第二十三回 ファストコンテンツからコンテンツファーストへ(3)

工事現場では、「安全第一」が掲げられている。英語で言うと「Safety First」。ちなみに米国で誕生した標語らしい。

ウィキペディア に面白いエピソードがある。

1900年代初頭、アメリカ国内では不景気のあおりを受け、労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していた。 結果、多くの労働災害に見舞われていた。

当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、USスチールの社長であったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていた。 熱心なキリスト教徒でもあった彼は人道的見地から、当時の「生産第一、品質第二、安全第三」という会社の経営方針を抜本的に変革し、「安全第一、品質第二、生産第三」としたのである

生産量が一番の目標であったものを、安全性を一番の目標に目標に変えた、というのだ。結果、この会社の経営がどう変わったのかはわからないが、労働者の士気みたいなものは上がったに違いない。品質も結果的に向上したのではないはないかとすら想像してしまう。

ともあれ、現代の日本においても「安全第一」という標語は生き残っている。しかし、それは工場や建設現場においてである。残念ながら、現状の日本にはブラック企業と呼ばれる企業が存在していて、それはサービス産業・情報産業における「安全性」が軽視されている証左でもあろう。

しかし、それも時間と共に変わっていくはずだ。

さて、ファストコンテンツでは、生産量が一番の目標であった。結果的に、玉石混淆ですらなく、石ばかりのコンテンツが大量投下され、書き手には安いびっくりするほど安い原稿料しか手渡されない状況が生まれている。

それでPVを稼ぎ、広告料と結び付いている間はいい。しかし、その力学に限界が来たときに厳しくなってくる、という話は前回に書いた。では、どうすればいいのか。

そこで、ちょっとした言葉遊びとして「ファストコンテンツからコンテンツファーストへ」、というタイトルをこの短期連載につけた。つまり「コンテンツ第一主義」への転換、ということだ。

力のあるコンテンツが生み出せるならば、記事広告やLongformなどの流れにも対応していける。単純に、読者との信頼関係も構築できるようになるだろう。それは、通常のメディアでも大切だろうし、オウンドメディアでも大切だろう。

敷衍すれば、個人が運営するメディアでも、「メディア的」に生きる上でも大切なことになってくる。

しかし、「コンテンツファースト」とか「コンテンツ第一主義」という言葉は耳障りは良いのだが、それが具体的に何を意味するのかはいまいちわからない。

一義的には、それは「コンテンツの質を大切にする」ということになるだろう。でも、それだけなのだろうか。

そもそも「コンテンツの質」とは何だろうか。もっと言えば、「コンテンツ」とは何だろうか。

コンテンツに関係する言葉と言えば、「コンテナ」である。コンテナは箱を示し、コンテント(単数形)はその中身を指す。言い換えれば、コンテントは、コンテナで運ばれる。

コンテナは、たとえば動画や写真、あるいは文章といったメディアのフォーマットを示すこともあるし、送り手と受け手のパイプライン、つまりプラットフォームを指すこともある。

そう考えると、まず見えてくるのは、「コンテンツファースト」は「プラットフォームファースト」ではないという点だ。つまり、プラットフォームありきの発想ではない、ということになる。

プラットフォームに適応するのは効率的な運営を考える上で重要なポイントだが、その適応が過剰になりすぎると、大元のプラットフォームが沈没したときにどうしようもなくなってしまう。変化できなければ、自分も一緒に沈んでいくわけだ。

そもそも、長く続くプラットフォームなんて本当に稀なことを考えれば、単一のプラットフォームに依存する危険性はすぐにわかるだろう。

プラットフォームを有効に活用する視点は必要だが、強すぎる依存は長期的に見て危なっかしい。

また、「コンテンツファースト」は「PVファースト」ではない。これは言うまでもないだろう。PVを稼ぐためだけに投下されるコンテンツは目指さない、ということだ。当然、PVさえ稼げれば、どんな記事を書いても良い、という考えも却下する。そういう考え方はPVファーストであり、コンテンツは置き去りにされている。

では、なんのために書くのか、という疑問が出てくるだろう。そこが一番難しく、面白い点でもある。

それについては、次回考えてみよう。

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