音楽の花嫁_表紙

【長編小説】音楽の花嫁 11/19

初回はこちら 





たったひとりで音楽を作り、聴いた者は全員死ぬ。そんなネムルの今までの孤独とはどんなものだったろう。美しいとは言えないけれど、私はネムルの音楽を心から好きだと思う。もともとオーケストラから派兵されたのだからこれは裏切り行為になるけれど、私はネムルと一緒に戦うこと以外考えていなかった。ネムルの音楽の一部になれることがこの上なく嬉しかった。
 でも、ネムルの音楽にどうやって私が入るのだろうか。初めてネムルの音楽を聴いた時、歌おうとしても一言も声を出すことが出来なかった。
 それでも、いつか私の「音楽」をネムルに聴いてもらいたい、と思う。誰も愛さないネムルが作る音楽に、自分すら愛せない私の音楽を混ぜてみたい。
 しかしそれにしても一人で「軍」を名乗り作曲も楽器作りも演奏も一人でやってのけるネムルに対して、家来が尊敬でなく、怯えどころか嫌悪まであらわにしていることが私は不満だった。それをメイドに言ってみると、
「だって、朝から晩までひたすら床磨きですよ、奥様。滅多にあの部屋から出ないから関係無いのに。それでたまに出たと思ったら、埃がひとつ落ちてるだけでがみがみ。しかもそれはご主人様から落ちた埃なんですよ。あんな汚い部屋に一日中いるんだから、埃を背負って歩いているようなものですよ」
 それは、おそらく、木製の分身を背負って来た女へのあてつけなんだろうと思う。しかしそれにしてもネムルの潔癖はおかしかった。もはや嫁でもかばえない域だ。
「それに奥様、あの、奥様の棺がいつまでたっても無くならないので、今まであった変な噂がさらに広がっているんです。そのう、奥様にこんなことを申し上げるのも失礼とは思うのですが……」
「何? それ。絶対怒らないから言ってみて」
「はい……」
 メイドが言うには、ネムルは「コピーロボット」なのでは、という噂が家来の間で囁かれているらしい。
「だってお料理をあの部屋に運んでも誰も召し上がるところを見たことが無いし、ゴミを異様に気にするのも、髪の毛や指紋から自分がニセモノとバレるのを怖れているんじゃないかしら、って。ご自分の部屋だけが汚いことの説明がつきませんもの」
「ああ……ネムルはちゃんと食べてるよ」
 機械いじりの最中でもさっと食べられるという理由でサンドイッチばかり作らせて、手袋もとらずにぱくついている。でも床磨きの件はどうにも弁解できなかった。一日中意味不明な行為をさせられて憤慨した人がいかにも考えつきそうな噂だ。
「それに何より、家来をすぐ切り捨てる残酷さ! 昔はあんな人ではなかったと、古参のメイドは言っています。ご主人様は機械のコピーを作って身代わりに置いて、どこかへ消えてしまったんではないか……と皆、噂しています」
「ネムルは機械じゃないよ」
 言いながら、別に機械でもいいかも、と思った。ネムルはネムルだ。でも、機械を異様に怖れる家来達からすれば、ロボットなんて、ゾンビくらいに恐ろしいものなのかもしれない。
「そう言えば、さっき棺が何とかとか言ってたのは何なの」
「え? それは、奥様、お分かりでしょう?」
「分かんない」
「本当に?」
「あー私、『お客さん』とか言うのだから、結構普通のこと分からないの。教えて」
 私は受付の女性との会話を思い出してそう言った。
「左様ですか……。棺は、奥様が、ご主人様と、その、幸せな結婚をされると、消えるのです」
「そうなの? 知らなかった」
 そう言えば私の母くらいの歳のこのメイドも、それより若干若い受付の女性も、棺を背負っていなかった。
「でも今、私結構幸せだよ? というか幸せな結婚ってどういう基準?」
「それは、そのう、ええと、まだお二人は寝室はご一緒にされていませんでしょう?」
「ああ、そういうことか」
 おばさん特有のねばっこい婉曲表現だ。多分こういうのはネムルは嫌いだろうと思った。
「じゃあ、離婚したらまた棺が出てくるの?」
「いえ、というより、結婚生活がうまくいっていない時点で棺が出てくるので、それでもう離婚ということになりますね」
「そうなんだ」
 棺とは一体何なんだろう。ネムルが言っていた「愛」とやらに関係があるんだろうか。
「それで、ネムルと私に性生活が無いから、ますます機械なんじゃないかと思われてるのね」
「はい。大変恐れ多くも」
 ということは私とネムルが性生活とやらを始めれば、ネムルのコピーロボット疑惑は無くなるのだろうか。でも私とネムルの間にはそんな気配は微塵も無いし、私がそんなことを言い出したらネムルは私を嫌いになりそうだ。私もこのままで構わない。などと考えていると
「奥様、どうか手遅れにならないうちに逃げてくださいまし」
と言われて寝耳に水だった。
「え? なんで、なんで?」
「私達家来は皆、協力いたします。奥様は素敵な人だから……ご主人様は寵姫として連れて来られた方を片っ端から拷問して、マルタにしております。こんなに長く続いたのは奥様が初めてです。逆に恐ろしいのです。どんなことをされるのか……ご主人様が、女の叫び声をいくつもかけあわせているのを見た家来が何人もいます。あの、録音という技術は恐ろしい。自然の声を何度も機械で呼び戻すなんて……おこがましいのです。魂を逆行させることです。生きている者なら魂が絞り取られるはずなのです。それでいて平気なのは、ご主人様がコピーロボットだからに違いない……そもそも生きた人間の出す生の音楽に、機械の音が太刀打ちできるはずが無いんです、昔はこの軍も向こうと同じオーケストラだったのです。それをたった一人で全員倒して、ご主人様にすげ変わった……皆怖がっています。何かが間違っているのです。いつか、ロボットに従った罪で、この城ごと女王様に罰されて滅びるのではないかと……」

その時、
「誰がコピーロボットだって?!」
 張り裂けるようなネムルの声がした。いつの間にかネムルが扉の内側に立っていた。
「ネムル、いたの?」
 メイドは、
「ひぃゃあ」
と叫び、背骨が抜き取られたようにその場に崩れ落ちた。私の膝の周りをなめくじのように這いながらどうにかネムルから離れようとしている。
「コピーじゃない! 僕は、僕は……」
 ネムルはがしがしと歩み寄って来て私達の傍にあるミニテーブルの上の果物ナイフを掴んだ。
「ご主人様ぁ」
 メイドはもう涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。生ぬるいものが顔を濡らしたので反射的に目を閉じた。目を開けてみると、そこにあったのは、腕の中身を見せびらかすようにナイフでぱっくりと裂いたネムルだった。血の匂いがどっと鼻に押し寄せる。
「何してるの?!」
 駆け寄る私を意に介さずネムルは
「どうだ。これで分かっただろ……僕は、オリジナルだ。見ろ!」
 脈が打つたびどくどくと血が溢れてあっという間に血だまりが出来た。ネムルはまるで舐めさせようとするように傷口をメイドの顔に近付ける。必死でそむけるメイドの顔に、たらりたらりと、何本もの血筋が落ちていく。
「そんなに、僕の、音楽が、機械が、ニセモノだって言うなら、お前たちは、何者なんだよ! ニセモノ! お前らこそ、ニセモノじゃないか!」
 ネムルは隣の自室に駆け出して行った。ぽたぽた落ちる血の痕跡を私は追った。
「ホンモノならニセモノを殺しに来いよ! ホンモノならさ!」
 自室の扉を全開にして、ネムルが叫んでいた。怪我したネムルを癒す三角布のように、ギターが垂れ下がっていた。今にも音楽を始めようとしている。扉を閉めないといけない、でもあの重い扉は私の力ではすぐには閉じない、私は手あたり次第のコードを引っこ抜いてネムルの音楽を阻止しようとしたが、間に合わなかった。巨大な一対のスピーカーから圧力いっぱいの音が押し寄せて吹き飛ばされそうになり私は伏せるしかなかった。
 悲しい音だった――車に轢かれた女の断末魔のようだった――それが脳天から胴へと突き抜けて私の肋骨を吹き飛ばしていった。列車がトンネルに突入した時のような轟音が耳の膜を震わせる。私の血も肉も筋もはるか後ろへ飛び去ってしまった。ただの筒、私はただの筒でしかない。私は音楽の通り道でしかない。ネムルの音楽になど逆らえない。
 女の叫び声だと思っていたものはいつの間にか赤ん坊の泣き声に変わりそれもどんどん小さくなり、消え入る。その音の行き先の小さな消失点に、死ぬ、という言葉が見つかって、それはとてもいいものようにきらきらと輝いていた。それに重なってしまえばこんなに悲しいことなんて無いのにと思った。マイクが撃たれた鳥のように落ちた。凍てついた静寂が支配した。
 ギターはネムルの血に浸り、まるで一緒に怪我をしたようだった。ネムルはさすがに貧血を起こしたのかふらふらしながらますます白い顔で私を見ていた。
「みんな、死んだかな? おーい、でてこーい」
 ネムルへの返事を拒否するように静寂が支配していた。
「誰も殺しに来ないなあ」
「ネムル、死んじゃ嫌だよ、死んじゃ嫌だよ」
 私の頭にはさっき見た消失点がいまだにこびりついて、いくら頭を振ってもとれなかった。それは、それを見せたネムルが、いつも見ているものではないだろうか。いつもそれを目指して、そこへ向かって、生きているのではないか。
 ネムルに駆け寄りひざまずき、ドレスの裾を引きちぎってネムルの腕を縛りつけた。すぐに血を吸って真っ赤に染まる。またちぎって同じことを繰り返す。肘下から手首までぱっくり開く傷口が完全に見えなくなるまで、泣きながらそれを続ける、「ネムル、死なないで」とうわ言のように繰り返しながら。
「ねえ、僕を殺してよ」
 止血する私の手首を力無くさすりながらネムルが言った。
「そしたら一回きりって分かってもらえる」
「殺せない。私はネムルの音楽が好きだから。血なんか見せてくれなくても、君の音楽が、生きているって感じ、分かるよ」
 私はネムルの胸の上に手を置いた。軍服の上からでもかすかに脈を感じられた。でもこの脈があるからこそ傷口へと血流が送られ、いつまでも血が止まらないのだった。どうしたらいいのだろう。
「そう言ってくれるのは、ヒツジだけだよ。みんな聴く前に死ぬ……覚悟が無い奴ばっかなんだ。君は、本当に、自分の身体が、どうなってもいいと思っているんだね……だからこそ歌い手になれたんだよ」
 ネムルは突然はたかれたようによろけた。
「もう休もう」
 私は苦労してネムルの身体を抱えて、自分の部屋に連れて行った。誰かを呼ぼうにも、もうこの城の家来は全員死んでしまったに違いない。



スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。