音楽の花嫁_表紙

【長編小説】音楽の花嫁 19/19


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通夜と葬式はつつがなく行われた。最後、煙となったおじいさんを火葬場の外から眺めると、やっと肩の荷が降りたように思って安心してしまった。葬式は疲れる。兄も同じように感じていたようで、慣れないスーツのネクタイを緩めてシャツを腕まくりして、「あちー」と言って手であおいだ。母はそんな私達を見ながらくすりと笑って、
「ねえ綾乃ちゃん、あのフルートどうしたの?」
と聞いてきた。
「うん?」
 なんだかだしぬけだったのでひるんでしまったけれど、
「うん。物置で見つけたんだよ」
 何食わぬ感じを装ってそう答えた。
「あんなボロボロの物置に、新品があったの?」
「うん」
 それは嘘ではない。
「ふうん。変ね……」
 母は頬に手を当てるとしばし沈黙して、やがてかすかに赤くなりながら、
「あ、の、お母さんね、昔からずっとフルートやってみたいなって思ってたの。昔おじいちゃんもやってたらしいのよ。それで、おじいちゃんが綺麗に手入れしたフルートを物置に隠しておいてくれたのかな、って。遺品整理した時にお母さんが見つけられるように……って。考え過ぎかな?」
 早口でそう言った。
「多分そうだと思うよ」
 私は言った。それだって嘘ではないのだ。おじいさんが母へフルートを贈ったのは本当なのだ。
 兄がだらしない伸びをしながら言った。
「あのさあ、葬式終わって落ち着いたら、ちゃんと習ってみたら? 老後に無趣味もつまんないだろ」
「あ、ええ、うん……」
 母はどぎまぎして、なんだか親に趣味を隠す中学生みたいだった。
「子離れも兼ねてさ。綾乃は俺と違って一人で勉強出来る子だし」
「そうだね。お母さんはお母さんで楽しくやってくれた方が、私も集中できるしね」
「じゃ、きまりな。俺ネットで教室探してみるから」
「あ、ありがとう」
 母はまだもじもじしていたが、口の端がふにゃふにゃと曲がって明らかに嬉しそうだった。
 兄も兄なりに、母と私の二人だけになった家のことを考えてくれているのだ。さんざん母に負担をかけておいて大学に受かったら家を出て、好き勝手やっているだけだと思っていた。もし母がフルートに夢中になったら私もライヴに行きやすくなったりするんだろうか。
「あ、そう言えば私も、大学受かったらバンドやろうと思ってるんだよね」
 私も口が軽くなったのか、まだ言う気の無いことを言ってしまった。
「おー、ついに、お前もかー。ライヴハウス通う女子は一回は楽器に手を出して挫折するんだよ。お前もさっさと経ておいた方がいいよ」
「何それ!!」
 やっぱり兄は兄だった。感心して損した。
「買うの勿体無いから俺の借りとけよ」
「綾乃ちゃん、おじいちゃんが孫のためにって貯金してくれたお金があるの、だから楽器くらいなら買えると思う」
「え、それ学費じゃないの」
 母が楽器を買っていいなんて言ってくれるとは驚きだった。
「国立に受かったら余るはずだよ」
「本当に。おじいちゃん、ゲームとかプラモとかやりまくって散財してるのかと思った。意外とちゃんとしてるんだね。ありがたいね。でも私、歌やりたいからなー」
「歌?! 女ボーカルかーうわー女ボーカルかー」
「何さ」
 兄がすっかりいつも通りのうざさを取り戻している。
「でも、大学でオーケストラ続けるんじゃないの?」
「オケもやりたいし、バンドもやりたい。両方好きだからさ」
「うわー死亡フラグー」
 むかついたし、火葬場でそれを言うのもさすがに罰当たりな気がして兄の頭をはたいた。

忌引きが明けて学校に戻り、私は会いたくて仕方無かった紺野にやっと会えた。
 図書室でいつも通り勉強していると、いつも通り合図を送ってくれた。多少ぎこちなかったけれど、でももしかしたら来てくれないかもしれないと思っていたので、すごく嬉しかった。
 いつも通り昇降口を抜け、北門を出る。
「今日も河原行きたい、話あるし」
 私は自分からそう言った。紺野は頷いて、おずおずと私の方へと手を伸ばしてきた。私はそれがまた苦しいほどに嬉しくて、ぎゅっと手を握り返した。
 河原は夕暮れで真っ赤に染まり、まるで私達を試しているようだった。夏から秋へはあっという間に変わってしまう。一週間弱ここへ来なかっただけなのに、太陽の沈む時刻が早くなっているのを感じた。
 私達は今日は草の上には座らなかった。
「話って、何?」
 そう言って長めの前髪を横にやって小首をかしげて私を見る紺野の仕草はやっぱり女の子っぽいなと思った。私達は一度も「好きです」も「付き合って下さい」も言っていない。でもそれを言うのと同じくらい、私はどきどきして身体中真っ赤になりそうだった。
「大学受かったら、バンド組もうよ」
 私はありったけの勇気を込めて、出来るだけぶっきらぼうに聞こえるように、でかい声で言ってみた。
「え、あ? そんなこと? え?」
 紺野の顔は一瞬白紙みたいに表情が無くなり、そして次の瞬間大口を開けて笑いだした。
「あはは、俺、フラれるのかと思ってた!! あはは!!」
「え?!」
 紺野が私の肩を力いっぱい叩いた。そしてそのまま私の肩にもたれかかってきて、
「よかったー……」
 沢山の溜息と共にそう言った。紺野の吐息が私の頬にかかり、くすぐったく、温かかった。その感じが全身に染み渡っていって、まるで熱いお風呂に入ったようにぬくんだ幸福で満たされていった。
「てか、私の方こそ、フラれる? と言うか、フラれた? と思ってたんだけど」
「え、バカじゃないの?!」
 紺野がまた私を叩いた。私も叩き返した。二人してけたけた笑いながら、動物の子供の喧嘩のようにぱちぱちと叩き合った。
「いいよいいよ、やろうよ。戦争花嫁のコピバンでも何でもやろうよ」
「あのね私ボーカルやりたいの」
「ボーカル? じゃあ戦争花嫁とか出来ないな」
「出来るよーやるよー、拡声器もって暴れるよー、なんならストリップもクラッシュギターも、何でもやってやるよー!」
「そこまで望んでねえけど!」
「紺野こそ埃かぶったギター、ちゃんと練習しておいてよ」
「お、おう」
 紺野の家の押し入れには、昔買ってすぐ飽きたギターが転がっているらしい。ねえ、そのギターひょっとしてピックガードに血痕とか残ってない? と聞いてみたかったけれどそんなのただのホラーだ。そしてそれと同時にギターにむしゃぶりついて血を舐めとった私の恥ずかしい記憶も沸いてきて、慌ててフタをした。これも私の秘密だ。
「紺野、セックスすると体液と一緒に記憶も出ちゃうらしいから、受験終わるまではやめよう」
「え、あ、何いきなり、うん」
 紺野はいきなり下を向いて足元の小石を蹴ったりして落ち着かなくなった。
「もししたくなったら大学行ってからしよう」
「うん、でも、お前、それでいいの」
「え?」
「その……したそうだったじゃん」
「うーん、我慢出来なくなったらおじさんに買ってもらおうかなー。女子高生のうちに」
「おー、したらレポ頼むわ」
「ライヴみたいに言うなって」
「ライヴだろ」
「そうだね、セッションだね」
 また胃の底が抜けたように笑いが止まらなくなってしまった。二人で壊れたおもちゃのようにヒイヒイ笑い倒した。セックスがライヴなら、好きですよりも付き合って下さいよりも「バンドやろう」が大事な言葉になる私達みたいな関係もありなのかなと思った。
「また、戦争花嫁聴きにいこうね一緒に」
「勿論。三月になっちゃうだろうけど、絶対行く」
 戦争花嫁と言う単語を入れた会話をこんなに沢山出来て、それは紺野とだけしか出来なくて、それはとても嬉しかったのだけれど、その単語を聞くたびに胸が疼くのは何なんだろう。やっぱり、あのボーカルの男の人が撃ち込んだ弾のせいなのか。これは私の傷の名前なのだろうか。多分、一生携えていくものなのだろうと思った。こんなに胸の痛むほど好きなものがあるということが、傷でもあり、救いでもあるはずだった。だってその傷がある限り、私は私を見失わない。
「早く大学に受かって紺野とバンドを組みたいなー!」
 地球滅亡のようにぬらぬらと赤く燃える夕陽に向かって、意味も無く大声で叫んだ。
 結局、あっちの世界から死ぬ思いをして生きて帰って来たけれど、こっちの世界は相変わらずで、人も死なないし、私は英雄でもないし、やることは受験勉強くらいしか無いのだった。それでも、あの世界で聴いた音楽の記憶があれば、それだけで私は一生生きていけると思った。あの音楽を、こっちの世界でも鳴らすのだ。そして、いつか私は自分の音楽で、誰かを傷つけ殺してみせる。

(了)





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