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『言葉禁止』のイベントに行ってきた【前半】


写真家の大宮浩平氏が主宰する、「第伍次ねおん音楽会<<Dialogue>>」というイベントに行ってきた。

第一~四次のねおん音楽会にも行っていたし大変良い音楽イベントなのだが、今回は会場内で「言葉を『喋る・書く・読む』こと」が禁じられている。

コンセプトは下記のとおりだ。

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私たちは、どんなときも“言葉”に囲まれ生きています。いやもしかしたら、私たちが“言葉”で世界を囲っているのかもしれません。

今回の〈ねおん音楽会〉では、“言葉”からの離脱を試みます。いつも隣で話を聞いてくれる友人や恋人、そして家族。そんな人たちと言葉なき時空を共有してください。きっと新しいその人を見つけることができるでしょう。もちろん、ひとりでの参加も大歓迎。音楽家の演奏やバックグラウンドでの映像放映が、あなたの五感を退屈させません。

言葉なき“対話=Dialogue(ダイアローグ)”。

沈黙のインスタレーションをお楽しみください。

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ちょうど、「いわゆる『会話』」にイライラしていた時だったし、「言葉なんかあるせいで私たちはどんどん分断しちゃうんじゃないか? 猫みたいに目合わせただけでビビッと交尾の相手決めたいわ」とか思ってたので、良いタイミングであった。

会場に入る前に

・会話(手話を含む)をしない。

・読唇に頼る行為(口パク等)をしない。

・携帯電話等電子機器の電源をOFFにする。

・書物等の活字媒体に目を通さない。

・文字や記号を書かない。

・係員の指示に従う。

・騒がない。

という約束を確認された上で、入場する。

普段は喫茶店として使用されている場所なのだが、いつもより薄暗くて神秘的な雰囲気、そして文字が目に入らないよう、壁に貼ってあるものや本、CDなどが撤去されている。卓上のマッチや、音楽機材に書いてあるロゴまでガムテープで覆われているという周到ぶり。

どこがステージとはっきり決まっているわけでもなくめいめいの方向を向いている椅子に座ってなんとなくぼんやりしていると、

まるで空気のようにふらりと演者が登場し、インストのDJをしたり、歌詞の無い歌を歌ったり、楽器を演奏したりする。

演者も勿論、言葉の使用を禁止されているが、それに限らず、音の数もまるで自ら制約を設けているように少ない。DJによる選曲も、うるさい曲はほとんどなく、自然音、生活音を拾ったようなものが多い。

5人の演者による計3時間半に及ぶ演奏が、ほぼ途切れなく繰り広げられた。

普通だったら、こんなに静かな演奏が3時間半も続いたら、絶対飽きる、寝る。

しかしこれが自分でも驚くことに全然飽きなかった。それどころかここ最近で一番集中できたんじゃないかってくらい集中できたんだ。あまりに豊饒で幸せな音楽体験だった。


言葉が無い世界で音楽を聴くと、人はどうなるだろう?

まず、歌詞が無い分、出てきた音そのものをよく聴くようになる。

「あ」と言ってしまえば「あ」である音も、「あ」と思わずに聞くことで無限の母音のバリエーションを聞き取れる。普段歌詞がある歌ばかり聞くことで聞き落としていた、楽器としての人間の声の豊かさを発見することができる。

これがまさに言語の分節機能というもので、言語は世界そのものの味をおいしく味わうことを時に邪魔するのだ。

「これ、一体何だか分からないけどすごくおいしい!!」って思ってる時が一番幸せで、コックに「これなんて料理ですか」と聞き「●●の××焼き△△ソース添えですよ」という返答を得た瞬間に舌先の味わいがどうでもよくなっている、ということはよくある。

芸術に造詣が深く大変な読書家であると同時に、情報過多の都会を離れ、実家の岐阜の山の中で歌を歌ったりして暮らしてる、という百瀬雄太氏(https://twitter.com/nekohashiru)の声は、いろいろそぎ落として研ぎ澄ました人の声だった。集中や繊細さは、観る人に伝播する。いいものをもらった。

それから、松井修二氏という、手作り楽器を制作している打楽器奏者の方(手作り箱ドラム動画 https://www.youtube.com/watch?v=JUaX0t9_l4A)も登場したのだが、おそらく30種類くらいの打楽器を床に広げている。

いわゆるシンバルぽい、金属製で平たい打楽器だけでも10種類以上。見慣れない楽器もあり、おそらくほとんどが手作り。

(これは昨日の様子じゃないんだけど大体こんな感じ)

楽器やバチの種類、そして、叩く、こするなどの奏法の違いも含めれば音の味わいは無限。「これも打楽器なんだ?!」と思う音もあり、新鮮な驚きの中で何時間でも聴いてられる。

しかしこの無限の味わいを繊細に味わうには、情報過多なライヴハウスじゃたぶん無理だ。

「刺激は多い/強いほうがいい」という思想のもと、増幅された電気音、手っ取り早く音を加工できるエフェクター、声のでかい酔っ払いが溢れてひたすら心がざわざわするライヴハウスでは、打楽器の生音の味わいだけで30分以上場を持たす彼の演奏を落ち着いて味わうのは至難の技だろう。

これに関しては別に「言語禁止」である必要はないのだが、

実験的にひとつの情報(=言語)を禁止したことで、それ以外のあらゆる情報に対して繊細になれる場を作り出す、ということが大宮氏の試みの中に含まれているとしたら、それは(少なくとも私に対しては)見事に成功していた。

「実験的にひとつの情報(=言語)を禁止したことで、それ以外のあらゆる情報に対して繊細になれる」という点は、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」にも共通している。完全なる暗闇の中を視覚障碍者に誘導されながら初対面の少人数グループで進み、運動・会話・食事などを楽しむプログラムだ。

(わたしのおススメブログはこちら『目なんか見えなきゃよかった ~ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇体験)に行ってきた』http://blog.rayshibusawa.her.jp/?eid=344)

(「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」もめちゃめちゃおすすめなのでぜひ行ってほしい。「美人やイケメンに怖気づかない」ってだけでも相当な非日常)


長くなるので続きは「後半編」へ。



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