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動物が教えてくれることは多い ー日本の寺と、ベトナムの犬猫の話ー

とんでもない声で鳴く猫に会ったことがある。

あれは去年の7月、私が人生に悩んで盛岡の寺に一週間滞在した時だった。

お寺に招かれた日に、たまたま一人で食堂でお茶を飲んでいたら、台所の裏から、赤子が切り刻まれるような悲鳴が聞こえて飛び上がった。
台所の裏口に回ると、その音の発信源には、切り刻まれる赤子ではなく、猫がいた。網戸の向こうから物欲しそうな目で私を見上げている。
明かに、網戸を開けてもらいたそうであるのだが、お寺に来たばかりの私は猫を勝手に中に入れていいのか分からずおどおどするばかりで、その間にも猫は涼し気な顔のままさらに激しい断末魔を響かせるのだった。

ほどなくしてお坊さんが台所にやって来たが、特に猫をかまうでもなく、網戸を開けるでもなく、その断末魔を放置したまま、たんたんと私に言った。

「この猫は、かまってほしくてこんな鳴き方をするんです。
昔、この子と一緒に飼っていた猫が、今のこの子とそっくりなうめき声をあげて何日も苦しんだ後で死にました。
その時、この猫は、『この声で鳴くと周りの人がよってたかって看病してくれる』と思い込んでしまったんです」

ベトナムは犬猫がとんでもなく多い。うちの近所には、徒歩30秒ごとにワンニャンスポットがある。
だから徒歩30秒ごとに気が逸れてしまい、徒歩移動は全くはかどらない。

最近気付いたが、私は他の人に比べて動物が異常に好きらしい。「そんなもんみんな好きだろう」と思っていたのだが、他の人に比べて、犬猫を見つけて立ち止まる頻度とか、カメラロールの動物比率とか、動物園に行きたがる熱意とかが、明らかに違う。

動物と戯れた後の幸福チャージ度がものすごい。
他のモノじゃちょっとなかなかこの領域に行けないなと思う。

ベトナムの犬は、店や家に常駐している犬もいるが、半分以上は「フリーランスの犬」だ。
ヒモにつながれていないので飼い犬か野良か断定できない、でもなんとなくいつもこの家あたりにいるな…という認識があるので、私は「フリーランスの犬」と呼んでいる。
彼らは、日本の猫のような性格で、あまり人に駆け寄ってくることはなく、きまぐれで、自立心が高い感じがする。

そんな高貴な犬たちと接触すべく、「犬 仲良くなる 方法」等でググりまくっていた時、「ヒモにつながれている犬の方が、逃げられない分、吠えたり警戒しやすい」という情報を得たことがある。

(日本にいた時はむしろ逆だと思っていた。「ヒモにつながれていない=野良犬=警戒しやすい」。「ヒモにつながれている=人間に愛されている=尻尾振って近づいてくる」。というかそもそも日本ではヒモにつながれていない犬をほとんど見ない)

そう知ってから、特に、ヒモにつながれている犬にはゆっくりゆっくり近づくようになった。

犬にとって最大のストレスは「逃げたい時に逃げ口を塞がれること」らしい。だから、そうされている、つまりヒモにつながれている犬は、常に通奏低音のごとくストレスが溜まっているはずだ。

かえりみて、自分に、このヒモにあたるストレスはないだろうか、と考えてみる。


動物が教えてくれることは多い。

先月、私のマンションの玄関口に突如としてカフェができて、そこに突如として子犬が放たれることとなった(住人の飼い犬らしい)。

まさか自宅の前がボーナススポットになるとは思わなかった。

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この犬、私を見つけると「あ! 人間! 人間大好き!」みたいな様子で、尻尾を振りちぎりながら駆け転がってくる。ほんと、白い毛糸玉が坂を転がり落ちてくるみたいな勢いで、来る。

私からすると、なんでこんなに可愛いもふもふの犬が、何のメリットも無い、さしてもふもふでもない生き物に無銭で触られてくれるのか、全く分からない。

しかし、もしかしたら、少なくとも子犬には、「大きな生き物になつきたい」みたいな欲求があり余っているのかもしれないなあと思う。

つまり「ママが恋しい」ということ。

ママが恋しい、という気持ちは、ほぼ全ての哺乳類が持っているはず(だってママから生まれたんだから)。

でも成犬になるにつれて、その気持ちが自然と減ったり、あるいは隠したり、歪ませてしまうのかもしれない。
それは、ママがいなくても生きていけるようになったり、悪い人間に会ったりすることで。
(ベトナムには犬泥棒や、邪魔な場所にいる犬を普通に蹴る人もいる)

ベトナムには結構、警戒する犬が多い。半分以上の犬は触らせてくれなくて、逃げたり吠えたりする。(しかしこれは当然で、そもそも犬側に何のメリットも無いのに無銭で私に触らせてくれる方がすごいんだが)

でも仮に、そんな彼らも子犬の頃は誰彼かまわず飛びついていたとすると、その気持ちを歪ませずに成長出来たら、見ず知らずの人間に尻尾を振りちぎる成犬に成長できるのかもしれない。(日本の多くの飼い犬はこうである気がする)

でも、日本の飼い犬は一日中つながれてるし、見れる世界が狭いからそうなる気もする……

自分が生まれ変わるとしたら、ベトナムのフリーランスの犬の方がいい(犬泥棒に盗まれて食われちゃうかもしれないけど)


動物が教えてくれることは多い。

数々のモテ本、結婚本の著者である下田美咲さんは、「人から愛される方法は犬から学んだ」そうだ。
とにかく近くを離れない、くっつく、ひざに乗る、じっと見つめる。

こんな簡単な方法で愛されるとしたら、なんで人間は愛されるために手をこまねいたり悩んだりしてるんだろうと思う。

子犬が、坂を転がり落ちる毛糸玉のごとく駆け寄ってくると、もうそれだけで全て満たされた気になる。



冒頭の、死んだ猫の声を真似て鳴く猫も、結局先月死んだと聞いた。

和尚さんはよく言っていた。
「あの猫はまるで人間のようだ。あの猫が私達に教えてくれることは本当に多い」

あの猫は死に際、苦しんだだろうか。そして、死に際は、思う存分かまってもらえたのだろうか。


渋澤怜(@RayShibusawa

Inspired by 生湯葉シホ「象の「はな子」を見て泣いた日」

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