Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/12/03 第425号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

12月に入りました。

今、上の文章を書いて、「これが私の認識の誤謬であって、実はまだ11月だったらどんなにいいだろうか」と思わず思ってしまうわけですが、時計の針は戻せないので、赤の女王に追いつかれないように頑張って走り続けるしかありません。

現状、第一段階のラストスパートなので、とりあえずその山場は乗り切りたいと思います。

あと、12月になったので、またまた「びっくら本」企画をやろうと考えています。今年読んだ本を振り返るのは、なかなか良い習慣ですので、皆さんもぜひご参加ください。

もう一つ、勢いに任せてScrapboxのAdvent Calendarを作ってみました。こちらは、私しか書き込まない気配が濃厚ですが、小ネタを少しずつ投下していこうと思います。

〜〜〜哲学的な思考法の功罪〜〜〜

少し前から、ビジネス書の文脈で「教養」とか「哲学」が取り上げられていて、それはそれでよろしいことだと思うのですが、教養と違って、哲学は結構扱いが難しい気がします。

教養は、最悪「雑学的知識」として何かしらのプラスになるでしょうが、哲学(≒哲学的思考)は、妙なこじらせを発生させる可能性があり、ホイホイ吸収してよい知識なのかどうかが判然としません。

会社で仕事しているときに、自分の実存について不安に思ったり、資本主義が抱える病理が気になりだしたら、きっと仕事が手につかないのではないでしょうか。そもそも、村社会的共同体の中では、クリティカルシンキング(と、とりあえずここでは呼びましょう)は、あまり歓迎されるものではありません。なぜなら、そのような思考はたいてい共同体の「空気」に水を差すからです。

そう考えると、ビジネスパーソンの処世術として、哲学を学ぶのはあまりよろしくない気がしてきます。

まあ、その手の本は哲学の知識を仕入れるだけで、哲学的思考が身につくわけではないから安心なのかもしれませんが。

〜〜〜サブタイトル〜〜〜

めざとい人は気がついているかもしれませんが、R-styleの記事にサブタイトルをつけられるようにしました。

以下の記事以降から、サブタイトルつきの記事が登場しています(すべての記事についているわけではありません)。

なぜサブタイトルをつけられるようにしたかというと、上の記事を書いていたときに、最初は「バザール・メディアとしてのブログ」というタイトルを思いついたのですが、ちょっとタイトルが前に出すぎているなと思い直し「Respect for blogging.」というタイトルに書き換えたのですが、どうしても「バザール・メディアとしてのブログ」というフレーズを引っ込めたくなかったので、「そうだ、サブタイトルとして付ければいいんじゃないか」と思い立って、WordPressのプラグインを探してみたところ、見事に見つかったので、それを導入したという次第です。

つまり、たった一記事の要求のために、ブログ全体の体裁に手を加えてしまったわけですね。いかにもボトムアップっぽい作用です。

もちろん、本当にそのとき思い立っただけで実装したわけではなく、以前Mediumで記事を書いていたときに、サブタイトルをつけられるのを結構気に入っていた、という経験があったことは影響しています。

あと、最近はScrapboxがミニ・ブログみたいになっているので、いっそのことブログをより「記事」っぽく寄せていこう、みたいな考えがぼんやりあったことも関係しているでしょう。

どちらにせよ、R-styleはR-styleでありながら、少しずつ変わっていきます。その変わり方を考え、試していくこともまたブログの楽しさの一つです。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を二冊紹介します。

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 《ボーダー(境界/周縁)》の世界へようこそ! 「境界/周縁」にある文学にこそ、 「小説」の魅力が輝きを増す!! トマス・ピンチョン『重力の虹』(共訳、国書刊行会)、 スティーヴ・エリクソン『きみを夢見て』(筑摩書房)等、 数多くの海外文学の翻訳家であり、米文学研究者でもある 著者(ロベルト・コッシー)が、 「ボーダー」を主題として、 洋の東西を問わず小説および論考を批評する。
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私は「辺境」という言葉がいつも頭の片隅に引っかかっているのですが、「周縁」という言葉もそれに近しいポジションにありますね。中心にあらざる場所。別の領域との境目。それを主題にした批評のようです。

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 1981年雑誌『遊 読む』誌上に一挙掲載された伝説のブックガイドついに復活! 読書は男のケンカだ」の33冊から「読書で一番遠いところへ行く」ための31冊まで、百字一冊でブックコスモスを駆け巡る。
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松岡正剛さんのブックガイドです。Webサイト「千夜千冊」は重厚なガイドブックですが、こちらの内容紹介はコンパクトにまとめられています。365冊の書名を巡るだけでも楽しそうではありませんか。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 半年間だけまったく仕事をしないでよい状況が生まれたら何をしますか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2018/12/03 第425号の目次
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○「大小二つのコンテキスト」 #新しい知的生産の技術
 大きなコンテキストを織る際の問題点について。

○「現状のEvernoteの使い方」 #物書きエッセイ
 前半です。今の私のEvernoteの使い方を紹介しています。

○「Evernoteで扱いに困る情報」 #物書きエッセイ
 後半です。以前の私のEvernoteだったら困っていたであろう情報の扱いについて書きます。

○「『ホモ・デウス』を読む 第11回」 #今週の一冊
 ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を読み込んでいます。最終回です。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「大小二つのコンテキスト」 #新しい知的生産の技術

これまで、ヴァネバー・ブッシュの論文を参照しながら、Evernoteの「あと一歩感」について見てきました。

そうは言っても、Evernoteは強力なツールです。多様な情報を一箇所に集め、それを緩やかな分類によってグルーピングするのには極めて適しています。また、タグを使うことで、グループを飛び越えた検索もでき、個人のパーソナル・ライブラリを構築するための土台は十分にあります。

しかし、ごく少数の情報を小気味よく関連づけることに関しては、あまり適正を持ちません。むしろ、不自由ばかりが目につきます。私たちが、知的生産的に一歩前に進むためには、どうしてもこの課題をクリアするための機能が必要です。

なぜでしょうか。それは、その機能が、アイデアを小さい状態から大きい状態へと育てていく上でたいへん役立つからです。

たとえば、「Scrapbox情報整理術」や「断片からの創造」のように、大きい括りとして機能する文脈を、ビッグ・コンテキストと呼ぶとしましょう。それに対し、「ちょっと似ているな」「関係性があるな」と思えるような少数の情報のつながりを、マイクロ・コンテキストと呼ぶことにします。

このとき、ビッグ・コンテキストは、無数のマイクロ・コンテキストで形成されます。小さな文脈が互いに混じり合い、巨大なネットワークを織りなすことで、大きな文脈が息づくのです。

しかし、Evernoteのような装置(あるいは整理の方向性)では、マイクロ・コンテキストを保存することができず、いきなりビッグ・コンテキスト(つまりはノートブック)を形成しなければなりません。

たとえば、ノートブックを作り、そのビッグ・コンテキストに関係ある情報をどんどん放り込んでいくことになるでしょう。そして、情報が十分に貯まったと思えるところで(あるいは締切的必要性に迫られて)、ツリー構造の構築がはじまります。その嚆矢は、目次作りという形になるでしょう。

ここで問題になるのが、マイクロ・コンテキストです。Evernoteに放り込んでいただけの情報群は、それぞれの中に文脈を有していません。だから、情報同士のつながりではなく、むしろ「ツリー構造的にフィットする形」に沿ってまとめられます。言い換えれば、「こうまとめればうまくまとまるだろう」という予見に基づいてツリーが構成されます。

しかしながら、情報同士のつながりが加味されていないので、そのツリー構造内では情報同士が断絶していることが多々あります。さらに十分な検討がなされていないので、歯抜けになっている項目もあるでしょう。つまり、不十分な構造です。

その不十分さは、実際に文章を書き始めたときに一気に露呈します。うまくつながらなかったり、新しく書くべきことが掘り起こされてしまうのです。よって、当初のツリー構造はあっけないほどに変化していきます。

この現象が、書き手を苦しめることは間違いありません。それをカバーするためのノウハウが、Tak.さんが提唱されている(あるいは名付け親である)「シェイク」であることも間違いありません。しかし、そこで足を止めずにさらに先に進んでみましょう。

ビッグ・コンテキストを最初に作る方法では、まず関係すると思われるであろう情報が集められられるのですが、個々の情報がどうつながっているのかは検討されません。そして、情報が集まったところから、情報同士のつながりの検討が始まります。

問題は、ここに二種類の、そして逆のベクトルを持つ作業が存在していることです。

一つは当然のように、情報と情報をつなげる(あるいはつながりを見出す)作業です。これによって、情報は流れのある「コンテンツ」へと変容します。

しかし、ツリー構造は(というか文章は)、一つの流れしか持ち得ません。AがBだけでなくCとつながっていても、AのあとにはBかCのどちらかしか配置できないのです。ということは、ここでは切断の作業も同時に発生します。つまり、Aは何とつながっているかを考えると同時に、何とだけつながるべきかを判断する必要もあるのです。

この点が、巨大なテキストを、つまりマイクロ・コンテキストの合成からなるビッグ・コンテキストを有する文章を書く上で、書き手に大きな負荷がかかる原因になっているのではないか、と私は睨んでいます。

だから、作業を分断してしまいましょう。

先に、マイクロ・コンテキストを十分に広げておく。そして、そのネットワークが広がった後に、それを「切断」して、ツリー構造に整えてしまう。これであれば、脳の負荷はずいぶんと小さくなるのではないでしょうか。少なくとも、相反する作業を同時に行おうとするよりは、はるかに楽にできそうな予感があります。

そして、そのマイクロ・コンテキストを広げていく上で、有用に使えるのがScrapboxである、という話を次回続けてみたいと思います。

(つづく)

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倉下忠憲

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倉下忠憲

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