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会社は存在するか?

ゆめみの社員の人は、会社の事を「ゆめみさん」と呼ぶ事があります。理由を簡潔に示すと、会社≠経営者ではなく、社会から期待される一人の人格として意識をする為に、そう呼んでいます。

その背景を以下に、長ったらしく記載しました。

会社は分かっていないと社員が愚痴をこぼす場合は、大抵「会社=経営者・役職者」として、遠回しに個人批判をする手段として「会社」という言葉が利用されます。

つまり、その場合の「会社」というものは、あくまで特定の人やグループを指しています。(※文末のメモ参照:労働基準法における使用人に近い)

次に、会社は株主ものか?といった議論において、経営の参加や、財産の分配などの権利を持ってはいますが、会社に所属するメンバーの意志を支配しているわけでは当然ありません。つまり、この場合の「会社」は、法人の財産を指します。

労働基準法や会社法といった法律ではない観点で観るとどうでしょうか。

会社はそこに所属する人の集まりであることは間違いないです。一方で、単なる集まりではなく、秩序を維持しながら、共通の目的に向かっていく集団です。

私は、会社を成長できる環境として目指すために、「会社」という概念を再定義し、かつ「会社が存在する」という主張を行なっており、その理由を以下でご説明します。

一般的には、会社=創業者・経営者・経営層といった形で捉えられがちです。

もちろん、個人事業主や創業当時の場合は、会社=経営者といっても過言ではないと思いますし、外から見た会社の顔は、経営者という事もあります。

一方で、企業の規模が大きくなってくると、顧客からの期待に応じて、集団がそれぞれ意志を持って行動する中で、まるで生命のように意志を持って企業も独自に成長をしていきます。

例えば、子供が成長し、大人になる中で、親が子供の人生の目的を決めることができないのように

企業の存在目的などは、企業成長の中で、創業者も決めることができない

と考えます。

もう少し具体的に考えてみます。

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上図は、企業において所属する個人と集団、そして企業という3つの側面で縦軸をとり、内面と外面で横軸をとり、6象限での分割をしています。

右下:企業に属する「個人」は企業活動の中で、各種行動を行い、外面として観測されます。お客様は、その個人の行動を受けて、個人に対して「期待」をします。

左下:個人は、内面においては、個人の価値観などに基づいた意思を持ちます。そして、右上のお客様からの「期待」に応える形で、意思を抱きます。

右中:企業に属する「集団」は、企業活動の中で、集団として各種行動を行い、外面として観測されます。お客様は、その集団の行動を受けて、集団に対して「期待」をします。

左中:企業に属する「集団」は、集団における共通の価値観、方針などから意思を持ちます。そして、右中のお客様からの「期待」に応える形で、意思を抱きます。

右上:企業は、社会に対して、経済活動を通じて、様々なサービスを提供します。法人企業やお客様は、企業に対して、ブランドイメージを抱き、また「期待」をします。

左上:企業は、内面においては、企業の価値観などに基づいた意思を持ちます。

そして、これらの6象限は、それぞれが関連しています。

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右上では、法人(顧客)企業やお客様からの「期待」に応える形で、左下の「個人」が意思を持つこともあります。

そして、左下の「個人」の(内面としての)意思が、右下の個人の(外面としての)行動につながります。そして、その個人の行動が、左中の集団の意思につながります。また、集団の意思によって、集団の行動が引き起こされ、その結果、右上の企業のサービス活動に変化を与えます。

つまり、上図のように様々に相互関連しています。

次に、右上の外部から見た集団としての企業を見たときに、特にブランドイメージとしてお客様が抱く姿があります。それは、確かに存在する企業の外面です。それを「the company」として定義します。

また、企業に属する「集団」は、「仲間」という意味として「company」と定義します。

ここで、改めて

企業の存在目的などは、企業成長の中で、創業者も決めることができない

という冒頭の考えに戻ります。

もう少し、正確に言えば、次のように捉えます。

企業の存在目的などは、企業成長の中で、創業者以外あるいは、創業者含めた「company」が決めても良い

しかしながら、こう捉えることができない傾向が、現実的には、企業で働く個人にはあると思います。

それはなぜでしょうか?

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上図のように、the companyというものは、確かに存在する企業の「外面」であり、一つの認知的な側面です。法によって定められた「人」であるばかりでなく、まるで人格を持って「生命」のように活動する主体です。

しかしながら、その企業の「内面」は見ることはできないですが、存在すると仮定した企業の「内面」を「A company」と定義します。

そして、本来、企業の内面には、創業者・経営者はいません。しかしながら、私達は、次のように誤った思考エラーを起こしています。

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つまり、まるで創業者・経営者が、外から見た企業への期待に応える形で抱く意思を、企業の内面の意思として思い込んでいるのです。

創業者、経営者が「会社のミッションはこうだ!」「会社はこうあるべきだ!」と叫ぶ姿ですね。

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しかしながら、本来の厳密な構造は、上図のように、創業者・経営者は「下」の個人に位置しています。そして、創業者・経営者は、企業の内なる声を聞いて、それを集団に伝えることで、集団を企業の存在目的に導いていくシャーマンの役割を果たしているのです。

なぜならば、創業者は企業が生まれた時点から、企業と共に時間を長くすごく中で、企業の内なる声を最も把握できる訓練を積んでいるため、シャーマンの役割を適切に把握できるからです。

しかしながら、創業者・経営者のシャーマンとしての声は、あくまで一人の個人としての声でしかありません。企業に所属するあらゆる個人も、自ら、企業の内なる声に耳を澄ますことで、聞こえてくる声があるかもしれません。

特に、企業の規模が大きくなる場合は、創業者・経営者だけでなく、個人が企業の内なる声に耳を澄ますことが重要になると考えます。

そのような関係性が最も6象限の関係性を自然に調和させると考えます。

これは、自然の生態系において、生命が互いに影響を及ぼしあいながら調和する「自然環境」に近い姿だと思っています。

そのような自然環境に近い状態として、企業を構成する人間(個人)・人間関係(集団)が相互に調和して影響を及ぼす状態を、企業における「人間環境」と呼びたいと思います。

つまり、企業においては、人間や人間関係も大事ですが、同じくらいに、「人間環境」が大事という事を伝えたいです。

人間環境が維持されていない状態とは、例えば、無理な企業成長など、創業者のエゴなどにより歪められた「a company」の存在目的が定義された状態です。

そうではなく、人間環境が維持された状態においては、創業者・経営者も「仲間」である「company」の一員となります。

人間環境が維持されるという事は、存在する目的が必要とされる限り、長期に企業が存在するための「必要条件」だと考えています。

その状態においては「A company」と「company」が高度に自己組織化されたものと捉えています。

そういった状態を、「A company of company」と呼び私が目指す姿としており、その状態は、単なる集団の集まりではなく、まるで生命体のように意志を持っているように振る舞う存在として観測できます。

以上から、経営者、創業者、社員の集まり、法で定める概念でもない、一つの生命体として、「会社は存在する」というのが私の考えです。

「会社」というものの存在論について、是非色々な方と議論ができればと思います。

メモ

会社(英語名:corporation)の定義
「会社法で定められ登記により成立された法人であり、株式会社もその一つ」として、 corporationとcompanyを敢えて区別する

使用者の定義(労働基準法)
会社又は経営担当者、あるいは、現実に労基法が規制する事項についての権限を行使する者

使用者の定義(労働契約法)
賃金を支払うもの(法人)







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