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おばさんと電車と死体【リレー小説/⑬】

胸がぎゅうっと締めつけられるような気がした。やっぱりそうなんだ。彼は有珠さんに会うためにダイブし続けてるんだ。受け入れられないんだ彼女の死を──。叫び出したい衝動に駆られたがぐっとこらえた。施設内で大声を出すのは禁じられている。堪らない気持ちのまま、同じキーワードを自分の端末に入力した。

第⑫話はこちら


 色とりどりの紙吹雪がきらめきながら舞っている。
 飾り立てた巨大な山車が次々と通りを通過してゆく。いろんな動物を象ったカラフルな像、枝を四方に伸ばし宝石の実を鈴なりに実らせた大きな木、風変わりな装飾と美しい尖塔が立つ豪華なお城……。
 音楽が空気を震わせて、派手な羽飾りの衣装を身にまとったダンサーたちが舞い踊っている。それらのまわりを、大勢の客が囲んでいた。ありとあらゆる年齢、性別、国籍の人びと。カラフルな衣装を身にまとい、笑ったり、飲み物を飲んだり、串に刺した肉やチョコレートをかけたフルーツをほおばったりしている。
 私は赤と黒のツートンカラーのドレスを着ている。襟と袖と、足先まで隠れる長いスカートのふちに、白い飾りがついている。頭に触れると王冠の硬い感触。周りの人々が私に目を留めて「ハートのクイーン」とささやく声が聞こえる。私に向けられる人々の笑顔のなかに、わずかな惧れを感じとる。彼らは私が進むと道をあけ、私は群衆のなかに知っている顔を探した。

 これは私の夢。でも、彼の夢ともつながっているはず。ダイブインした直後の数秒の暗闇のなかに、網の目のように巡らされたダイブ中の人びとの思念が見えた。そのなかから彼の思念波を捕まえて引き寄せ、内側にすべりこんだ感覚があったのだ。初めてだったのに、ずっと前から知ってるみたいに易々とそれができた。どうしてなのか説明できない。生まれた時から肺で呼吸したり、口で乳を吸ったりすることができるのと同じような感じ、としか言いようがない。
 色彩の氾濫のなかで、小柄な姿が目に飛び込んできた。薄い水色と白のエプロンドレス。襟もとからのぞく華奢なうなじ。まわりに比べて質素な服装なのに、内側から光を発するみたいに輝いている。私の胸は懐かしさではちきれそうになった。そう、もちろん彼女も一緒にいるに決まってる。彼女は横に並んだ黒い男に微笑みかけた。黒いジャケットにズボン、帽子もシャツも黒。黒い水玉模様の赤いネクタイが目立っている。中嶋だ。晴れやかに笑っている。
 喧騒のなかで、彼女は私に気づくとパッと顔を輝かせて叫んだ。
「ちーちゃん!」
 そして駆け寄ってくると私の手を取った。
「すごく素敵!ハートの女王様だあ、めっちゃ似合う!」
「あり、がと……」
 言葉が喉につかえて出てこない。ああ。ああ、有珠さんだ。もう二度と会えないと思ってたのに。有珠さんは頬をピンク色に上気させて、はしゃいでいる。
「ちーちゃんも一緒に観れてうれしい……さっきの山車見た?象がダンボみたいでかわいい……ダンスそばでみると圧倒されるね……チョコがけ苺串、おいしかったよ食べる?向こうにあったの持ってこようか……レモネードのちょっとアルコール入ってる奴がね、すごく美味しくて、これうちの店でも出せないかなあって……」話の内容が頭に入ってこない。私はじっと彼女の顔を見つめていた。
 音楽がひときわ大きくなり、今までで一番大きな山車が現れた。ハート模様が散りばめられたお城で、まわりでトランプ兵士の仮装をしたダンサーが踊っている。山車は徐々にスピードを落として動きを止めた。城の城門から、窮屈そうにお仕着せを着込んで二本足で立つウサギが出てきて、細長いラッパを吹いた。ファンファーレが鳴り響き、小さな牡丹の花のような白い紙吹雪がたくさん降ってきた。
 そこらじゅうで歓声が起こった。有珠さんは上を見上げて目を輝かせ、両手を空にかざして花を受け止めようとする。

 ゆっくりと宙を舞う白い花のなかで笑う彼女……

 一挙一動がスローモーションのように、私の目に刻まれる。

 これは夢にすぎない。夢から目覚めた先の世界に彼女はいない。

 涙で滲んで景色がぼやける。
 有珠さんの向こうに中嶋の顔が見えた。私と同じように、目に涙をためて彼女を見ている。
 目線が合って彼は驚いた。「これ……おれの夢だよな?」私はかぶりをふった。「あなたの夢でもあるし、私の夢でもある。……ね、気持ちわかるよ。こんな風に有珠さんに会えたら、そりゃダイブから抜けられなくなるよね。でも有珠さんとふたりで築いてきたお店は?もし、失うことになったら」
「もし?」中嶋は目を見開いて、声を震わせた。「俺もさ、あれからずっと"もし″を考え続けてるよ。もしあの時、塩を切らさなければ。もし有珠が買いに行くのを止めることができていたら。もしあの車があの時、交差点を通らなかったら。そう悔みながら人生の残り時間を生きるしかないんだろうな。クソったれのロスタイムみたいな人生を」
 そう言うと有珠さんの肩に手をまわした。そして沿道から山車に向かって大声で叫んだ。
「おおい、女王のタルトを盗んだのは俺たちだ!!俺とこの女が女王のタルトを盗んだ!」
 私は驚愕した。山車で踊っているダンサーも周りの人びとも、いっせいに動きを止めた。音楽も止まり、しいんと静まった通りに紙吹雪だけが音もなく降り注いでいる。ウサギが山車からこっちを見下ろして叫んだ。「そいつらを捕まえろ!」
 トランプ兵士の仮装をしたダンサーたちが一斉に動きだして、中嶋と有珠さんを取り囲んだ。私は慌てて彼らとダンサーの間に割って入ろうとしたけど、ほかのダンサーに抑えられてしまった。有珠さんはきょとんとしていて、中嶋は思いつめたような表情をしている。ふたりとダンサー達はひと固まりになって山車の上へ登った。
 ふたりは城門前のスペースに城を背にして立たされた。生垣の赤いバラの木が棘のあるツルを伸ばして、ふたりの手首をいましめた。ウサギは山車の先端まで進むと、聴衆を見渡して声をはりあげた。
「タルトを盗んだ罪びとのぉーつぐないはぁーいかに?」
 すると、あちこちから楽しげな声が上がった。「鞭打ち百回ぃ」「しばり首っ」「首を刎ねてしまえ」「はりつけはどうだ」
 私はぞっとして叫んだ。
「何いってんの!?あんたたち頭おかしいんじゃないの。ふたりを離して!いますぐ解放しなさいっ」
 周囲の目が一斉にこちらを向いた。「女王……クイーン……ハートの女王が……」ささやきの輪が広がってゆく。ウサギは私の姿に目をとめ、山車の上をちょこまかとこちらに近づきながら慌てて言った。
「そちらにおわしましたか。なんじら、早ようクイーンをお連れせよ、丁重にな!……クイーン、情け深く慈愛あふるる我が主よ、罰には罪、罪には罰をと、我が国の法律では」
「うるさい!」
 ダンサー達の手をふり払って山車に登った。無性に腹が立っていた。何様だ、たかが夢の分際で。みんなイジェクトすれば一瞬であぶくみたいに消えてしまうくせに。ふたりの前に立つと、中嶋は苦笑した。
「まあそう怒らないで。こいつら俺のシナリオで動いてるんだからさ」
「中嶋、あんたどういうつもり!?有珠さんとの大事な時間をくだらない茶番でぶち壊して。いったい何がしたいの」
「俺のしたいことか」中嶋が戒められた両手をひっぱったとたんに、バラの木は彼を放した。自由になった彼は、スペースを囲んで立つ兵士のひとりに近づくと、腰にぶら下がった鞘から剣をひき抜いた。
 そして有珠さんに向き合って、さっと剣をなぎはらった。有珠さんの首は胴体から離れて床に落ち、転がった。
 私は悲鳴をあげた。「有珠さん!!」落ちた首に駆け寄った。有珠さんはあどけない表情で、まるで眠っているみたいだ。首から流れた血が、ちいさな真紅の蝶になって飛び立ってゆく。
 泣いている私を中嶋が見下ろして、静かにささやいた。
「泣くことはない、どうせ偽物の有珠だ。死は──絶望──じゃあない……俺と本物の有珠を隔てているものは、それほど決定的じゃない。君も死んでみればわかるよ」
 中嶋はふり返って、後ろにいた白ウサギの首を刎ねた。それからトランプの兵士に襲いかかると数人に切りつけた。流れる血はことごとく蝶になり、逃げ惑う兵士たちと真紅の蝶で山車の上は赤く彩られた。兵士たちは山車の上から飛び降りて群衆のなかに逃げ込んだので、混乱は周囲の観客に伝播してゆく。悲鳴と怒号があふれ、人々はパニックになっていった。
 群衆の狂乱を見下ろしていた中嶋は、有珠さんの首を抱えて座りこんでいる私の目の前にしゃがんだ。そして剣を私の手に握らせた。
「さあ千鳥。いやハートのクイーン。俺の首を刎ねてくれ」
 私は長年の友人であり、恩人でもある男の顔を見つめた。道に迷ってくたびれきって、泣きながら腹を立てている子供みたいだと思った。彼のこころの深淵の、底の底まで凍りついた冷たい怒りとかなしみが、私のこころに染み込んできた。

 このひとは。

 彼女がいない世界で。

 もう生きていたくないのだ。

 いまは私の言葉は彼に届かない。これが唯一、彼のこころに寄り添う方法なのかもしれない。
 私は腕に抱いていた有珠さんの首を中嶋に渡した。彼は素直に受け取ると、彼女の首を抱えたままその場に座りこんで、眼を閉じた。

 立ち上がって剣を構え、思いきり振り下ろした。真紅の蝶が群れ飛んだ。


第⑭話に続く→

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