ちるとしふと表紙

千原こはぎさんの『ちるとしふと』

千原こはぎさんの歌集『ちるとしふと』(書肆侃侃房・新鋭短歌シリーズ39)がとうとう発売された。もちろん、早速いち千原こはぎファンとして買ってしまいましたよ。いや「こはぎ推し」としては買わねばなるまい。そのくらいずっと発売を待っていたのです。

(写真はこはぎさんのブログからお借りしました)

歌集『ちるとしふと』刊行のおしらせ (『ちるとしふと』の販売先をまとめた、こはぎさんのブログ記事に飛びます)

ここでは彼女の歌集を初めて手にする読者さんのために、『ちるとしふと』を読んだ感想を書こうと思う。Twitterのタイムライン上で見かけて、気になって買ってしまったあなた。書店でたまたまこはぎさんの歌集を見つけて、表紙買いをしてしまったあなた。書店で中身をチラ読みして、なんとなく気に入って買ってしまったあなたのために(中には「短歌ってなんだっけ」というひともいるかもしれないので、取り敢えずここでは俳句ではないから575ではなくて57577、百人一首と同じですね、とだけ触れておきます)。

千原こはぎさんという歌人

こはぎさんの本職は、イラストレーター・デザイナーで、わたし自身はTwitterでこはぎさんの作品を知り、「短歌なzine うたつかい」を通して、短歌以外にもイラストやデザインも手掛けているのだと知った(いやだからそちらの方が本業なのだけれど)。しかも朗読や合同歌集などの企画、歌会の主催までしてしまうのだから、マルチプレイヤーと呼ばずになんと呼ぶ。いや、マルチプレイヤーです。本当に。

こはぎさんは自分で自分の本をデザインして出せてしまえる(しかもセルフプロデュースまで)稀有な歌人さんで、私家版の『これはただの』も素晴らしかった(こはぎさん運営のブログから購入できます)。だけどやはり書肆侃侃房さんから、しかもいま話題の新鋭短歌シリーズから『ちるとしふと』が発行された意味は大きい。監修はなんと加藤治郎さん。こはぎさんの歌集をメジャーな書店で手に入れることができるのはすばらしいことで、しかもAmazonでも買えるのだからすごい。これで全国民にこはぎさんの歌集を手に取ってもらえる可能性がぐんと広がったのだから、なんてステキだろう。もちろん装丁やイラストもこはぎさんによるもので、表紙のイラストやデザイン、そして色使いにも注目していただきたいです。

『ちるとしふと』が見せてくれるもの

まずタイトルの「ちるとしふと」から、こはぎさんの歌の根底に流れるある種のイメージが浮かび上がる。おもちゃの街。リアルなようでほんの少しだけ現実味の欠けた世界。現実と虚構の間。こはぎさんの歌がたくさんのひとに受け入れられるであろう理由は、そこにあると思う。見慣れた現実のようで、リアルではない世界にひとは誘われてしまう。だからこそ受け入れ、共感しやすいのではないか。

『ちるとしふと』の中には主人公とでも呼べる女性(達)がいる。彼女(達)はこはぎさん本人のようでいてたぶんそうではない、パラレルワールドの中の、こはぎさんの分身のようにも思える。たぶん叶わないであろう恋に悩む、イラストレーター・デザイナーさん。たったひとつの、またはいくつかの恋を経て、自分の抱える仕事を通して生きている。息をしている。そこに読者は共感してしまう。甘い恋、切ない恋、叶わない恋、破れた恋。滅多に会えなくて、会ってもすぐに別れの時は来て。会えば激しく求め合い、またはなんてことのない時間を慈しむ。触れ合う指と指、重なり合う肌の熱さ、やさしさ愛おしさ。別れの辛さ、ひとりぼっちのさみしさ。この世界の中には、狂おしいほどの感情を嫌でも味わってしまった大人がたくさんいて、だからこそ『ちるとしふと』を手にしてしまったのではないか。だってそう、いつの間にか共感してしまったから。

こはぎさんは感情の例えが実にうまいから、彼女の詠んだ歌につい共感をしてしまう。恋の甘さに関して言えば、こはぎさんの歌は激甘だ。甘過ぎて歯が痛くなるかもしれないけれど、だからチョコはおいしいんじゃないか。さあ、お食べ。食べてしまえ。食べてあなたも身悶えしてしまえばいいのだ。

誰にでもひらくんじゃないただひとり全てをひらくひとがいるだけ 「触れないドア」
ごめん月が白すぎたからもう一度さっきの二文字を隠れて言って 「星のピアス」
すきすぎてきらいになるとかありますかそれはやっぱりすきなのですか 「宇宙に雨を」

それとは別に恋のさみしさについてもそうで、その感情さえ絵になる言葉を拾う。

存在をときどき確かめたくなって深夜ひとりで立つ自動ドア 「2番線ホーム」
見えていることだけ見えていればいい忘れるために踏みつける雪 「繭」
晴れててもひとりで泣ける両腕に溢れるほどのあじさいがある 「傘を待つ」

口に出せない感情があって、それは脳髄が溶けてしまいそうな甘さであったり、虚しさやさみしさだったりして、それを口にしたらそれらの感情に取り憑かれてしまいそうになる。だからこはぎさんはそれを歌に託す。少しだけきれいに、少しだけわかりにくいように、あからさまに見えないような形で、慎ましく表現する。でもそこには独りよがりな暗号化はなくて、誰にでも解凍・解読できるようにやさしくその感情を圧縮する。短歌という57577の形に乗せて。

次に、こはぎさんの作品に顕著な連作のストーリー性だ。こはぎさんの連作を読み通すと見えてくるストーリーがある。例えば「暗号」という連作では、1首57577が18首に繋げられると、あるひとつの物語が現れる。そしてそれは、愛するひととの逢瀬の始まりから終わりまでを連想させる。「わたし」という女性がいて、「あのひと」もしくは「あなた」と呼ぶ男性がそこにいるのだ。「わたし」が「あのひと」と会うためにはしばらく電車に揺られねばならず、会えばその度に甘い夜を過ごすのだろう。だけど否が応でも溶け合ってしまう夜はいつしか明けてしまい、朝になり、別れの時がやってくる。そして別れた後でさえもその甘い余韻に浸ってしまう。平安でも平成でも、恋の歌は詠めば永遠になるのだ。

さてその「暗号」から3首引く。

あのひとに俺のと言われるためだけに長い電車にゆられています
「公道でこんなことするひとだった?」「公道じゃなきゃこれで済まない」
  どこまでもやさしく触れてくれるからひとりの部屋に雨をふらせる

読んだ後は、一編の恋愛掌編小説を読み終えたような気持ちになる。少なくともわたしはなんとも言えないにやけ顔になった。つい共感してしまうのだ。例えひとりひとりの「恋愛体験」は違うにしても、こはぎさんの歌を読むと自らそれが瞬間解凍されてしまうのだ。過去に封印したなにかを。もしくは、いま現在抱えているものの、しっかりと蓋をしているはずだと思っているなにかを。こはぎざんの短歌に触れてしまうと、溶け出してしまうなにかがあるのだ。泣いてしまうひともいるかもしれない(わたしはにやけ顔になってしまったけれど)。それほどこはぎさんの歌は読者の心に寄り添い、そして「それでもいいよ」と言ってくれる。恋に悩む読者の心に語りかけてくれるのだ。

こはぎさんに託す夢

こはぎさんの歌集は、もちろん歌集コーナーに置かれるべきだと思うのだけれど、わたしはもっと他の場所にも置いて欲しいと思っている。3ー4年くらい前のことだろうか。わたしは夢を見た。わたしは夢の中で、とある書店にいた。いつもよく行くお店で、入り口近くに回転ラックがあった。そこには気軽に持ち歩けるサイズの、表紙イラストが素敵な本がたくさん飾ってあって、大抵は恋や人生に悩む若い女性がターゲットの本だった。そしてなんとそこに、こはぎさんの本が堂々と飾ってあるではないか。確か正方形の形をしていたように思う。けれどしばらくするとわたしはなぜかカフェに移動していて(夢ですからね)、こはぎさんのイラスト入りポストカードがカウンターに飾ってあるのだ。わたしはこはぎさんに「こんな夢を見たよ!正夢になるかも!」とTwitterで報告したけれど、もちろん本気にはしてもらえず、「そうなるといいね」で話は終わってしまった。

あれからあっという間にこはぎさんは私家版の歌集を出し、ポストカードも作ってしまった。新鋭短歌シリーズで有名な、若い歌人ならだれでも羨む出版社からも歌集を出してしまった。正夢ってあるんですね。だから今度は、書店の回転ラックにも置かれて欲しい。歌集と知らずに手に取られて、そのまま誰かのバッグの中に収まって欲しいから。そのひとは、ずっと大切にその歌集を持ち歩くだろう。そして新しい恋に悩んだら、その歌集を開いてこはぎさんの歌を読むだろう。大切なひとの顔を思い出しながら。

わたしはいま、そんな未来を夢みているのだ。
そしてそれは、また正夢になるように思う。

とりあえずまたそれが正夢になったら、わたしは夢占い師にでもなろうと思う。わたしの夢占い師デビューは案外近いのかもしれない。

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