「webは質より量」とはいえ、「質より量」の記事ばっか読むの疲れませんか

私が最近ムカついてることパート2は、

ただ単に
「コーヒー飲んでリラックス。あったまろ」
「時には休むことも大事」
「大きな声であいさつするとすっきりするね」

みたいな、あたりまえ体操な記事が、たくさん出回っていることです。


(ちなみに、私が最近ムカついてることパート1は
「無名の/よく知らない人の人生訓ツイートを「共感オナニーRT」する人」でしたね)


あたりまえ体操な記事ばっかり読まれることに食傷している、という話は、以前にも書いた。


(私、「情報は多様である方が良い」と思ってるので、どんなタイプの文章だって、出回ること自体は全然良いと思うのですが、あまりに多くこの手の「人生ほっこり前向き♪ みたいな、うっすーいエッセイ」が出回り過ぎてパターン化して食傷するのが嫌だ、と思っています)


(ぶっちゃけ今のnoteがこれに近くてキツいです)


(有料の記事をメインに読むようにしたらかなり改善されました)


「コーヒー飲んでリラックス。あったまろ」
「時には休むことも大事」
「大きな声であいさつするとすっきりするね」

みたいなあたりまえ体操な記事とか、

へたくそな料理のレシピとか、

中学生の同人誌みたいなポエムとか小説とか(←これが一番むかつく)、


を、それなりに有名な人が書くと、すぐ「あるあるわかる」共感オナニー現象によって拡散し、結果、私のところにも届いてくる。


そのたび、「なんでこんな有名な人が、こんなロークオリティな文章書くんだろう」と辟易してしまう。


見なきゃいいんだけど、避けきれなくて見ちゃうことがたびたびある。



多分、書いてる人も、「ロークオリティだな」っていうのは自覚してるんだと思う。


それでも「自分の備忘録も兼ねて~」とか、「書くこと自体の楽しみも見出して~」とか「ファンが喜ぶから~」とか「毎日のリアルタイム感を~」とか言い分はいくらでも立てられるし私もそれは超超超わかる。

「書かないと忘れられそうで」「多少質が悪くても頻度が高くないとうもれちゃうから」「みんなが高頻度で更新してるから焦っちゃって」そのきもちだって超超超超超わかる。


あるいは「完璧なものでなく未完成とかヌケとかホコロビがあった方が」、「完成状態ではなく作り途中や成長過程をこまめに見せた方が愛されるから」というのも超超超超超超超超超わかる、なぜなら私はインディーズのバンドにめっちゃハマったことがあるから。


でも、やっぱ、あまりにあざとい、「60点だけど見せるね★ ヌケやホコロビを愛してね★ てへぺろ★」なコンテンツばっかり見せられると、食傷してしまう。


そんなもんはマジの日記に書いてくれ、と思ってしまう。



私は、60点のコンテンツを鼻先にプラプラ下げられるのが普通に不愉快なんだ。


バンドはね、たとえクオリティはムラがあっても、闘志だけはいつも100点満点だったよ、私の好きなバンドはね。



■webコンテンツは質か? 量か?


私は、60点のコンテンツを毎日見せる人より、100点のコンテンツを週1で上げる人が好きです。

人生の最も円熟した時間の粋と集中力を研ぎ澄ませて編まれた、作家が1年に一本しか書けないような長編小説を味わう3時間が好きだ。

30分だけ割いて書かれた、「今日も私を忘れないでね、フォロー切らないでね、関心をつなぎとめててね」あるいは「私が60点のクオリティとやる気で作ったヌケとホコロビだらけのエッセイでも読んで愛着を深めてね」というメタメッセージを発するだけの、うっすいネットの文章を、よむのに、3分すら、投じたくない。


でも、今の世は後者が圧倒的に増えている。


読み手も読み手だ。
1年に1本しか本を書けない長編作家のことは秒で忘れるし、
毎日コンテンツをドロップしてくれる、インターネットに適したクリエイターをもてはやす。


まちがいなく、質より量の時代。


「100点のコンテンツを週1」より「60点のコンテンツを毎日」をもてはやす読者と、
「100点のコンテンツを週1」より「60点のコンテンツを毎日」を体現できる作家が、
両輪となり、
「質より量」の時代を回してる。



私も正直、現状、Twitterも何もやってない作家のことは忘れてしまったり、新刊情報を逃してしまったりする。

そしてSNSに長けた書き手の「今日も私を忘れないでね、フォロー切らないでね、関心をつなぎとめててね」「私が60点のクオリティとやる気で作ったヌケとホコロビだらけのエッセイでも読んで愛着を深めてね」というメタメッセージを発するだけのうっすいネットの文章をついつい読んじゃう3分間の積み重ねにより、一冊の長編小説を読む時間をガリガリと削ってしまっている。



でも。


私は、どんなに好きな作家でも、甘えたテンションの60点の甘えたコンテンツを量産してきたら、ちゃんと「クソコンテンツ」呼ばわりできる、激しめの審美眼とガッツを持っていたい。


そして、

「質より量のクソコンテンツ書いてないで長編書くのに集中しろよ、安心しろ、一年そこらであんたのこと忘れないから」「お前が一年かけて作った大作には、ちゃんとドップリ課金してやるよ」と言えるような、財力とか、余裕とか、些事に流されない重心の低さとか、深い愛とか、を、持ってたい。


これは長編小説を、純文学を愛するわたしの人生目標でもあります。


ちなみに私のこの「軽めの日記」マガジンは、「質より量」をコンセプトに、実験的に更新しております。
私が5時間かけて書いた大作noteがほぼスルーされ、20分でかるーく書いたnoteがその5倍読まれたことをきっかけに、実験的に「質より量」の文章を毎日更新してみようと思って始めたものです。

……なのですが、生来の大風呂敷拡げるの大好き習性により、結構気合の入った連載みたくなってしまい、「結局全然軽くねーじゃんか」「毎日更新しんど……わたしなにやってるんだ……?」と軽く迷走しております。

一応、「渋澤怜が20分でかるーく書いたnoteは要らん、本気の小説だけくれ」とか「小説は要らん、エッセイだけくれ」などの、いろんな要望にこたえるために、めちゃめちゃ細かくマガジンを分けてますので、読みたいやつだけフォローしてください。(そのマガジン分けで迷走もしているのですが)

ちなみに今、まさに私が今、「一年に一本レベルでしか書けない長編小説」と、「noteのエッセイ」の両方を並行して書いてるので、めちゃめちゃキツいです。長距離走と短距離走くらい、頭の使い方が違うので……。でもまだ有名じゃないのでがんばります。私を忘れないでね。


Web時代のファストなテンションと、純文学の濃厚さを同居させた、2000年代にフィットした長編純文学を生み出すのが、私の当座の目標です。



次は、そのことについて詳しく書きます。


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★渋澤怜のTwitter→ https://twitter.com/RayShibusawa

★「ライヴが出来る小説家」渋澤怜のライヴ原稿&動画 https://note.mu/rayshibusawa/m/m2a3e7b11ec6b

★『なんで東大卒なのにフリーター? 〜チャットレディ、水商売、出会い系サクラ…渋澤怜アルバイト遍歴とこれまでの人生~』
https://note.mu/rayshibusawa/n/nb6ca37670da8?magazine_key=mf858e39e18e9

★おすすめエッセイ https://note.mu/rayshibusawa/m/mb0d4bde3bf84
★おすすめ創作群 https://note.mu/rayshibusawa/m/m70e04479475e
★2017年9月からバイトをやめて好きに生きる活動をしています!
https://note.mu/rayshibusawa/m/m8789734ad9cf


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