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第九回:本を作るだけではない出版活動

前回の鷹野さんの記事では、メディアを面白い切り口で分類されていました。ちょっと画像を拝借しておきましょう。

お金の軸はすぐに思いつきますが、「柔らか」と「固い」の視点では斬新でしたね。わりと驚きました。

で、上の図を見てまず注目したのが、「柔らか」の上部に位置する三つのメディアです。Twitter、Facebook、YouTube(r)。どれも巨大な(そしてやや排他的な)プラットフォームです。

このことは一体何を意味するのでしょうか。

出版は、英語でpublishです。つまり、情報をpublic(公)にすること。この視点に立てば、本当に多くの活動がpublishに包括されます。

100人くらいの集落で、ひとりの人間が持っていた知識をパピルスに書き写す。すると、他の99人にもその知識が──もちろん、字が読めるなら──伝わることになります。知識が「公」に開かれたのです。

しかし、人の数が増えてくると、一つの紙に記しただけではまったく足りません。だからこそ「印刷技術」が求められ、publishの日本語に「出版」が当てられたのでしょう。情報を「公」にするためには、複製の技術が欠かせなかったわけです。

しかし、複製できるだけではマスにリーチはしえないことは一つ前の回でも確認しました。流通基盤があってこそのマス・パブリッシングなわけです。

さて、上記のことを考えると、巨大プラットフォームは何をしているのでしょうか。

たとえば、私が何か動画を撮影したとします。そして、シコシコとHTMLを書き、どこかのレンタルサーバーにその動画をアップします。もちろん閲覧は無料で、URLさえ知っていれば、誰でもがアクセス可能です。

これは広い定義で言えば「出版」でしょう。少なくとも、間違いなく情報は「公」に開かれています。

しかしながらこの活動は、どこかしら、自費出版で本を作って大量の在庫を手売りで捌いているような線の細さが感じられます。率直に言えば、「で、誰かにリーチするの?」という疑問が消えないわけです。

狭く密接な関係を持つ集落でひとりの人間が紙に記すことが出版と言えても、100万人の都市でひとりの人間がただ紙に記すことは出版とは言い難いものがあるかもしれません。そんなものがそこにあることを知らない人が圧倒的多数を占めるのだから、これは仕方がないでしょう。

その点、同じ動画をYouTubeにアップすればどうでしょうか。むろん2017年の現在では競争が厳しいので簡単ではないでしょうが、少なくともYouTubeにアカウントを持つ人間にリーチする可能性は──名も無きWebサイトにアップするよりも──がぜん高まります。

つまり、プラットフォームは情報の流通基盤を各パブリッシャーに提供してくれています。あるいは、そうした流通基盤があることでパブリッシャーははじめてパブリッシャーたり得ると言えるかもしれません。

上記の話は、インターネットならばごく当たり前の話を復習しただけですが、この構図で出版業界を捉え直せばどうなるでしょうか。

たとえば、私にオファーが来たとします。出版社からのオファーです。「原稿を書いてください。売上げに応じて印税をお支払いします。こちらが本作りの費用はすべて負担します。でも、書店への営業はいっさいかけないので、著者さんが頑張ってください」

たとえ印税率が50%を超えていても、このオファーはなかなか>けっこう>かなり微妙です。私が超超超有名人で、何が何でもこの人が書いた本を買いたいという人が数千人規模でもいない限りは、まあ骨折り損になってしまうでしょう。言ってしまえば「お金を払わなくてもよい自費出版」です。

この点を考えてみると、現代の「出版」社が持つ大きな役割の一つが、「広く伝わるような流通経路にコンテンツを流す」ことであり、その経路の一つが「全国にある書店群とそこに配本する卸」であるわけです。その書店・卸ネットワークは、Webにおけるプラットフォームに相当するのでしょう。

しかし、出版社と書店・卸ネットワークは密接につながってはいても決して不可分ではありません。実際、デジタル書籍が普及し始めたことで電子書籍ストアやその卸を流通経路として選択している出版社も多いでしょうし、自前でストアを持って新しい経路を確立しようと頑張っている出版社もあります。

結局のところ、それは「公」の形、つまり「人がいる場所」「人に情報が届くパイプライン」の変化が背景にあるので、止めようと思っても止められるものではありません。その変化を引き受けられない「出版」社の機能は、極めて弱くなっていくでしょう。極端な思考実験ではありますが、誰一人書店に足を運ばないなら、書店に配本しても「出版」的には弱いわけです。

今後、Twitter、Facebook、YouTubeなどのプラットフォームも経路として取り込んで、より「公」に届くようにするところも出てくるでしょうし、逆にダイレクトに読者(≒情報の受け手)とつながるように動く、言い換えれば自前のプラットフォームを持つところも出てくるかもしれません。

たとえば、このnoteを運営している piece of cakeさんは「スマート新書」を発売されていますが、Amazonだけでなくnoteのアカウントでも購入可能なのが特徴で、生活スタイルにフィットしたサイズやボリューム感の新しさもさることながら、人を集めるプラットフォームでコンテンツを販売している点にこそ私は新しさを感じます。

どちらにせよ、一つ言えることは、現代において本を作っただけでは出版とは呼びがたい、ということです。もちろん、呼んでも構わないわけですが、それが非力なものである事実は変わりありません。そしてそれは、マスなパブリッシングでも、ニッチなパブリッシングでも同様でしょう。

といったところで、いったん鷹野さんにバトンを渡してみることにします。

鷹野さんの原稿に続く

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