第十三回 メッキと目利きとステマレビュー

「世の中にはいっぱい本があるよね。選ぶの難しい」
「そういうときには、本を選んでくれる人を頼るといいよ」
「書評家とか?」
「まあ、そうだね。キュレーターなんて言い方もするけど」
「でもさ」
「なに?」
「そういう人たちもいっぱいいない?」
「まあ、最近では多いかもね」
「だったら、誰を選べばいいの?」
「そういうときには、本を選んでくれる人を選んでくれる人を頼るといいよ」
「無限ループだ」

以前、Amazonのレビューがらみでちょっとした事件があった。いわゆるステマレビューというやつだ。

アマゾン販売の電子書籍めぐり「ステマレビュー」 報酬付きで「★5つと入力」お願い : J-CASTニュース

「電子書籍のカスタマーレビュー依頼」――今、こんな「仕事」がネット上で取引されている。Amazonなど電子書籍を販売する大手通販サイトの口コミ欄に、金銭を得て特定商品への賞賛レビューを投稿する作業だ。

話は簡単だ。最近流行りの「クラウドソーシングサービス」にレビューを書いてください、という依頼を出す。1件50円ほどだと言う。当然のように、そのレビューは「高評価」であることが前提だ。

結果、500円ほどの投資で、高評価のレビューが集まる。高評価が付いていて、かつランキングがそこそこ高い本は、そうでない本よりも買われやすい。10冊ほども販売につながれば、投資は簡単にペイできるだろう。めでたし、めでたし__というわけには当然行かない。

高評価のレビューを「買う」ことは、Amazonの規約違反だろうし、そもそも景品表示法の優良誤認にもなりうる。つまり、ルールから見ても完全にアウトである。でも、それだけではない。

今回の件は、クラウドソーシングサービスにその「証拠」が残っていたので、はっきりと問題視された。上の記事で紹介されている出版社の本は、すでにAmazonでは見つけられない。ルール違反なのだから、当然だ。

しかし、たいていの罰則は「見つからなければどうということはない」という側面も持っている。証拠がまるで無ければ、対処するのは難しいだろう。少なくとも、プラットフォーマーでは、だが。

実際のところ、話は簡単である。上の記事にこのような記述がある。

しかし、口コミ欄のカスタマーレビューには不自然さが漂う。いずれも「★5つ」の最高評価を付けて「参考になります」「勉強になりました」と絶賛している 一方、内容にほとんど触れていない。レビュワーも「シムシスブックス」だけをレビューしていたり、レビュー済み商品が1つだけだったりと、どこかおかしい。

一目だけみれば、この種の本はすごく良い本に見える。でも、じっくり見てみると途端にアラが見つかる。それも、おどろくほどたくさん見つかる。

・★5つの評価だらけ
・コメントが簡素、あるいはテンプレぎみ
・レビューしている人は、他の商品のレビューをまったくしていない
・しているにしても、同じような商品ばかり
・そして、それらはすべて同じ出版社(同じ著者)の商品
・レビューが付いている日が、ほぼ同一

こうした状況は、「クラウドソーシングで1件50円でレビューを依頼した」という背景を知っていれば、すぐに納得いく。あっという間にメッキは剥がれていく。

もちろん、ステマをしていなくても、これと似たような状況が起こる可能性はゼロではないだろう。が、その可能性はかなり小さい。サイコロで6を連続12回出すくらい小さいのではないか。

「疑わしきは罰せず」という信念は、いつだって賢明だ。人類の英知かもしれない。でも、それと同じように「疑わしきは、とりあえず信用しきらない」という姿勢も大切だろう。

マスメディアが絶対的な力を持っていたころは、それを単に信用してさえすればよかった。「新聞が本当のことを言っているのか」なんて気にしなくてもよかったのだ。

が、メディアが相対化され、どうにもそういう状況ではなくなりつつある。情報を評価してくれる人(いわるる目利き)や、そうした人たちを評価してくれる人はたくさんいるが、最終的には、それらについて自分で判断を下さなければいけない。最後の最後までおんぶにだっこ、というわけにはいかないのだ。

まだ現代の日本では、メディアの絶対性を信じている人は多いかもしれない。でも、それも少しずつ変わっていくだろう。自身で情報を集め、メディアを評価する人たちが少しずつ増えてくる(でないと、この国は沈むだろう)。

そういう人たちは、情報の評価に一手間かける。ついているレビューのレビュアーを自分でレビューする。その本の著者や出版社の他の本を調べる。そういうことを実施する。インターネットでは、そういう評価はかなり低コストに行える。もちろん、内部に入ってインタビュー的なことは難しいが、そこまでしなくても見えてくるものは多い。

スマートな消費者が増えていく、ということだ。

そうなれば、安易なステマはことごとく自滅していくだろう。クラウドソーシングで依頼なんて、笑い事になっていくはずだ。

そうなると、出てくるのはより巧妙なステマである。当然、そのような方向に「進化」していくだろう。でも、そこには確実にコストがかかる。300円の本にもっともらしいステマレビューを付けるために、15万円くらいかかるかもしれない。一体、そんなことを行うメリットがどこにあるだろうか。

罰則が厳しくなり、思ったより売れなくなり、コストがかかるようになれば、市場原理性で生半可なステマは淘汰されていくだろう。

もちろん、ガチのステマは無くならない。でも、ガチのステマはもともとガチなので簡単には消せない。ある意味で、その人たちは本気で本を売りにいっている。それを良いことと評することはできないが、市場の健全性を著しく損なうようなことにはならないだろう。

ようするに問題は、あまりに低コストでステマが行えてしまう状況だ。そんな状況ではあっという間にレモン市場が生まれる。ある本のレビューが信じられなくなるだけでなく、レビューというものから信頼が消えてくのだ。それは、かなり恐ろしい状況と言えるだろうし、関係者としては避けたい状況でもある。

なんといっても、レビューは物選びに役立つのだ。自分でそのレビューを評価さえすれば、だが。

ステマの問題は、ルール違反にあるだけではない。もし、一度でもそういうことが発覚すると、普通についたレビューですら一切の信頼を失ってしまう。すべてが疑わしく思えてしまう。当然、その不信感はコンテンツそのものへとも波及していくだろう。

メディアの主としては、それが最も恐ろしいことのはずだ。致命的とすら言えるかもしれない。

もちろんはなから詐欺をしようと思っているならば、ここまでの話は聞き流しててくれてもいい。僕はあくまで、「何か何かをつなげるような」姿勢としての「メディア的に生きる」という文脈においてこの警句を発している。

その1:レビューを自分でレビューしよう
その2:ステマ、ダメ絶対!

以上だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?