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なぜ小説を書くのか、と、なぜ文学賞に応募するか

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小説が書けないなーーーと思っている。応募予定の文藝賞の締め切りは一か月後で、10万字(予定)中3万字しか書けていない(しその3万字も改築予定)だから普通にヤバい。

長らく放置中だったんだけど、今日は久々に手を入れることが出来た。でもあまりの大工事になりそう、つまり1月までの私の考えがいかに甘かったかに気付いて「あ~~~~面倒臭――」ってなってる。なんで小説書くことが「たのしい~~~~!」じゃなくて「面倒臭~~~!」になってるんだろう。おかしいしょ。1月の私はわくわくしてた。楽しんでたよ。

小説が(書きたいのに)書けないことと、実生活の行き詰まりは、おそらく連動してる。

数日前まではちょっと違う風に考えていて、「小説を悩むことと人生を悩むことは別」「小説とnoteは別」って思ってたんだけど、まあ同じ人間から出力されるものだし大体同じだ。

Noteで題材にしてることと、小説で悩んでることも同じなんだよ、というかnoteは小説を書くための壮大なアイディア出し的な面があるんだった(忘れてた)。いちいち分けて考えてる私アホだった。
そういやツイハイ書いた次の日に「既成事実と渋澤怜」のレコーディングがあったんだけど、Twitterの歌でウケた。私どんだけTwitter好き(というか愛憎極まっている)なんだと思った。

小説も歌詞も、同じ人間が同じ時期に書いてるんだから、同じ問題意識が表出して当然なんだ。もしかしたらちょっとここでフェーズを変えた(つもりになってしまって)、小説を書く時に「おめかし」してしまったのが、行き詰まりの原因なのかもしれない。まあしかたない。長編書くのは4年ぶりなんだ。かしこまってしまったし、勘も鈍ってる。


良いものも悪いものも含め、滲み出てくるものを嘘なく出力したいし、それでこそ最大出力が出せる。最大出力のものじゃないと出す意味無いし、当然賞にも落ちる。
(私、「小説に作者の人生が/人格が滲み出る」みたいな言い方を安易にしたくない、それは人格とか人生とか言う言葉の使い方が雑すぎると思う、んだけど、まあそれはまた別のお話)

noteは毎日のようにランニングしてるから多分いきなり長距離走れと言われても走れる。毎日書けと言われても書けるし、むしろ言われなくても書けるし、息するように書いてる。

小説もその域に達すべきなのかもしれない、つまり、私はもっと習作が必要なのかもしれない。
しかしそんなことしてると賞には間に合わないな。

しかしそもそも。

■なぜ小説を書くのか

私は商品として売り出すために小説を書いてるわけでもないし賞を獲るために書いてるわけでもないから自由だ。不本意なものを出す必要はない。自分を悩んで、味わって、楽しんで、好きなタイミングで書けば良い。

何のために小説を書いているかと言えば、前述の通り人生を物語化しないとやっていけないからで、すなわち自分の幸せとか納得とか腑に落ちるために書いている。
小説じゃないと出来ない人生の棚卸し作業があるのですよ。

「小説を書かないとやってけない」のに、書けない、ということは、何か不具合があるということ。

ちなみにnoteも同じ目的、すなわち自分の幸せとか納得とかフニオチのために書いてる。が、やっぱり棚卸し力は小説にはかなわないのですよ……


書かずに幸せになれるなら全然なるよ。だって私は自分が幸せになるために書いてるんだもん。(まあ多分書かずに幸せになる道は私の前には無いけど)

だから私が「筆を折るということ」というnoteを書いた時に「あなたの文章を読みたい人がきっといる!!」という理由で「折るな!」と激励してきたこのクソリプはマジで腹が立ったな。この人、鬱病の人にも「死ぬな!あなたに生きていてほしい人がきっといる!」って言うんだろうか。それは越権だし無責任だし他人の幸せ観への干渉だ。つまりシンどいしキモい。

「なんで小説を書くか」

「なんで賞に応募するか」
は全く違う理由だと思うので、気が向いたら賞に応募する理由も書く。


気が向いたので書きます笑


■なんで文藝賞に応募するのか

大前提として、ここに書いた通り、純文学の賞を獲ったところで初版3000部程度の世界。金も読者も大して手に入りません。

それを踏まえて賞に応募する理由のひとつは、(小説読まない人に対する)箔をつけたいということ。私は多分野で活動してるので、肩書は多い方が良い。これから活動するうえで小説知らない人にも「へえープロなんすねー」と一応幅利かせられるくらいの肩書があったほうが何かとスムーズ。

ふたつめは、ちゃんと読まれるべき人に必要十分に読まれたいなということ。
渋澤怜のnoteやTwitterは、ある程度広く薄く読まれた方が良い。
でも渋澤怜の小説に関しては、まったくそう思わない。マジでハードコアなことやってるので、分かる人にだけ分かれば良い。濃くて少ない読者が欲しい。
むしろ下手に拡散するとデメリットが大きい。薄く広く認知されると、本当なら渋澤怜の濃いファンになってくれるはずの人が「あー、あの売れてるやつ? 俺のための小説じゃなさそう…」と思って手に取ってくれないリスクがある。(売れすぎるデメリットについてはマーケティングの本とか読んでみてください)
私は、「純文学の歴史に名を残したい」とか「文壇に乗りたい」とかはあんまり思わないんだけど、
私の書いてるものはバリバリの純文学なので、その歴史の最先端だと評価されること=純文学の新人賞をとることで、必要十分な読者にいきわたる可能性は割と高いなと思っている。(不十分だけど、まあ現状のベストかなと)。

みっつめは、プロの作家のコミュニティに入りたいってことかなあ。Noveljamでほんのちょっとだけ審査員(プロの作家)と話しただけで、めちゃめちゃ力量の差を感じたし、糧になるアドバイスをもらったんだよね。だからもっと彼らに会いたい、話したい。

よっつめは、まあ締め切りとか目標が無いとなかなか書かないので、モチベ維持のため笑

もちろん、上記四点はいくらでも反駁可能です。
例えば「新人賞とらなくても芥川賞とれるじゃん」とか「別なルートで有名になって箔をつけたほうが早いじゃん」とか「文学フリマで有名になればいいじゃん」とか色々。

そのとおりだと思います。

あれ? やる気を出すためにnote書き始めたのに、「やんなくてもいいじゃん」って結論になっちゃった笑


でもまあねえ~~ 文藝賞て年一回しか募集しないし、文藝賞に愛着があるので出来たらあと一ヶ月で書き上げて応募したいなって思うんだけど、うん、このあたりのモチベの不明瞭さが書けない原因なのかもね~~~


やんわりとつづく。

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★渋澤怜のTwitter→ https://twitter.com/RayShibusawa

★『なんで東大卒なのにフリーター? 〜チャットレディ、水商売、出会い系サクラ…渋澤怜アルバイト遍歴とこれまでの人生~』
https://note.mu/rayshibusawa/n/nb6ca37670da8?magazine_key=mf858e39e18e9

★おすすめエッセイ https://note.mu/rayshibusawa/m/mb0d4bde3bf84
★おすすめ創作群 https://note.mu/rayshibusawa/m/m70e04479475e


※実験的に、この記事は投げ銭制にしてみます。下記のおまけ欄にはツイッターに書けない没ツイートみたいなしょうもない短いことを書いてみます。今日は「彼氏に」です。


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