9歳:カツラーメンの頃

りゅうちゃんは食い意地が張っていた。

それを証明するようにしっかりと肥満児で、小学6年頃には90kgもあって、早くも人生での最高値をつけているほどだ。
りゅうちゃんはいま37歳になったらしいが、76kgくらいなので、子供の頃の方が確実にデブっていた。

クラスには必ずデブ枠というものがあるが、小学校の6年間、りゅうちゃんはその枠をしっかり死守していたのだった。

その頃、りゅうちゃんの大好物に「カツラーメン」という、とんでもないシロモノがあった。
電車もない小さな田舎では、日曜日にお父さんの運転する車で都会のスーパーまで出て行って買い物をするのが刺激的な娯楽だった。
都会と言っても札幌とかに出るわけでもなく、江別や岩見沢といった町に出向いた。たまに当別町にも行くのだが、くだんのカツラーメンはそこにあった。

国道から見える田んぼの真ん中に突如トレーラーハウスが建っていて、それがラーメン屋の店舗だった。
お父さんは「醤油ラーメン」、お母さん「味噌ラーメン」を頼むのだが、りゅうちゃんは「カツラーメン」一択だった。

ラーメン屋のオヤジさんは当時中日ドラゴンズで活躍していた落合に似た中肉中背のオヤジさんで、白タオルのハチマキにランニングシャツといういで立ちで、汗だくになりながらラーメンを作っていた。

しばらくしてテーブルに差し出されるドンブリ。
ベースは醤油ラーメンで、その上に揚げたてのカツが、一枚まるごと鎮座していた。
見るからに食べ応え満点のヘビー級だ。

りゅうちゃんはテンションが上がった。
食べはじめはサクサク食感のカツだが、次第にスープを含みびしょびしょになってくる。だが、これがまた旨い。
そしてスープにもトンカツの脂が溶けて滲みだし、味わいに深みが出てくる…。
うまくてたまらず、トンカツも麺も、気が付けばスープも一滴も残さず食べるのが常だった。

落合のオヤジさんも空になったドンブリを見て微笑んでくれたものだ。
褒められたような気がしてりゅうちゃんも微笑んだ。

しかし、こんなものを食べる子どもが太ってないわけがない。
当時はカロリーといった概念もなく、異性や健康を意識して節食する年齢でもないので「旨けりゃなんでもござれ」だった。

いま思うと怖い反面、怖いもの知らずの幸せもあったように思う。

でも、両親に対して「なぜそれを食べるのを許した…」という気がしないでもないが、我が子が笑顔で好物を貪り食べる光景がうれしかったのかもしれない。

さて、その当別にあったラーメン屋だが、いまはもう無い。
りゅうちゃんが中学生になる頃、落合のオヤジさんが首つり自殺して店を閉めたと噂に聞いた。

異性の目を気にするようになってから、カツラーメンは小学生以来、口にしていない。
大人になって近くの国道を走ってトレーラー店舗の跡地を見るたび、あの味を懐かしく思うのと同時に、なんとも複雑な心境になるのだった。

(完)

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