第二十七回 社会におけるメディア(3)

メディアは情報を移動させる。

では、情報の移動には何が伴うだろうか。

シンプルな例で考えてみよう。

AがBに、Xという情報を教える。情報が伝達された。これでAもBも共にその情報を知ることになる。さて、価値はどうなっただろうか。

もしその情報に価値があるならば、知る人が一人増えたのだから社会全体での価値は増加したことになる。素晴らしい。

これを拡大したらどうなるだろうか。

AはB1からB1000までの1000人にXという情報を教える。この規模の伝達は、もはや拡散と言ってよいだろう。情報の拡散。これで社会全体の価値は大幅に増加することになる。素晴らしい。

これが情報発信の一番の基本だろう。価値ある情報を知る人を増やし、社会全体が持つ価値を増やす。シンプルな話だ。

ただし伝達される情報の種類によってはこれがうまく働かないことがある。知る人が増えれば増えるほど、その価値が減少する情報というのもあるのだ。情報価値低減則とでも名付けようか。

そうした情報の拡散では、当初は少しずつ総価値は拡大していくものの、どこかで上限を迎える。それ以降は、決して増えない。つまり、知る人が増えるたびに、それぞれの人が持つ情報価値は減る。この点を留意しておく必要があるだろう。

さて、こうした単純な伝達以外のメディアの役割は何かあるだろうか。

たとえば、Xという情報に手を加え、Yに加工してから他者に伝達することもできる。この加工にはさまざまなパターンが考えられるが、ごく単純に考えて、それは情報の価値を増やすことになるだろう。

わかりやすい例は「解説」である。何かの事件がある。その事件の「事実」を報道する。これはXをそのまま渡すことに近い(実際は違うが、話がややこしくなるのでその点は割愛)。で、その「事実」に何かしらの解説を加えて報道することもできる。情報を付加するわけだ。

たとえ付け足すだけだとしても、ここでは情報の生産が(つまり知的生産が)行われている。当然、その視野は情報のトータルでの価値を増やすことであり、減らすことではない。

そのような加工が行われることで、たとえばXそのままではうまく情報を受け取れなかった人が受け取れるようになったり、誰も気がついていなかったXの別の価値を発掘するようなこともできる。

この場合でも、やはり社会全体での情報の価値は増えている。ただし、単なる伝達の場合とはその増え方が異なる点には注意が必要だろう。

以上のようなことを考えても、メディアは単に情報を右から左に動かしているだけではないことがわかる。その事実を標語的に言ってみれば、こうなる。

メディアとは、情報価値の増幅装置である。

「増幅」という言葉はいかにも大げさだが、ともかく価値を増やすという点は見逃してはいけない。しかもそれは社会全体を見据えている。それがメディアがメディアたる由縁でもある。

言い換えれば、メディアは(程度の差はあれ)社会的にインパクトを持つ。だからこそ、メディアは社会のことを考えなければいけない。自分勝手は、そこでは許容されないのだ。

メディアが社会に持つインパクトについては、引き続き次回考えていこう。

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