お元気ですか?元気です。

 その日私はいつも通り7:30に起き、母がつくる朝食を食べ、普通に学校へ行き、3年の先輩が引退して充実してきたバスケ部の練習に汗を流して、帰ってきてセガサターンしようか、ちょっと前の定期テストで成績落ちてたし中3も目の前だから勉強しとくか、と思ったりして、結局スピッツのCD聴いて寝るような、そんな日だったと思う。

 西方での出来事は異世界のことのように遠く、自分の生活には何ら影響のないものだった。それが16年ののち、これほど近しく痛みと悲しみを覚えるとは。「共痛」とでも呼べば良いのか、痛みや悲しみを共感のベースにして親近感を覚える感情は、「本当のところはわからない」前提ではあるものの、その町で暮らす人たちの、現在の地続きの暮らしに共感しやすい状況を生んだと思う。

 それゆえに、テレビや新聞などマスメディアが取り上げる「阪神淡路大震災」という大文字が、「東日本大震災」が示すそれと同じように、起こったことの断片をスキャンダラスに取り上げていたんだな、ということにずいぶん時間が経ってから気づくことになったし、関西で今日1日を何気なく、いつものリズムの中でちょっとしたハプニングを含みながら、同じ1日を過ごしている人がいる、という事実に気づく。西の土地で、そういう1日を過ごしていることを教えてくれることがありがたい。コロナ禍以降、平熱であることは誰かに会うための条件になっているけれど、大きな出来事に遭遇した体験であるからこそ、より遠くの人にじわりと伝わるためには、ある程度「熱を合わせる」ことをした方が、よりうまく伝わる気もする。平熱、大事。

 顔が浮かぶあの方や、あの人・・・。お一人ずつ見えるように、数100kmを越えて手を振りたいような、ぐっと黙って地続きの日を共有するのが心地よいような、そんな気のする1月17日です。

 妙なご縁ですけれど、人付き合いがうまくない東北人ですけれども、これからも仲良くしていただけたら、嬉しく思います。
 猪の肉だの、米だの野菜だの、うめぇもんいっぺぇ用意してかせでけっから、たまに遊びに来たらいいっちゃね。



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