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なぜ私たちは同じ罪を繰り返してしまうのか

 2000年ほど前に、パウロが「善を行いたいと願っている、その私に悪が存在するという原理を、私は見出します。私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることが分かるのです。私は本当にみじめな人間です。誰がこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と手紙を書きました(ローマ人への手紙7:14〜25)。

 2000年経った今でも、多くのクリスチャンが同じ叫びをしているのではないでしょうか。

 しかし、実は120年近く前に、祈りのハイドと呼ばれたジョン・ハイド氏は、この問題に勝利していたことがフランシス・A・マッゴー著「祈りのハイド」という本に書かれています。

 私は30年前にこの本を読み、繰り返してしまう罪から自由になる方法があるのか!と知りました。しかし残念ながら、その具体的な方法については記されておらず、多分祈りとみことばに文字通り命を削って取り組んだ、彼だからできたことで、再現性のあるものではないのかな、と本を閉じました。しかし「不可能ではない」と、ひとすじの光は残りました。

 それから25年かけて、神様は私を導き、教え、鍛えられました。今では確信と実績を持って言えます。「繰り返してしまう罪から自由になることができる」と。実際に自由になる方法をお伝えするのは紙面が足りません。カウンセリングを受けていただくのが早いでしょうね。ですから、ここでお分かちするのは、なぜ、私たちは同じ罪を繰り返してしまうのか、心の仕組みに留まります。

【もくじ】
◇なぜ、善を行いたいと思っても、悪を行ってしまうのか
◇悪を行うことにした初め
◇悪を行うには、必ず理由がある

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