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8月からホーチミンで日本語教師をしてきます


ご無沙汰してます。渋澤怜です。

急ですが、8/1からベトナム・ホーチミンで日本語教師をしてくることにしました。

理由は、というか、ここ1ヶ月の私の心の変遷を超ざっくり説明しておくと……

5/25~6/12 スペイン巡礼旅(カミーノ)に行く



・「異邦人としてコミュニケートするの超楽!」「半分わかり合えればラッキ―! と思いながら会話するの超楽!」と思う

・逆に「日本語で話すときは、100%分かり合えないと意固地になっちゃうな」「97%分かりあえてるのに3%が分からないことで無駄に苛立ったり齟齬を感ることが多いな」「母国語を喋らない方が幸せなのでは?」とすら思い始める

・特にネット上で上記の齟齬が顕著であるとかんじ、ネットが全然できなくなる

・「文章書かなくてもカミーノ中は超幸せだった……あの幸せはなんだったの……」となる。

→とにかく「ネット」で「日本語」で「文章書くこと」に対してクライシスに陥る。


信頼してる作家の方に「人にギフトを与える文章を書かないとお金はもらえないよ」と言われ、グサリとくる。

「私が文章を書く理由は、『人にギフトを与えたいから』じゃ全然ないな。」
「とにかく『自分が、自分が』という動機だったな」
「『認めてもらいたい』『見つけてもらいたい』と思って書いてたな。自分の我を張ることばかりだったな。だから最近、書くのがキツかったんだな」
「カミーノでは我を張らなくて良かったから幸せだったんだな」
と気付く

じゃあ、なんで文章書いてたんだっけ?

子どもの頃から、ただ面白くて熱中して書いてた。
今でも、「何も伝わんなくてもいい」「意味不明だったとしても、意味以前のもの(熱情やらトランスやら)が伝わればいい」「わけわからんものこそ最高」とすら思う。自分が読むのもそういう小説ばっかりだ。
人のために、人にギフトを与える文章を書くっていうの、どう考えても全然腑に落ちない。

ネットの世界で自己プロデュースして消耗したり、文章でお金を稼ぎたい、とか、言ったの、全部嘘だった!!!!!!!!!!!!!!!!! すみません!!!!!!!!!!!!

「文章を書くこと」と「お金稼ぎ」は完全に切り離そう!と決意。

じゃあ、仕事何する?

昨年9月にバイトを極端に減らして以来、「渋澤怜業を仕事にする」と決めて、ずーっと書いていた。
だから「文章を仕事にするのはやめる」と思った瞬間、積み上げたものが全部瓦解したような、目の前の選択肢が全てフラットになってしまったような、謎の虚脱感に包まれる

とにかく「日本」とか「ネット」とか「東京」を離れたい!

ノリで盛岡市の禅寺に1週間滞在(7/4~11)

「自分の適性的に、日本語教師とかどうかな? 海外いけるし。」と思いつく(ここ、禅寺と同時並行)

日本語教師は要資格の求人が多いが、無資格で海外に飛べる求人を見つけて応募、面接を受ける(7/15)

受かる(7/19)

社長「8/1からホーチミン行ける?」←イマココ

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と、こんな感じです。めっちゃ文章下手になってますね……箇条書きって……笑

この二か月間ちっとも文章を書かなかったので……めっちゃ勘がにぶってます……

渋澤怜を名乗ってからこの10年間、2ヶ月も文章書かなかったことがあっただろうか。


メルカリやジモティを駆使して、冷蔵庫や洗濯機を人にあげまくっている。
部屋からデカい家具がガンガン消えていくのは、ぷよぷよで大連鎖を起こした時的な快感がある。

あんまり未練がない。少なくとも家具には。

「普通、『二週間後にホーチミン行って!』って言われて、スッと行く奴いる? 世捨て人すぎじゃね?」
と突っ込む自分がメタ的に後ろに立ってる。
どうも、粛々と荷支度をしながら、何かの冗談のような、ドッキリのような気がしている。


厳密にいうと、多少の未練はある。東京にいる彼氏や友人に会えなくなること、東京でライヴを出来なくなること、東京でライター仕事をできなくなること。

でも、今のままの私が、今のままあなたに会っても、ライヴをしても、今以上のことにはならないんです。


書くことはやめないと思います。今の書き方をやめるだけで。
そして、今の書き方を辞めるためには、ネットや東京(に象徴されるもの)から離れる必要がある。


きっと、私は、なんーーーーの役にも立たない、小説を、純文学を、書くんだと思います。

ネットのファストすぎる評価軸やキャッチーさ、自分の功名心や寂しさに振り回されてしまった。

最近の私の欲求は、「楽になりたい」一点張りです。
よくある、あれ、「死ぬまでにやりたいこと100個書く」みたいなの、も、やってみたんですけど、
「とにかく楽になりたい」「振り回されたくない」「我を張りたくない」とかそんな項目ばかり出てきてしまった。

あれ、「パラグライダーやりたい」とか「自分のファッションブランド作りたい」とか、さ、みんな、書くけど、ウソだよね。みんな本当にやりたいことなんて絶対100個無くて、1個か2個くらいしかないんじゃないかなあー。

私は多分、やりたいことを1番から順に並べたとしたら、「書く」ことは1番めにはならないです。

「楽になる」ことが1番なんだと思います。
もちろん、書くことはそのための手段。

有名になるためでもなく、
我を張るためでもなく、
誰かをつるためのエサでもなく、
ただ自分のために、自分が超イケてると思うものを、フッと書きたくなるまでは、書かなくてもいいかなくらいに思ってます。

ていうか「小学生の時から書いてるし、まずは『自分が楽しいから』という理由で書くにきまってる。書くことを金儲けの道具にしてたまるか」とすら、思う。


ディズニーランドに行く前の日の子供みたいな心境で暮らしてる。
ホーチミンは多分、自分にとってのディズニーランドで。
行ったら楽しいだろうけど、気晴らしにはなるだろうけど、結局自分の問題は自分の心の中にあって、それは変わらないだろうというのも気づいています。

禅寺で「いいじゃん、どうせ死ぬし」と、腹の底から思ってるお坊さんに会って。
「いいじゃん、どうせ死ぬし」って思ってる人ってすごいんですよ、娑婆の一切に執着がなくて、楽しい時はあっけらかんと楽しく、嫌な人にからまれてもギトギト悩まず、「蚊に刺されたな」くらいにしか思わず、すぐに忘れる。

超~~気楽そう。

「どうせ死ぬ」と思った時に、やるべきことは「外国でキャイキャイすること」でも「日本語を外から見つめてアハ体験すること」でも、「書くこと」でもなくて、「自己を見つめて楽になること」しかないんですよね。

わかってるけど、だから、禅寺に一年くらい籠った方がいいだろうし、和尚さんにもそうすすめられた。でもディズニーランドのチケット当たったから行ってきちゃう。

行ったら居着いちゃうかもしれないし、スゴスゴ帰ってくるかもしれない。



なんか、あんまりこう、大げさな形にしたくなかった&単純にスランプ過ぎて、この報告をするのに時間かかっちゃいました。


荒療治的に、今回の選択が、私の日本語の使い方のスタンスを変えてくれると、いや、根本に立ち返らせてくれると、嬉しいなー。

ホーチミンのこと何も知らんので(なんせ面接うけたの二週間前だからね!)、
ホーチミン情報や、向こうに住んでる人、情報もらえるとうれしいです!


渋澤怜(@RayShibusawa

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