見出し画像

自分にとってのベストとは

石川県金沢市。石川県庁と金沢港の間のあたりにあるコミュニティハウス・シェアマインド金沢で「ゆらっく」と称するセルフケアセミナーが月に一度開催されています。

講師は福多唯(ふくだゆい)さん。
女性護身術「Wen-Do(ウェンドー)」の、日本人初、かつ唯一のマスターインストラクターとして、女性専用のセルフディフェンスの普及活動に取り組んでおられます。企業や教育機関などでの教育・講演も多くの実績を残されています。

「ゆらっく」とは?

ゆらっく:
『あなた(You)』が、『楽に』なれる場所
 「自分としっかり共にいる」
 「自分の声に耳を傾ける」
 「自分とゆっくり対話する」

セルフディフェンスから派生した「いろんなパワー(外圧)に対する心的防御」として、日頃の自分の心持ちを整理する、また、自分の内なる声に耳を向けて、自分の思いや感覚を大切にすることが、日頃のセルフケアとしてスムーズに取り入れられるようになるためのセミナーでもある、とわたしは捉えています。

そんな「ゆらっく」セミナー。
2017年8月に初めて参加してみました。

このときのテーマは「自分にとってのベストとは」
「自分の理想に対する満足感」のとらえどころについて、なんらかの気づきがあるかも知れないという思いから、参加を決めました。


セミナーの流れ

最初に【チェックイン】を行いました。
いろいろな問いが書かれている50枚ほどのカードから1枚だけ引いて、その問いに対する自分の気持ちや感覚を言い表してみる。自分に向き合うためのウォーミングアップといったところでしょう。

引き続き【マインドフルネス】に入ります。
自分の心地好い場所・姿勢をとってリラックス。そして自分の身体感覚や内面に集中していきます。およそ10分ほどの間、自分のからだの声を聴こう、こころの声を聴こうと、そこだけに集中していくわけです。

瞑想の途中で感じたことや思い浮かんだことを、その場でその都度メモにとったりは、ここではしません。瞑想が終わったときに残った感覚をそのまま大切にする、とのことです。終わったあと、参加者が各自の感覚を振り返りつつ話していきます。

瞑想のステップを具体的に体験したのは初めてでした。このときにわたしが感じたのは…

身体的な違和感や特別な感覚は全くなく、ただただリラックス。聴覚だけはかなり敏感に。部屋に響くエアコンの静かな作動音、時計の秒針がリズムを刻む音が心地よく感じられ、それらの背後に「静寂の音」すら感じた。

さらに、ここ最近体験したよいこと、よくないこと。両方が思い出された。よくないことは辛くともフタをしないで見つめなければならないけども「よいことは8割・よくないことは2割」の重みで意識することが、最もバランスの取れた自己認識ではないかと感じられてきた。

…そういうことを話すと、なんと。これ以降のテーマワークでまさに8:2のバランスに言及すると!びっくりしました...

そんな時間を経てメインの【テーマワーク】へ入っていきました。
今回のテーマ「自分にとってのベストとは」に沿って、まずは「自分にとってのベストとは何か?」を各自で考えていきます。

続いて「私にとってのベストを見出す」として、受講者がそれぞれ、自分自身にとっての重要な活動とそれらの状況のバランスを整理していくワークを行いました。
自分自身の現時点の実情を洗い出して、ありたい感覚や価値観との差異に気づき、双方のバランスをとることを考えていく。考えた結果(の大まかな内容)をひとりずつコメントして、受講者同士で共有していく…という流れで講義とワークが進行していきました。

最後に【クロージング】
全体を通して振り返りのフリートークを経て、セミナーが終わります。 


テーマの概要:最善主義

『完璧主義』とは異なる『最善主義』であることへの意識づけ。
「80対20の法則(パレートの法則)」に基づいて、自分にとって「最善」なものごとの捉えかたをする。「完璧」ではなく「最善」を意識することで、失敗も現実の一部として受け入れること。

完璧主義と最善主義の対比の一例:

【自意識の差】
 完璧主義:自分の意識だけに閉じる
 最善主義:他者の意識に目を向ける

【時間軸の差】
 完璧主義:今このときでなければ
 最善主義:後でもよし・つぎでも良し

【空間の捉え方の差】
 完璧主義:一点集中(狭く)
 最善主義:余白スペースあり(広い視野)

【方法論や条件の捉え方の差】
 完璧主義:目先の制約本位
 最善主義:表に見えない条件や前提を想像する


所感

まず、セミナーの場で、自分が整理したこと、他の受講者からのお話を伺ったことを合わせて、こう思いました。

活動量を現状の80%くらいで考える。

自分ができるものごとの量、出せるパワーの量の最大基準を全力の80%と考える。活動を想定したり予定を組んだりする段階で最大値・最大枠を100%として考えない。
でないと、想定外・予定外によって生じた結果や目標の変動に対して柔軟に考えることができなくなる。100%揃わないとゼロだという「all or nothing」思考から脱却するための心持ちとしてもよいのではないか。

*    *    *

その後、セミナーを振り返って思ったことは…

完璧主義=自己満足

完璧主義に囚われると、自分にとっての完璧をどこまでも追求する一方にしかならなくなる。相手や他者にとっての完璧を追求しているつもりであっても、それは『自分が』相手や他者にとって完璧であると『解釈・想像しているだけ』になってないか。

それもまた、結局は「自分にとっての完璧」を追求しているだけで、自己満足の枠を出られていないということになる。

自分の「完璧」は自分の「最善」と必ず合致するとは限らないし、ましてや相手の「最善」と一致するとも限らない。常に自省しなければ。

80%くらいで最善

自分の外の世界に目を向けて、相手の最善を探って見い出して、自分の最善とすり合わせる。このときに意識する最善の目安は80%くらいとみなしておく。自分の思うところの完璧から80%ほどすり合うくらいが最善とみなす。そのくらいに考えておく方が、想定外などに柔軟に対処できるだろう。

*    *    *

全く知らなかったことを初めて知ったということではなく、なんとなく、ずーっと漠然と感じていたことを、はっきりと、きちんと、再認識・再点検する機会になったと思います。

穏やかな空気に包まれたひとときに、気がついたらそこまで視界が拓ける。

「ゆらっく」な感覚とはこういうことでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?