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剪定のセンス ~何でもさらけ出して書いたから偉いわけじゃない


ひらりささんのこの文章を読んで「う~~ん」と唸ってしまった。

有料noteだから内容を全て説明するわけにもいかないが、ざっくり言うと、いわゆる「赤裸々系エッセイ」ーー「こんなにさらけ出してすごいですね」と称賛されるたぐいの文章ーーが、その言葉のもとで消費されてしまうことに、なんとなく危機感を覚えている、みたいな内容だった。

小野美由紀さんと佐々木ののかさんのVoicyでも、「よく『こんなに自分をさらけ出して書けてすごいですね』って言われますけど、別に……」みたいな会話があった。(その章のタイトルは「自分のことを赤裸々に書いて消耗するのは技術のないやつだけ」だった)

タブー感のあること、たとえば精神病とか性愛のこととか親を悪く言うこととか、を、書くと、「すごい」と言われる、というのは、明らかにおかしい。そんなこと言ったら殺人鬼のさらけ出し手記が最強になってしまう。


時には私も言われる、「こんなにさらけ出してすごいですね」と。しかし私がさらけ出しているのは魂であり、事柄ではない。

こだまさんの「夫のちんぽが入らない」は、事柄をさらけ出してはいるが魂をさらけ出しているとは私は思えなかったので、全く評価できない。

魂をさらけ出していれば内容は「天気の日にお茶した」でも良い。そういう文章だってたくさんある。

ちなみにいうと、全く何もさらけ出さなくても良い。

伝説的に読まれた佐々木ののかさんのこのnoteのなにがすごいって、それは文体とリズムと比喩が素晴らしいんだよ。あと伏字のセンス。


じゃあところで、魂をさらけ出すってどういうこと? という話になる。

それは、普段、常識や慣性によって書かないこと、思っても書かない、どころか、思っても無意識に思わなかったことにしていることを、書いてしまうことだと思う。

深刻な話し合いの最中に相手の着てる服のチェックの柄に入ってる色の数を考えちゃう、とか、
あちらをご覧ください、と言われたのにあちらではなくあちらをさした指そのものが気になってみちゃう、とか。

意識には無数の分岐があって、でも私たちはその無数の枝葉を無意識に切り落として、意識的に話の流れを作っている、けど、その剪定のセンスこそが。(全ての枝葉をまんべんなく茂らせてしまうとそれはまったく読めない文章になってしまう)。


普段生きている時の思考と同様、書くときにも無数の分岐がある。

「これは本筋から外れるからパス」
「ここ書いたら長くなっちゃうからあっさりめに……」
「これ書くとこっちとのつながりが悪くなるから、無し」

無数の枝葉の剪定ポイントがある

「これ書いたら人でなし/あばずれ/親不孝と思われるから、書かない」

こういう剪定ハサミももちろんある。でもこのハサミから逃れた文章を、ただそれだけで過大評価するのはおかしい。

「その比喩、よく拾ったね?!」
「このパンチラインがここでキマるわけだ! すげー」
「こっから急旋回してオチなわけ?! やるー」

実は内容なんてどうでもいい。心情しか、比喩しか、語彙しか興味が無いのかもしれない。

お役立ち系文章には「情報」、
小説には「ストーリー」があるからまた違うけど、
Noteにあふれる「日々思ったことエッセイ」などを読む時、そして書く時、私が思ってるのはただこれだけのこと。




……とまあ、ここで終わればこのエッセイは格好良いのだが、いや、言いたいことがある時だってあるのだよ。てか、バリバリ言いたいことはあるんだよ。例えばこの文章だと、「精神病とか性愛のこととか親を悪く言うことを書くと、「すごい」と言われるとのは明らかにおかしい」、ここは伝わってほしいんだ。でも、それはひらりささんの冒頭の文章と大して変わらぬ主張だし、二番煎じというか、n番煎じというか、この手あかのついた主張をもう一度言いたいわけじゃ……いや言いたかったから書いた。誰もがやり込んだゲームをもう一度プレイするのと同じだ。私はプレイしたかった。しかし私は「え?! そこで3連鎖するん?!」「何今の敵のかわし方?!」「ほほう今のは新しいコンボ技であるなあ」「あ、そこはスルーするん、ははーん」って、思ってほしいの。コントローラー握る私の後ろから画面覗き込んでてほしいの。


書きたいことがあって、それを主張するために書く。けど、「必ず」「絶対に」そこからはズレる。
そのズレやアドリブや軌跡や新しい技の開発の履歴を見ていてほしいの、楽しんでほしいの。

だから私が書くし、あなたが読む。



↑↑ 小野美由紀さんの「”書く私”を育てるクリエイティブ・ライティングスクール」に出した課題に、小野さんからアドバイスが返ってきた。


「『人にここを伝えるぞ』という所を起点に内容を構成し直してください。」
「読まれたい」という気持ちに負けずに、内面にある問いや人に伝えたいことを大事にしてください。


このあたりを読んで、よく分からなくなってしまった。


え? 何を人に伝えたいの? 私。

別にマッサージ屋の良さを伝えたかったわけでもなく、いやそこはついでに伝えたかったけど、でも一番言いたいのは自分の形を好きにしろ、ガチガチになるな、外面気にするな、ということで、だからこそ文体も終盤からぐちゃぐちゃのブロウクンにしてみたのだった。

そのガチャガチャのブロウクンな終盤の文体から何を読み取ってほしいのかというと、ありそうでない。「無い」ということが言いたいのかもしれない。

しかしnoteによくあるエッセイに擬態して露悪的に振る舞ったり、ついお得情報をサービスしちゃう自分も好きだ。しかしまあ「そこは要らないから本気をよこせ」ってことかもしれない。もっと崩せると思う。しかしもっと崩していいのか?


私は一体何を伝えたくて、そしてそれは伝わるものなのだろうか?


疑問形で終わる系のエッセイ大嫌いだよ。それで何か言った気になるなって。


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