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第二回:ロバのように決められない私

あっという間に終わってしまう休日って、よくありますよね。

今日はたっぷり時間があるからと壮大な計画を立て、朝一番は意気揚々と過ごすものの、昼下がりくらいから雲行きが怪しくなり、夜になる頃には「もうこんな時間か……ぜんぜん何もできなかった……」と落ち込んでしまう。なんとなく残念な感じです。

朝一には、たしかに時間はあったはずなのです。でも、終わってみればタスクリストは未消化の山。焦りの気持ちは強まります。特に、日常が忙しく「時間があったら、あれもこれもできるのに」と思っているなら、なおさらです。時間がなくてできないが、時間があってもできない。だったら一体どうすりゃいんだよ、と叫びたくもなります。「やっぱり、自分やダメな奴なんだ」と考えたくもなります。

そんな自分に比べれば、タイムラインでバリバリ仕事をこなす報告をしている人がまぶしく輝いてみえ、自分の手をじっと見つめてしまう。辛い話です。

しかし、よくよく話を聞いてみると、同じような体験をしている人は少なくありません。普遍的とまでは言えないまでも、特別に落ち込まなければならない状況ではなさそうです。

たしかに休日を効率敵に過ごし、充実した一日を送る人もいる一方で、思ったように時間が使えない人も少なからずいます。そして、そのような人だって、ぜんぜんまったくできないわけではありません。たとえば、朝一番は、思うようにスイスイ作業を進めたりはできるのです。あるいは、ほとんど時間がないときに、思いもよらぬやる気を発揮して、意外なほど成果を上げられることもあります。

だからここでは、「頑張ってできる人が何か特別な才能を持っており、自分はそれが欠落しているのだ」という〈ダメな自分〉仮説はいったん横においておき、ある状況ではできることがあって、別の状況ではできないことがある、と捉えてみるようにしましょう。言い換えれば、ひとりの人間の中でも、「ダメな自分」モードと「よくできる自分」モードがあると考えてみるのです。

すると、気になるのはその違いがどこにあるのか、ということです。

少し違った話をしましょう。「ご飯を食べる」話です。

お昼ご飯に何かを食べるためには、何を食べるのかを決めなければいけません。ところが、疲れ切っていると、自分が何を食べたいのかがわからず、ショッピングモールのフードコートをあっちにいったりこっちにいったりして、結局まったく食事にありつけないことがあるのです。

お腹は空いているには空いているが、ハンバーガーを食べたい気分ではないし、ラーメンは体重が気になるし、うどんは昨日食べたし、クレープだとちょっと物足りない。オムライスは高いしな……。ああ、どうしようか。まるでビュリダンのロバです。

当たり前の話ですが、何を食べるのかを決められなければ、何かを食べることはできません。逆に言えば、何かを食べることの前段階には何を食べるかの決定があるわけです

あなたが赤ちゃんで、保護者が食べるべきものを口の先まで運んでくれるなら話は違っているでしょうが、多くの人は成人であり、食事選択の自由を持ちます。そして、そうであるがゆえに決められないことが起こりえるのです。

そう考えてみると、タスクリストにも似たようなことが言えるかもしれません。

タスクリストに記載されている項目を実行する前には、どのタスクを実行するのかの決定が必要です。それがなければ、タスクが実行に移されることは永久にありません。

つまり、「タスクが実行できない」状況があるにしても、実はその前段階に「実行するタスクが決められない」状況が眠っている可能性があります。そして、もしそれを決めさえできれば、タスクを実行できる可能性もまた眠っています。

では、なぜ実行するタスクが決められないのでしょうか。そこにはいろいろな理由が考えられそうです。

(第三回につづく)

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