音楽の花嫁_表紙

【長編小説】音楽の花嫁 1/19


「この世界では音楽によって戦争を行っている。我が軍はオーケストラ。熟練した技巧を身に付けた団員が紡ぎ出す天国のような音楽は、本当に人間を天国へさらっていくのだー―」
 戦場以外で音楽を禁じられた世界。男が楽器を携え、女が楽器として身を供する戦場において、唯一「歌姫」として参戦を許された少女が、フィナーレでもたらす圧倒的フォルティッシモ。2012年第49回文藝賞2次予選通過作品。


「長めの小説も読みたい」という声をいただいたので、昔書いた長編小説をドロップしていきます! だいたい8万字あり、毎回5000字程度アップし、全19回になります。

紙で読む用に書いたものなので読みにくいこともあるかも知れませんが、ご了承ください。

破綻も多いのですが「25歳の私すごくね? なんでこんなすっげえ小説書けるの?!」と今でも思うし、とっても愛してる小説です。


二十歳くらいの時、ライヴハウス通いにどっぷりハマり、バンドマンに憧れ、「自分もバンドやりたい……でも女がバンドやるとなんか違うしギャルバンとか言われる……」とか葛藤してた思いを基にした話です。音楽で人が死ぬ世界。男が楽器を携えて戦う世界で、唯一、「歌う」という特殊能力をもつことで丸腰で戦うことができる少女が主人公です。



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今にも銀色の戦闘機が飛んで来そうな空だ。
 雲ひとつ無い、真っ青に晴れ渡った真夏の空を見つけると、いつも私は、そこを鋭利なハサミのように裂く金属色の非日常を求めてしまう。
 私達はどこへも行けない。どんなに晴れていても、どんなに健康な太陽の光が私達を誘い出そうとしても、ホームルームのさなかの教室からひとり離脱することは、できない。
 だからせめて私は、戦争か、地震でも起こってくれないかなあと思う。それは不謹慎だろうか。死にたーい、と言ってみるのと一緒なのに。
 渡辺先生は、絞ったら缶ジュース一本分くらいになりそうなほど半袖シャツをじっとりと濡らし、教壇に立っていた。歯を食いしばって、言葉が口から外に出て行くのを押しとどめているように見える。でも上半身は前にのめっていて、早く言い出そうと焦っているように見えた。なんにせよ、私達は先生が何を話そうとしているのか知っている。昨日、隣のクラスの子がトラックに轢かれて死んだ。即死だった。今朝のホームルームで先生がそんなに言葉を選ばずとも、もう、私達は昨日のうちに携帯の中を飛び交う最もあけすけな言葉たちでそれを知っている。
 私は下敷きでスカートがめくれないように注意深く脚をあおぎながら、もう一度窓の外を見た。六十年、いや、多分七十年くらい前の暑い今頃、本当にこの空を戦闘機が切ったのかもしれない。窓枠で縁取られた均一な青い四角を見つめていると、どんどん気力が失せていって、これは、何かと似ている、と思ったら、それは、PCの画面だった。YouTubeでサジェストされる動画をバカみたいにクリッククリックして何時間も経ってしまった後に絶望してPCをシャットダウンする時に現れる青い初期画面に似ている。画面を開けばいつでもすごいバンド、すごい事件、すごい人々が見られる、それはとてもいいことなのかもしれないけど、その代わり、なんであろうと情報に先回りされている気がして、現実が先細りに思えて無気力に全身を絡め取られる。大人達に、今の若者は野心が無いとか言われて、異論無くその通りだと感じる。模範解答が溢れていて、問題を解く気力が失われている。いっそのことこの身体もパソコンの中に放り込んでくれたらいいのに、と思う。
 いつの間にか先生が喋っていた。がんがん聞き逃していた。私は頬づえをやめて前を向いた。
「事件の詳細はまだ調査中です、でも……本当にあってはならない、悲しいことだと思います。若い君達には無限の可能性があります。だから、どうか、命を無駄にしないように、今を大事に生きてください」
 ん? 教室がわずかにざわめいた。トラックに轢かれたというからてっきり事故だと思っていたけれど、もしかして、わざと死のうとしたのだろうか。遺書でも残っていたのだろうか。
 私達は賢いので「自殺だったんですか?!」と声をあげる生徒などは出てこない。先生は自分の失態にも気付かず、ざわめきの理由も気にせず、悲愴な顔のまま教室を出て行った。
 とたんに教室の空気が緩んで幼稚っぽい好奇心に満たされ、いくつもの頭がきょろきょろ動いた。私も後ろの子に背をつつかれた。
「自殺だったっぽいね」
「渡辺先生、ミスったな。自分から自殺って言ったようなものじゃん」
「交通事故だと思わせておいた方が、騒がないのに。失敗だね」
「新任だから。思わず感極まっちゃったんでしょ」
 君達には無限の可能性がある、と、先生は言った。無神経だ。私達はどこへも行けないのに。お金も無い、身分も無い、何も無い非力な高校生に何が可能性だろうと思う。というかそもそも無限ということは、犯罪者になる可能性も、ニートも、貧乏人も精神病者もあるってことだ。トラックに飛び込めば、少なくとも悪い可能性は消すことができる。

私は別に戦争に行きたいわけではないが、戦争に行った私のおじいさんは、模範解答が無い世界でアクロバティックな答えを導き出して、それで名士になった。自分の腹に自分で手榴弾の破片を撃ち込むという方法で。
 そのおじいさんは母方で、私達家族が住む家とはそう離れていなく、車で一時間程度のところに住んでいた。そのため小学校の頃は、お盆、お正月、それから特に用事は無くとも年に何度か父母に連れられて行っていたが、いつ行ってもおじいさんの家は知らない大人が出入りしていた。
 リビングではなく応接間というものがあり、ぶどう色の絨毯、レース編みの花瓶敷き、デザート用の器のように細かい模様が入ったガラスの灰皿、それからショーケースに入った人形など、私の家に無いものばかりがあるその部屋は少し埃っぽくて嗅ぎ慣れぬ匂いがした。私はお客さんがいなくなった後にその部屋に忍び込み、まだ煙草の匂いが残る中でテーブルの上にある余ったお菓子をつまむのが習慣だった。でもお菓子は落雁とかお煎餅とか黒飴とか、おばあさんが用意した子供のあまり好きでないものばかりで、しかし時には饅頭とか羊羹とか、私の好きなものもあったので、めげずに何度もチャレンジしていた。
 忍び込む時は部屋に完全に誰もいないか、また誰かに入るところを見られないか、よく注意していた。お客さんを連れたおじいさんにつかまると、
「ほれ、これがうちの孫娘だよ」
とお客さんの方を向かされ、「あらかわいい」だの「すっかり大きくなって」だの「誰々に似ている」だの、「綾乃ちゃんがお嫁に行くまでは相原さんもぽっくりいけませんな」だの言われて戸惑った。どういうリアクションをとれば良いのか分からなくて、でもおじいさんものんきに
「こんなお転婆、誰がもらってくれますかねえ」
なんて言っているので、ますます戸惑った。だから私は来客中は外でなわとびをしたり、チョークで地面に絵を描いたりしてやり過ごすようにしていた。
 一度、お菓子をとろうとまだお客さんがいるうちに扉を開けてしまったことがある。その時
「遺体を引き揚げないと……」
という言葉を聞いてしまって、ぞっとしたことがある。遺体という言葉は、ニュースの殺人事件でしか使わない言葉だと思っていたから、おぞましかった。慌てて扉を閉めた後も耳をつけて会話を盗み聞くと、「東南アジア」とか「作戦」とか「全滅」とか聞こえて、子供心は勝手に恐ろしさを膨らませた。
 おじいさんは、お煎餅の「ばかうけ」のように長い顔で、手足も長く、背も高く、天井の低い日本家屋の中でひょろひょろと上背をもてあましていた。普段は私に対して優しかったが、お客が来た時は私にだけぞんざいな態度をとってお客に見せつけるところが、子供ながらに子供っぽいなと思っていた。
 そのうち、おばあさんから「おじいさんはお客さんと戦争のことを話しているのだ」と聞いた。私はおじいさんは戦争が好きなのかと思っていた。おじいさんが戦争に行ったのは何十年も昔のことのはずなのに、いまだにこだわっている、というか何かに取り組んでいるのだから。戦争が悪いことだというのは、小学校の国語の教科書に夏になると毎年出てくる戦時中の悲しい話でようく教え込まれていたから、おじいさんは悪い人なのかと思ったこともある。戦争中に何か悪いことをして、東南アジアに残した遺体を引き揚げる作戦でもしているのかと。
 でも、私にはぞんざいでも、お客に対してやけに卑下して「ただの負傷兵ですから……」と言っているところも見た。応接間に飾ってある勲章に話が触れる時はよくそう言った。
「おばあちゃん、フショーヘーって何?」
 小二の私は、台所で孫のためにハンバーグをこしらえているおばあさんの背中に向かって聞いた。
「おじいさんはね、戦闘に行って、外国の兵隊さんと戦って爆弾の破片がお腹に刺さってケガしたんだよ。それで天皇陛下から、お疲れさま、大変だったね、どうもありがとうねって、勲章をもらったんだよ」
「ケガしたら勲章もらえるの?」
「ケガをしなくても、立派なことをしたらもらえるよ」
「じゃあケガしないで立派なことをしたらもっともらえたの?」
「……」
 おばあさんは、年寄りによくある、私は頭が回らないからそんな難しいことは分かりませんよ、そんなにいじめないでくださいな、という風な間をたっぷりとって、
「……戦争のことはよく分からないねえ。行った人にしか分からないよ」
と、お慈悲に溢れる声で言った。
 おばあさんによくこうされるのが嫌だった。特に「子供には分からないよ」とか「まだ知らなくていいんだよ」とか「そのうち分かるよ」とか言われるのが本当に嫌だった。そんなこと言って、うまく説明できないだけじゃないか、大人のくせに、と、よく癇癪を起こしていた。
 対しておじいさんは私のことを子供扱いすることが無かった。というよりおじいさん自身が子供っぽかった。プラモデルやテレビゲームのシューティングが好きで、小学校低学年の子に教えるのなんて面倒臭いだろうに、やたら根詰めて教えてくれた。私が分からないとムキになって意地でも私が理解するまで教えた。おばあさんは「女の子に、そんなものばっかりやらせて」と言ったが、兄は祖父母にあまりなつかなかったので、私が男の子の分まで孫をやってやる、と思っていた。


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