことすらあるかもしれませんが、それは局所的というか、全体から見れば一部の話でしかないでしょう。

■さいごに

忙しい状況に、効率化をもってあたるのは悪いことではありません。でも、効率化だけではどうしようもない事態もある、と認識しておくことは極めて大切なことです。

自分は何をタスクにするのか。なぜそうしているのか。他に可能性はないのか。タスクにしない選択はできないのか。そうするとしたら、何を変えればいいのか。

そのような大局的な思考もまた、タスク管理においては重要です。これは、「人間らしさ」があまりに無視される職場環境が多い時代だからこそ、強く言っておきたい話です。

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