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本と出版と読書 #burningthepage

本は死なない』の第一章「本の歴史」より。

読書はテクノロジーの進歩とともにある文化だった。まずはその点を認識することが、電子書籍を楽しむ者としての私たちの今後の課題となるだろう。

私たちが今「本」として認識しているものは、本の歴史からみればごく限定的なものでしかありません。

情報を同時代と後世に伝達する媒体として捉えた場合、本の歴史は遙か昔に遡れます。もちろん、そこで使われていたのは液晶ディスプレイでも、紙でもなく、石版や木簡だったでしょう。

そこから人類が扱えるテクノロジーと共に、情報を伝達する媒体は移り変わってきました。今の紙の本も、その流れに属する一つの「ツール」でしかありません。

紙の本が一般的に普及するようになったのは、やはりグーテンベルク以降でしょう。

彼によって、出版産業というものが形作られるようになりました。出版がビジネス化したのです。逆に言えば、本格的な出版産業の歴史自体は、せいぜい500〜600年ほどのものでしかありません。もっと言えば、「ベストセラービジネス」が生まれたのはさらに近年です。
※このあたりの話は『ベストセラーの世界史』に詳しい。

現代で「出版」という言葉が夢を持って使われるときは、ベストセラーによるヒットを狙う、という構図が透けて見えますが、そうしたものも、あくまで(本の歴史から見れば)最近の傾向でしかありません。それまでの出版業というのは、(もちろん儲かっているところはあったでしょうが)ほそぼそとやっていたはずです。

現代で有名なヨーロッパの哲学者も、教鞭を執りながら自費出版して自分の思想を「本」にしていました。そういう光景は別段珍しいものではなかったはずです。

ベストセラーにいろどられた華々しい「出版産業」に注目が集まりがちですが、そればかり見ていては、出版の全体像、ひいては「本」そのものが持つ価値を見損なってしまうかもしれません。

電子書籍、そしてそれがもたらす読書の変化について考える場合、紙の本あらずんば本にあらず、といった視点をぬけだし、私たちの文明の変化と、記録を後世に伝える技術がどのように変化してきたのかをきちんと考えるべきでしょう。

さらにいえば、ベストセラービジネスの外に位置してきた数々の本にも想いを馳せる必要があります。

数年後には、「本」というと紙の本ではなく電子書籍を指すのが一般的になるかもしれない。

数年後、というスパンかどうかはわかりませんが、呼称が変化する可能性はあるでしょう。

日本では今「メール」と言えば電子メールのことを指します。紙の手紙は「手紙」ですね。ごく自然に「メール」と「手紙」という言葉を使い分けています。

それと同じようなことが、紙の本と電子書籍に起きるでしょう。同じように「本」と「ブック」という、__翻訳者が頭を抱えそうな__ありきたりな使い分けがなされるようになるかもしれません。

おそらくそうした使い分けが自然になされるようになった時代では、紙の本として出版されるのは「売れることが確定している」ような本に限られるでしょう。2014年で言えば、村上春樹さんのような作家の本です。

それ以外の本は電子書籍で出版し、反応が良ければ(より広く売るために)紙で印刷する、という流れになるでしょう。今の出版社は(おそらく)紙ベースのコスト構造になっているので、こういう形にはなかなかならないでしょうが、そこ(コスト構造)が変われば、自然とそういう流れになっていくはずです。

あるいは、アンティーク趣味として、物を所有するための欲求を満たす目的として、PODがより活用されるようになるかもしれません。そういう時代の「書店」がどんなコンセプトになっているのかは興味深い考察対象ではありますが、ここでは割愛しておきます。

紙の本と電子書籍は、情報を記録し伝えるための媒体というコンセプトでは一致しているものの、その両者はまったく同じ媒体ではありません。絵巻物と綴じた本が違うのと同じです。

いまだ、電子書籍は「紙の本の電子版」として認知されています。開発者から読者までが、その認知に縛られていることによって、電子書籍が持つ可能性もまた制約を受けている可能性があります。

電子書籍は、新しい媒体なのです。

それは単に紙の本を電子的に置き換えるものではありません。でも、それが実際どのような機能を持つのかは、現時点での予想はまり役に立たないでしょう。そういう技術的な予想が意味を成した例を私はほとんど知りません。

ただ、「本を読む」という体験がより豊かになっていくことを私は願うばかりです。その豊かさは、ありふれたリッチメディア要素を添付することを意味していません。むしろ、単純なリッチメディアの適用は読書体験の豊かさを損なうことすらあり得ます。

その意味で、本の進化・進歩について考えるためには、「本を読むとはどういうことなのか」を一から点検していく必要があるでしょう。それを考えることは、決して無駄にはならないはずです。

(続く)

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