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先人は偉大であっても万能ではないって、ね?

時代も世界も移り変わりがあるので、かつてのルールや掟が今も守られるべきかは常に検証が必要、だ。

よう、兄弟。俺だ。真面目にシャルルマーニュの逸話など調べる気になった気分だ。

おまえはルール、についてどう考える?
おれ個人の考えとしては、ルールは少なければ少ないほど良い、と考える。
義務や禁則事項が多ければ多いほど人間はストレスを感じると考えるからだ。

だが、ブディズムにはやたらめったら決め事が多い。
というのも、開祖ゴータマ・ブッダは弟子に対しあれこれ戒律を定めたからだ。まあ、それはそれで当時としては必要だったのだろうと俺は思う。

しかしながら、ブッダが入滅してからすでに2000年以上たっているといわれる。繰り返しになるがブッダはごく普通の人間だったため、そんな2000年後も全部が全部、通用する教えを作ったわけではない。むしろ2000年の月日を経てなお教えの大部分が有用であることは驚嘆すべき事実ではあるが。

何故こんなことを書いているかというと、タイの方で「僧に対して寄付されたものを拒んではならない」という戒律を守った結果、タイの信仰に厚い人々がやたらめったら食べ物を寄付するのでタイのボンズがメタボで困っている、という話を目にしたから、でな。

これは推測だが、ブッダの生前の時代では食べ物が貴重ゆえ、寄付された物を粗末にするのは冒涜的行為だったのかもしれぬ。
だが、現代ではありがたいことに食品の確保は大きく改善された。
※このエントリを書く際に軽めに確認したが、この戒律がいつ頃生じたのか確認することができなかった。俺僧の記憶では開祖の説いた戒律だったと思うのだが、間違っていたらすまぬ。

そのため、信仰に厚いタイの人々がボンズを熱く信仰し、ボンズ側も真面目に戒律を守った結果弊害が発生してしまったといえる。誰も悪くはないのだが、ルールを愚直に守った結果、デメリットが生じてしまった一例だといえるだろう。

この様に、いかに偉大ではあっても先人の時代とおれたちの時代では状況が異なる。それゆえ、ただ開祖ゴータマ・ブッダの教えのコピペではなく、現代に生きるボンズ達が現代に合った教えを説かねばならないのであるな。

今日はここまでだ、またな。

#コラム #ブディズム #ルール

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