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ノンデュアリティコラム

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ノンデュアリティのカリキュラムの横に置いてある知識集です。 知っていると知らないとでは大違いです。 以前書いたブログの要約です。読みやすさ重視で書き直しました。一部に編集が完了… もっと読む
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#非分離

なぜ、ノンデュアリティで悩みが消えるの?1

悩みの種類もいろいろありますが、その個々のことに対処しようとすると、時間が多くかかってきます。 それがもう嫌なので、根本的な治療をしたいと思います。 ノンデュアリティを学ぶと以前あったような悩みが持てなくなります。それはなぜかと言いますと、 理由1 理想だとわかる起こってもいないような架空の話に貴重なエネルギーをつぎ込んで摩耗しているという事実に気づくので、それとは今後一切きっぱりと縁を切ります。 事実と誰かの心配をごちゃまぜにして自分の話に興味を引き付けたいんだ、と見

ノンデュアリティの入り口は2つです

ノンデュアリティの入り口は2つですノンデュアリティの入り口には、 今ここ 私はいない という、主に2つの入口があります。 一つ目の入り口は、 1) 「今ここ」というところにシンプルに余計なものを省いて見ていくと、言葉に出来ないただ「これ」があるだけという感覚に気がつくことができます。こちらは瞑想など悟り関連に興味がある人が通ってくる入り口です。 それに対して、2つ目の入り口は、 2)「私はいない」という入口がごく普通の一般的な人のノンデュアリティの入り口です。自

感覚タイプと思考タイプでは納得の仕方が異なる

思考タイプの人が感覚タイプの人の話に同調できずにフラストレーションが溜まるあの感じ。早くすぱっと要点を言ってくれない。もやっとする感覚。 感覚タイプの人は共感や共鳴に全ぶりしているのであって、なにかを説明しようとして自分の話をしているわけではないという理解。思考タイプの人がその生態に気がついて歩み寄ると、事は自然に解決できる。 感覚タイプの人でも、素のノンデュアリティを理解している人など存在しなくて、単に素のノンデュアリティを体験した後に感じた「概念」談をおすそわけしてい

意味付けが自然と外れている時がある

がんばって意味づけを外そうということよりも、意味づけが自然と外れている時があるからそれに気づいた方が早い。 何かに夢中になってて気がつくとお昼の時間だったりした時、思い返すと自分という何かはいなかった。 その時が意味づけが外れていて、現象として起こっている事に単に意味づけを全くしていない時だからスムーズにことが運んでいた。 後から思い返した時に感じたその感覚のことを、「あぁ、あれが現象と言われている感じだったんだー」とわかる感じ。 意味づけをしてないでスムーズにことが

気づきが「気づき」に気づくこと

1) 「ノンデュアリティとは『空』を指し示すもの」。空と呼ばれているものが何なのかをこれから知ろうとすること。空とは量子場の前にあるもの。量子場が気づき。 2) 「ノンデュアリズムとは、あるがままのリアリティの立場から選択すること。」 3) 「ノンデュアリティムーブメントとは、事実ベースのリアリティに参加することを表明したということ。」 ※1 解説) 「空=ノーシング=名前のないもの=なんでもないもの」を指し示す手がかり/アプローチ/学習要件のことをノンデュアリティと言う。

自己の不在性とは?

空の聖質の内の一つに不在性というものがあります。 チャネリング「不在性という物があるおかげで存在できる!」 昔書いた別記事なので、短いポイントだけを抜粋して引用しましたが、サラッと目を通しておくといいかもしれません。ちょっと変なところとかもありますが許容範囲です。 リンク: ワンネス と デュアリティ と ノンデュアリティ の関係性 自己が無いという見え方 存在は在る、認められるますが、それに「自己」というなにかをくっつけられません。投影できません。 自己とかエゴ