MP連載第二十六回:本線があるから、脱線が生まれる

前回、佐々木さんは次のように書かれました。

たとえば、MPを節約しようとするから、「ちょっとだけTwitterをしてしまう」のです。Twitterを「本気でやる」人は、そうはいないはずです。これから10時間かけて、終わったら血を吐いて倒れてもいいから、Twitterをやり抜くぞ!というような「気合いを入れてTwitter」する人など、そうはいないでしょう。

軽く書かれていますが、実は深刻な問題です。特に私のようなTwitter中毒にとっては切実な問題ですらあります。

でもって、それが「タスクリストには書いてあるけど、手がつけられない」や「今日はけっこう作業したはずなのに、あんまり成果がえられなかったな」という状況とも呼応します。

手が止まると頭も止まる

原稿を書いているとき、スラスラと書けているなら問題はありません。そのままずっと書き続けられます。いささか年老いつつありますが、それでも一時間くらいなら原稿に集中し続けることはまだまだ可能です。

しかし、手が止まることがあります。理由は多岐です。複合すらします。

単に、何かを言い切れた感があって文章の流れがちょうどそこで止まってしまう場合もありますし、うまい比喩表現が出てこずに続きが書けない場合もあります。概念の整理が不十分、前後の章の構成が気になる、はたしてこれで面白いのかと疑問に思ってしまう。そういう理由もあります。

理由がなんであれ、そうなってしまうと、いったん集中の糸は切れます。つい先ほどまでは、一つ先の言葉をただ追いかけるようにキーボードを叩いていたのに、今までは意識に多様なものが入り込み、混濁の様相を呈します。

こうなると、そうなのです。ほとんど奇妙なほど強力にTwitterを覗きたくなります。脱線の要求です。

二種類の脱線

おそらく脱線には、二つのタイプがあります。

一つは、電話がかかってくる、上司に呼び出される、地震が起きる、急激にお腹が痛くなるなど、現在実行中のタスクよりも緊急性の高いタスクが発生することです。

もちろん、本当にそのタスクが高緊急性なのかはどうかはわかりません。あくまで、タスクの実行者にとってそう感じられる、というだけの話です。言い換えれば、タスクの客観的緊急性ではなく主観的緊急性が高いものが発生し、そちらに移行する状況。

あまり起きて欲しい状況ではありませんが、人間は予知能力を備えていないので、どうしても発生してしまう状況ではあります。

逃げとしての脱線

もう一つの脱線が、先ほども書いた「原稿の手が止まったときのTwitter」です。

Twitterを見たがっている自分は、別に「Twitterを可及的速やかに閲覧せねばならぬ」という使命感に燃えているわけではありません。主観的緊急性は高くはないのです。むしろ主観的緊急性が低いからこそ、その行為をしたくなっています。身近な言葉で言えば「気晴らし」です。

MPの文脈に即して言えば、詰まった作業はよりいっそうのMPを要求してくるように感じます。それはあまりにもハードなので、なるべくMPを使わない作業に移行したくなる。それがもう一つのタイプの脱線です。

脱線戦略の功罪

この脱線戦略は、うまくいくこともありますし、うまくいかないこともあります。

たとえば、原稿の構成をさんざん考えてもまったく良い形が見つからなかったので、いったん止めて別の作業に取りかかり、次の日に再開してみたら、あっさり良い形が見つかった、という場合はうまくいったと言えるでしょう。その時点での、それ以上のMPの投入は意味をなさないわけですから、別の作業に「逃げ」た方が効果的なわけです。

しかし、1時間の作業時間があり、30分原稿を書いて、5分Twitterを覗き、再び25分の原稿作業に取り組もうとする場合はどうでしょうか。

この場合、再び原稿作業に戻ってきたとき、つい先ほどまで自分が何を考えていたのかを思い出さなければなりません。つまり、MPがさらに要求されます。

たしかに「気晴らし」をして気分はリフレッシュしているでしょうが、作業再開の認知的コストは微増しています。こうなると、またタイムラインに逃げたくなり、タイマーが終わりを告げるまで、延々の堂々巡りが始まります。そしてこうしたことが繰り返されたタスクは次の日からの着手も億劫になります。脱線→先送りの見事なまでのコンボです。

仮になんとか原稿作業に復帰できたとしても、5分程度のインターバルでは「新しい着想」が得られるほど、脳のネットワーク整理は進まないでしょう。よって、脱線する前の状況とまったくかわらないままに、タスクに取り組まなければなりません。

もし計算が可能であれば、MP収支はマイナスになりそうです。このタイプの脱線は、そうした問題を抱えています。

脱線しているときは本線がある

しかし、私たちは(少なくとも私は)上のような脱線をよくやります。どうせ進まないなら、カラっと諦めて別の作業に取りかかる手もあるはずなのですが、特に生産性が高いわけではないタイムラインに逃げてしまうのです。

なぜなら、「脱線」している間は、本線があるからです。

不思議なことに、原稿を書いているときにタイムラインを覗いていると、自分の中のタイムコンテキストは、「原稿を書いている」ことになります。つまり、仕事中・作業中なのです。それがつまり脱線ということの意味です。むしろ分線と呼んだ方がいいのかもしれません。

いったん詰まった段階でタイマーを止め、タスクを消し、新規で「これから5分タイムラインをチェックする」というタスクを追加すれば、それはもう脱線ではなくなります。それが新しい本線になります。でもって、そこでは「自分が作業をしているんだ」という感覚は当然のように失われます。

しかし、「脱線」している限りにおいては、私は作業中なのです。少なくともそういう感覚になります。60分の作業時間で5分タイムラインを覗いても、私の中では作業時間やはっぱり60分なのです。

これが実にやっかいな感覚です。

なぜなら、実際は作業をしていないにも関わらず、自分の認識(感覚)では作業をしていることになっているからです。分線したレールは、本線の真横を走っているのです。

もう一度書きますが、原稿書きの作業中にタイムラインを覗いている時間は、私の中では「作業時間」として認識(あるいはカウント)されています。

だから、「今日はめっちゃ作業したのに、あんまり進まなかったな」ということが起こりえます。そりゃそうです。進めるために時間を使わなかったのだから当然の帰結です。

でも、私たちにはその事実が見えてきません。少なくとも、記録を取らない限りは見えてきません。それがやっかいなのです。

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倉下忠憲

働く人のMP戦略

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