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ノンデュアリティコラム

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ノンデュアリティのカリキュラムの横に置いてある知識集です。 知っていると知らないとでは大違いです。 以前書いたブログの要約です。読みやすさ重視で書き直しました。一部に編集が完了… もっと読む
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#ノンデュアリティ

なぜ、ノンデュアリティで悩みが消えるの?1

悩みの種類もいろいろありますが、その個々のことに対処しようとすると、時間が多くかかってきます。 それがもう嫌なので、根本的な治療をしたいと思います。 ノンデュアリティを学ぶと以前あったような悩みが持てなくなります。それはなぜかと言いますと、 理由1 理想だとわかる起こってもいないような架空の話に貴重なエネルギーをつぎ込んで摩耗しているという事実に気づくので、それとは今後一切きっぱりと縁を切ります。 事実と誰かの心配をごちゃまぜにして自分の話に興味を引き付けたいんだ、と見

なんで本質は無だとわかっているのにそうするの? 現実の共同創造の仕方 2

上の続きです。 ノンデュアリティ目線だと創造できるということに疑問符を抱くと思いますが、その意味を教えてくれた時のメッセージです。 なったようになる、在るように在るだけ、というのは仕組み的に顕在意識(小さなセルフ)にはわからないことだらけで、そのコントロールをしていない(できない)ということがあります。できているかのような錯覚を持つというのはまた別の話です。 それでもなお、引き寄せだとか、現実創造だとかいうことがはやっていてそのことに疑問を抱くことがあったのですが、その

まれに不安感が来るのはなんで?

あるものはちゃんとあって、ないものは(どこを探しても)ちゃんとない。 不安感はある時だけあり、ない時はどこを探しても絶対にない。 これが大原則です。 そして、ここからチャネリング情報です。 悲しみと苦しみを避け続けて不感症になり、エゴを邁進させると、聞かん坊になって誰彼構わず怒鳴ったりと暴力を振るうようになって困った人生を送る事になれるよ。 だから定期的に悲しみに触れてるんだよ。 本当に人の心がわからない人になりたいの? (恐れも不安も悲しみの1カテゴリ) 不安に

最も小さき無くなりようのない自由

無くなることが絶対にない自由 今の状況、今の立場、今いる場、今の自分、『今』というこの現場にある物事を徹底的に理解、肯定すれば、そこにのみある『最も小さき無くなりようのない自由』というものに目が向きだします。 『最も小さき無くなりようのない自由』とは一体何でしょうか? ごくシンプルに言うと、もっとも単純な自由のことです。原初的な自由のことです。肩の力が抜けているような全くフリーダムな何の気負いもないシンプルさのことです。これは説明のための言葉ですが、そうではない実際の感

ノンデュアリティを理解したのになぜ幸せを求めるのですか?(否定感無し)

あるがまま、ただあるように在るだけだというのに、なぜまだその事実を否定して幸せなるものを求め続けるというのでしょうか? 否定感なしで説明してみます。 それは、まだ何かできると思うからです。 または、幸せである方が気持ちがいいと感じているからです。 それはそうです。確かにそうです。全く否定できません。 しかし、だからと言い、それを今求める理由にしていない、ということも知るといいと思います。 手を伸ばせば届く範囲にあるのであれば手を伸ばして機会を得ることは普通で、手を伸ば

なぜ、ノンデュアリティで悩みが消えるの?2

1ページ目からの続きです。 理由3 自分軸に立てる ある時、いろいろな情報に対する不信感が大きく膨らんだ時期がありました。 誰かの何かのサングラスを通して歪んだような情報を、また自分のサングラスを通して受け取って歪まして悩んでいる。そんなことに意義を感じなくなりました。 なのでそこから先は、瞑想のときには「ありとあらゆるすべての仲介者を手放します」と常に思ってきたので、今はデフォルト設定であらゆる仲介業者は不要になっています。 自分とソースは別物ではないというところ

ノンデュアリティの入り口は2つです

ノンデュアリティの入り口は2つですノンデュアリティの入り口には、 今ここ 私はいない という、主に2つの入口があります。 一つ目の入り口は、 1) 「今ここ」というところにシンプルに余計なものを省いて見ていくと、言葉に出来ないただ「これ」があるだけという感覚に気がつくことができます。こちらは瞑想など悟り関連に興味がある人が通ってくる入り口です。 それに対して、2つ目の入り口は、 2)「私はいない」という入口がごく普通の一般的な人のノンデュアリティの入り口です。自

ノンデュアリティの効果効能

ノンデュアリティを知ると捉え方が180°変わる。 しかし、現象には意味がないという意味を、生きる意味がなくなると捉えるのは大間違い。絶対的な意味付けというのはなくて、相対的な意味付けがちゃんとあるという意味。 または、もう不要な意味付けをやめて良い、つまり好きな意味付けに更新して全然構わないよという感じ。または、一般常識が空想をベースにしているのに気がつくことで、それを利用するのをやめ、事実ベースの価値観にMNP※1 してもいいんだよ、ということ。 ※1 ナンバーポータビ

リポーターの例えとは? A.『順次展開』

リポーターの例えでは、どれが真理かではない。順次展開。これは、テレビでVTRを流した後、スタジオに戻してタレントにそのVTRの感想を聞くときに、VTRのはじめから丁寧に一つ一つの場面を区切って話してもらうかのような有様。誰々さんにどの場面のコメントを言ってほしいかのカンペを出しているという感じ。 キッチンカーに行列ができていて、並ぶお客さんにリポーターがお話を伺うという場面では、ある出来事(現象)に対する様々な立場の違いから見えたもの経験の違いがあって、それを番組としてひとつ

虚無を回避する方法と虚無の解決方法

ノンデュアリティを学び始めると虚無になる場合がある。その仕組みと解決方法があるのでそれをシェアします。 「私はいない」にまつわる悩み 分離の意識、教えられたことに納得するエゴの意識上では、自分にできることというのはなにかすごいこと、使命、役割みたいなだれかに任命されるようなこととか、誰かがしていて羨ましく感じることを自分もしてみようとしてそれができないと落ち込むという、こういったトラウマがある。 それらはすべてエゴ特有の空想ベースの範囲内でのおままごとの話だという感じ。実際

デュアリティの構造

次に、デュアリティの構造を解説していく。 『リアリティーを新たな切り口から経験してみたいので、「条件」というツールを使ってみたい!』 現実の見え方を決める方法として、(分離の口実として、捉え方として、切り口として)必要になるのが『条件』。 もし、条件が一個もなければ、分離のしようがないので一つの世界観で見る。それは無条件である「全てはすべて/私」。 ここからの章ではデュアリティというものが何なのかを紐解く。 分離するための手順の獲得方法 自分が持っている条件リストのチェック

感覚タイプと思考タイプでは納得の仕方が異なる

思考タイプの人が感覚タイプの人の話に同調できずにフラストレーションが溜まるあの感じ。早くすぱっと要点を言ってくれない。もやっとする感覚。 感覚タイプの人は共感や共鳴に全ぶりしているのであって、なにかを説明しようとして自分の話をしているわけではないという理解。思考タイプの人がその生態に気がついて歩み寄ると、事は自然に解決できる。 感覚タイプの人でも、素のノンデュアリティを理解している人など存在しなくて、単に素のノンデュアリティを体験した後に感じた「概念」談をおすそわけしてい

意味付けが自然と外れている時がある

がんばって意味づけを外そうということよりも、意味づけが自然と外れている時があるからそれに気づいた方が早い。 何かに夢中になってて気がつくとお昼の時間だったりした時、思い返すと自分という何かはいなかった。 その時が意味づけが外れていて、現象として起こっている事に単に意味づけを全くしていない時だからスムーズにことが運んでいた。 後から思い返した時に感じたその感覚のことを、「あぁ、あれが現象と言われている感じだったんだー」とわかる感じ。 意味づけをしてないでスムーズにことが

気づきが「気づき」に気づくこと

1) 「ノンデュアリティとは『空』を指し示すもの」。空と呼ばれているものが何なのかをこれから知ろうとすること。空とは量子場の前にあるもの。量子場が気づき。 2) 「ノンデュアリズムとは、あるがままのリアリティの立場から選択すること。」 3) 「ノンデュアリティムーブメントとは、事実ベースのリアリティに参加することを表明したということ。」 ※1 解説) 「空=ノーシング=名前のないもの=なんでもないもの」を指し示す手がかり/アプローチ/学習要件のことをノンデュアリティと言う。