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ベトナムの路上で使い捨ての命を買い、看取った一週間の話

ベトナムでは、命がドカドカ生まれ、ドカドカ死ぬ。
そう書いたのは、4か月前の私だった。

あまりに豊かな自然の恵みのために、命は激しく生まれ、すぐに入れ替わっていく。

そんなベトナムで、使い捨ての命を買ってしまった。が、それに後悔はなく、命の長さに関係なくあの猫は尊い。

■路上で買った猫が一週間で死んだこと

以前この記事で紹介した、ホーチミンのペット通りと呼ばれるle phong hong通りで、猫を購入した。

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見ての通り、狭い檻にいろんな猫がいっしょくたにされており、一匹20万ドン(約1000円)程度から売られている。
ベトナム人がバイクで乗り付けては、ペット用キャリーバッグですらない大きめの麻袋に犬猫を詰めて、連れて帰る。

こんなところで(少なくとも普通の日本人は)ペットを買わないのだが、猫はベトナムではまだメジャーなペットではないためペットショップでの取り扱いが少なく、「ジモティーみたいなサイトでブリーダーから直接買う」か、「この通りで買う」の2択となった私は、「直接見てピンときた猫を選びたい」という理由で、ここに来たのだった。(あるいは、このかわいそうな環境にいる猫を一匹でも救いたい、という気持ちも、あったかもしれない。)


果たしてピンとくる猫は一瞬で見つかった。

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「ベトナムとイギリスの猫のミックス」と言われ、相場より高い100万ドン(約5000円)を払った。
(今思うと「ベトナムとイギリスの猫のミックス」と言うのは完全に嘘だが、「確かにスコティッシュフォールドみたいな色!」と思い、しばらく信じていた)

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恐ろしく警戒心が強い猫だった。
タクシーで店から家へ向かうまでもずっと鳴いていたし、家に着いたらすぐ暗がりに逃げ込み、そこに1日半籠城した。エサも半日以上手を付けなかったし、トイレも52時間行かなかった(!)。

結局、2日経って「やっと慣れれくれた」と思ったら吐き始め、病院に2日入院したのちに死んでしまった。

土曜日の昼に飼い始め、水曜の午後に入院、金曜日の早朝には死んでしまった。たった一週間の付き合いだった。店にいた時から「猫汎白血球減少症」という感染症にかかっていたとのことだった。

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入院先の獣医さんには
「病気の猫を買った場合は、売り手にクレーム入れた方がいいと思うけど……あ、路上で買ったの……oh……そこはno ruleだ」
みたいなことを英語で言われ、
入院した隔離病棟の隣室の猫の飼い主には、
「その店は良くない。野良猫をつかまえてきて、病気になっても悪い薬をinjectして、元気なフリをさせて売ってると聞いたことがある」
とまた英語で言われた。


端的に言って、私は騙されたんだと思う。

でもそのことによって、猫のあまりの美しさ、過ごした時間のあまりの尊さは、まったく損なわれることはない。
私は、猫を買い、看取った一週間で、ちょっとびっくりするぐらい心が動いたし、そしてそこからあまりに多くのことを学んだ。


■縁と履歴

私は、どこぞの猫が死んだという話を聞いたって、何とも思わない。それどころか私は、道行く物乞いもスルーするような、冷たい心の持ち主だ。

おそらく、あの病気の伝染力と死亡率の高さを考えると、あの店の同じ檻にいた猫はほとんどもう死んでいると思われるが、そのこともなんとも思わない。

縁が無いからだ。

自分が買ってしまった猫は、縁が発生してしまっている。
そして、家に連れてきて、なつかせてしまう中で、着々と「履歴」が蓄積してしまっていく。

警戒していた猫が、「エサを食べてくれた!」「トイレに行ってくれた!」というだけで安堵に満たされたし、それからは数時間ごとに「触らせてくれた!」「私の顔の前に座ってくれた!」「私が寝てる時くっついて寝てくれた!」など、ポイントカードのスタンプ的な出来事が起こりまくり、あっという間にポイントカードが満タンになった。

飼って数日経っただけで、
「正直、もうこれだけで飼った価値あったな」
「猫を飼うための数か月にわたる準備、投資、勉強……も、一瞬で報われたな」、「(変な言い方だが)元がとれたな」
と思える臨界点が訪れた。

そんな、「縁」と「履歴」が発生してしまった猫だから、死んだら何十時間も泣ける。

この猫が成長したらどんな美しい猫になるだろう、そしてその時は私のポイントカードは一体何枚溜まってしまうんだろう、どれほどの幸せが待ち受けているんだろう、と、わくわくしていたのに、その道があっけなく絶たれてしまったから。

普通に考えたら、履歴の長い相手(親友、恋人、家族など)を失う方が悲しいだろうと思う。

しかし、ペットや子供が死ぬのは、それとはまた別の、特別の痛みがあると思う。
なぜなら、ペットや子供は、「私が与えた環境が全てだから」だ。

もし、成人した人間が死んだ場合は、その人が幸せな人生だったかどうかは自己責任になる。
たとえみじめだ、不憫だと人から思われるような生き様、死に様だったとしても、その人の人生を100%見ているわけではないから
「もしかしたら、見えないところでは幸せにやってたのかもしれない」
と思える余地がある。

でも、ペットとか子供は、親か飼い主が用意した環境が全てだから、そう思える余地が無い。親や飼い主が幸せにできなかったら幸せじゃない。これから成長して自分の力で幸せになる前段階で人生が終わってしまったとしたら、本当にそれっきりだ。

今までは、子供を失った人や、ペットロスになる人の気持ちを軽く見ていた(単純に、「履歴が浅い相手だから痛みも浅いのでは?」と思っていた)。

しかし、下手したら、老いた人間を看取るより、ペットや子供を看取る方がキツいんじゃないか。

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このベトナムの子猫――野良猫だったところを捕まえられ、他人と一緒に狭い檻に閉じ込められ、病気をうつされ、薬を打たれて元気なフリをさせられ、人間を警戒することを覚え、私の家に連れてかれてからも一日半おびえて過ごし、やっと慣れたと思ったらまた知らない病院に閉じ込められ、注射、点滴などの「暴力」を受け、結局、明け方の病院でひとり死んでいった猫――を思うと、何十時間でも泣ける。


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しかし冒頭に書いたように、私はこの猫を買ったことを後悔していない。

身近な人が急に死んだことが無い私にとって、縁と履歴をもってしまった相手の死の宣告を受けることも、入院見舞いも、死を看取ることも、死体を埋めることも、初めてであり、それらはあまりに尊い経験だった。

それらもまた「履歴」であり、ポイントカードにスタンプを押していく過程なのだ。

入院していた時すら、猫がちょっと動いただけで「まだ死ぬ気じゃない! 生きようとしてる!」と思え、大感動だった。

生存している/死んでない/代謝しているということ自体は、もう喜びだったし、死んでからは「生きてるって奇跡だったんだな」と思えた。

そして、元来自分のことを薄情な人間だと思っていた私だが、今回の件で、
「私は、縁と履歴をもってしまった相手のことは、ちゃんと尊べる、まともな人間だったんだな」
と、知ることができた。


(縁とか履歴とかポイントカードを、「愛」と読み替えても構わないんだろう。でも、猫に「愛」という概念はないし、また今まで多くの「愛」という言葉を使った文章が私にとって説得力を持たなかったため、「愛」という言葉を使わずに表現したかった)


■ ■ ■

実は今、私の家には、死んだ猫が入院した際、隣の病室にいた猫がいる。
死んだ猫と同じ病気にかかり、生還した猫だ。
病気だったところを人に拾われた野良猫だったが、拾った人は猫を飼えないため、飼い主を探していたのだ。

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私は、猫が死んでから「猫以外マジどうでもいいわ」となり、「海が見たいな……」と思って海を見に行ったり、色々ヤバかったのだが、一週間半経ってやっと心の整理がついたため、「縁」のあった猫を迎え入れることにした。

死んだ猫が入った隔離病棟の隣室にいて、同じ病気から生還した猫というのは、出来過ぎた縁だと思う。

死の病気から生き残った猫だけあって、めちゃめちゃタフだ。トイレもエサも、私の家に来て1時間で済ませた。獣医さんいわく、エサも猫砂も、何でもいいらしい。人間が大好きで、警戒心ゼロ。いつも私と遊びたがっている。

私はそのことを、全然当たり前だと思わない。そしてそう思えるのは、死んだ猫のお陰だ。死んでいないこと、生きていること、それどころかなついてくれること、あまつさえ成長してくれることに、いちいち驚き、ポイントカードを貯めまくっている。

人生で初めて飼った猫が、あの猫で良かったし、二番目の猫がこの猫で良かった。

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野良の子猫の生存率は50%という。
私はこの猫を、とりあえず死なせないこと、生き延びさせること、そしてゆくゆくは立派な大人の猫に成長させることを、きちんとやろうと思う。そしてあわよくば、猫の方のポイントカード(もしそんなものがあるとしたら)も埋めまくりたい。


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