地方は仕事と生活の場が近い。

地方に帰ってきて一番感じたのは、仕事と生活の場が近いということ。物理的に距離が近いのもあるけど、人口が少ないこともあり、関わる人が重なり合うことが多い。お客さんの親戚が近所に住んでいるとか、兄弟の結婚相手が取引先だったとか、そういうことが多発する。


結果、オンとオフの境目が曖昧になる。仕事中も近所の人によく会うし、休みの日にもお客さんによく会う。

例えば、うちの社員さんには釣り好きが一定数いるけど、海釣りをしていたらワカメ養殖の作業をしているお客さんと遭遇し、雑談をしているうちに「週明けにロープ持ってきて」と頼まれることはままあるそうだ。

都市部にいるとそうはならない。僕の場合、千葉の船橋から東京の港区まで約1時間かけて通勤していたので、休みの日にお客さんに会うことはまずない。近隣に住んでいたとしても、そもそも暮らしている人口が多いし、出かける場所もたくさんあるので、遭遇する機会は少ない。


また、お客さんの身内にご不幸があった場合、うちの会社では営業担当の社員さんはほぼ必ずお通夜に伺う。会社としても接待交際費の扱いでお悔やみを包むし、個人としても重ねてお悔やみを包む人も多い。

年齢が若かったこともあるが、東京にいたときはお客さんの身内のお通夜に足を運ぶことはまずなかった。まず、地方出身のお客さんであれば、地元に忌引して葬儀を執り行うことが多い。また、身内でひっそりと小規模に執り行うことも多かったように思う。

どれだけ機会がなかったかと言えば、気仙沼に帰ってくるまで、喪服を一着も持っていなかったくらいだ。こうして堂々と書くと、社会人として恥ずかしい部分もあるが、それくらい使う機会がなかったのだ。


仕事と生活の場が近いことを窮屈に感じる人もいると思う。僕も元々はそういうタイプで、休みの日は人に会わずに静かに過ごしたい気持ちが強い。

ただ、地方にいると知り合いに会う頻度があまりに高いので、逆に、一回一回の接触はあっさりしてくるように感じる。また、同じ地域に住んでいると、ニュース、天気、水揚げ、お祭りなど、共通の話題にも事欠かない。僕は他愛もない雑談をするのが苦手だったが、気仙沼に帰ってきてからは、そういった苦手意識も多少は薄らいだ。


また、知り合いの密度が濃いことは、何か新しいことを起こそうと思ったときに強力な武器になる。東京だったら関係各所への調整は一苦労だが、地方なら大体のキーマンに2~3人を経由すれば繋がる。小ぢんまり開催される面白そうなイベントの情報も、知り合いに聞けば詳しく分かる。

自ら面白いことを始めたり、周りが始めた面白いことに関わったり、アクティブに動こうとする人にとっては、仕事と生活の場が近いことは大きなメリットになると思うのだ。

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