大学の教室

たとえ貧困でも、教育を受けられる社会の実現を。ー大学院の入学金をPolcaで集めてみた話ー

2018年9月20日(木)
ずいぶんと前から、計画をして、準備をしてきた。
「本当にこんなことをやってしまってもいいのだろうか?」
なんども、考えた。実施する直前まで、心臓はバクバクと鼓動を強くする。
少し震えるゆびを押さえつけるようにして、シェアのボタンを押す。
クラウドファンディングアプリPolcaを用いて、大学院の入学金を募ることにした。

そして2018年10月2日(火)
友人と会って話をした帰りの電車の中、目標金額であった10万円を達成した。最後のひと押しをしてくださったのは、ほんの10分前まで会っていた、その友人だった。


2018年の9月20日(木)~10月2日(火)の期間に、大学院への入学金30万円のうち、10万円をクラウドファンディングで集めるということを行いました。企画を立ち上げた段階では、1万でも2万でも集まればとてもありがたいと思っていたので、正直こんなに短期間で10万もの金額を寄付していただけるとは思ってもなく、本当に嬉しかったです。

今回はこの活動を通して感じたことや、考えたこと。
また、そもそもなぜ大学院の入学金をクラウドファンディングで集めようと思ったのかということなどについて、寄付してくださった方々への報告とともに、僕自身の考えなどもお伝えできればと思い、まとめさせていただきます。

目次
1.どのような大学生活を過ごしてきたのか?
2.なぜ大学院に進もうと思ったのか?
3.大学院の入学金をPolcaで集めてみて考えたこと・感じたこと。
4.クラウドファンディングを終えて。協力してくださった方々への感謝。

1.どのような大学生活を過ごしてきたのか?

と、お題を付けながら、高校生の頃からお話しします。

「貧困である」とは言っているものの、小さな頃から家にお金が無かった、というわけではありません。
最初に自分の家が貧困なんだと感じたのは高校3年生ごろのことでした。
きっかけは、父親が失業したことです。

父親が仕事を辞めるという話を聞いて、正直に言って「うちは大丈夫なのかな?」と、不安には思ったものの、失業保険等もありましたし、父親も再就職には前向きだったので、その時点ではまだそれほど心配はありませんでした。ですが、2人いる兄たちは多額の奨学金を借りて、大学に通っていたので、なんとなくも、「ああ、うちにはお金がないんだな。これ以上は家に負担をかけるわけにはいかない。」
そんなことを思っていました。

今だから言えることですが、実際のところ、このときすでに家計は相当苦しかったはずです。しかし、僕はそれを実感することなく生きていました。それは、僕の両親が教育には惜しみなくお金を出してくれる人だったからです。

僕の母親は、過去に絶対的貧困(明日食べるものがないというレベルの貧困)を経験しています。母は中学生の頃から新聞配達をして、高校生の頃から家にお金を入れて、働きだしてからも2人の弟のためにお金を出していたという生活をしていたそうです。
母はときどき「食べるものがあるだけでも、ありがたいこと。」と話をします。そのため、本当の意味で「生きてさえいれば幸せ」を言葉に出来る人であり、教育を受けることの大切さを感じている人です。

きっと両親は、家にお金がない、ということを僕に気づかせないようにしていたのだと思います。本当はずっと前から貧困だったのかもしれないけれど、当時の僕は、実感として持てていませんでした。

とはいえ、家にお金が無いということは感じていたので、塾や家庭教師は使わずに、大学は絶対に国公立に進もうと決めていました。

受験勉強は大変ではありましたが、通っていた通信制高校の先生たちにも助けられ、晴れて第1希望であった大阪の公立大学に合格しました。

独学で受験勉強を行なったのには、単に塾に通うお金が無かったということもありましたが、それに加えて

「たとえ不登校を経験してようが、塾や家庭教師無しでも、努力次第で国公立にだっていけることを証明したい。」

という気持ちも強かったです。(不登校や高校中退の話に関してはここでは省略させていただきます)
僕は学歴主義ではないので、「国公立に行ければそれでいい」とは全く思いません。ただ、もともと通っていた高校を辞めるときに、「これで大学までは行けないかもな…」と不安になったのは事実です。なので、たとえ不登校から学校を辞めたとしても、高卒認定試験もありますし、自分の力で勉強を頑張ることで、国公立の大学に進むことだって出来るということを証明できればいいと思っていました。

大学に入学してすぐは、周りの人達と考え方が合わず、通信制高校とのギャップにも苦しんでいました。
大学の授業自体は、面白かったです。教授の話を聞きながら、あれこれと頭の中で考えるうちに、「自分はただ純粋に学ぶことが好きなんだな」と気づくこともできました。

最初は周りと上手くいかなかった大学生活も、「自分が勝手に周囲の人と壁を作ってしまっているだけだ」と気付いてからは、積極的に友だちとも話すようになり、だんだんと楽しくなっていきました。
大学内では、1年生向けにキャリア教育を行う学生団体で活動をしたり、大学外では、高校生の頃に出会った認定NPO法人D×Pにて、ボランティアとして活動するなど、大学内外でさまざまな経験をしてきました。(D×Pでは、大学2年生の10月から現在もインターンとして活動をしています)

友人も増え、大学内外で積極的に活動して、一見順風満帆のようではあります。しかし、常にその裏では、成績を落とすわけにはいかないというプレッシャーが存在していました。

大学に入学後、成績優秀者への授業料免除の制度があることを知り、勉強は特にまじめにやってきました。結果が実り、無事に大学の授業料免除を取得しました。さらには賞与型の奨学金も受給することができ、形だけ見れば、お金をもらいながら大学に通うという、自分でも信じられないような通い方をしています。
(クラウドファンディング中に書いた記事にもストーリーとしては載せていますが、この授業料免除の申請の際に、家の所得を再確認して、笑ってしまうぐらい低いことに気づいてしまいます(笑))

しかし、もちろん、授業料免除と奨学金、この2つを取得し続けるためには、大学の成績を落とすわけにはいきません。これがボディーブローのように精神面に効いてきます。
家が貧困である、ということは、周りの友達には話していなかったため、ひょうひょうとしつつも、成績発表のたびに内心ビクビクしていました。なので、大学生がよく発する/もしくは発せられる
「一個ぐらい単位落としたって大丈夫やろ」
という言葉が本当に嫌いでした。その言葉を聞くたびに「そういうわけにはいかへんねん」と叫びたくなる気持ちを抑え込んでいました。

特に3年生の時には、そうしたプレッシャーが一番強くなっていました。
それは、母親が一時的に鬱になっていたからです。2017年の5〜7月ごろ、母がとある事情から、精神的に不安定となり、働けなくなっていました。感情をコントロール出来なくなった母から「お金がない!お金がない!授業料免除が継続して取れなかったら払えない!」と、叫ばれたこともあります。僕は「大丈夫、大丈夫。絶対に継続出来るようにするし、ダメだったとしても、自分でなんとか出来るから。もう大人やねんから。」と母を落ち着かせようとしていました。
その時期は、家に生活費を入れつつ、母親のケア・家族3人分の料理、家事・学校・アルバイト・インターンと正直限界を迎えていましたが、なんとかギリギリのところで耐えていました。
その後は母も回復したため、大変ではありましたが、いっときのことだったのでどうにかなりました。(後々家の貯金額を確認したところ、その金額が自分が入れた金額と同じで、「実質ゼロやないかい!」とまた笑ってしまうというエピソードもあります(笑))

とまあ、そんなこんなで大変でありつつも、笑ってしまうような、楽しい貧困生活をしていました。
「楽しい」と表すのは、決して強がりではなく、本当の気持ちです。たしかにしんどかったのは事実ですが、実際のところ貧困という実感が強くあったのか?と聞かれると全力では頷けなくて。貯蓄はほとんどないけど、とりあえず問題なく生活は出来ていたので、自分でも少し不思議です。
結局のところ心さえ貧困にならなければ、なんともないんだと思います。

ただ、それでも、何か一つが崩れれば一気に崩壊してしまうような怖さは常に抱えていました。

2.なぜ大学院に進もうと思ったのか。

大学に入った当初から、大学院まで進むつもりだったわけではありません。むしろ「さらに2年も勉強するのって大変そうだな。」ぐらいに思っていたはずです。

そんな僕が大学院への進学を考えるようになったきっかけの一つは,2年生になった時にある人と出会ったことです。

当時、まだボランティアとして関わっていたD×Pのイベントで、スタッフとして手伝いをさせてもらった時のこと。その打ち上げの席で、教育分野で実践をしつつ、大学院でも研究を行っている方とお話をする機会がありました。
普段ならば、こんな風に話す機会なんてなかなか得られないような人。データを集めること、研究を行うことの重要性について、熱を込めて話す姿に、見ているこちらも興奮していたのを覚えています。

「本当に社会を変えるならば、政策を動かしていくことが必要で、その際、蓄積されてきたデータは必ず武器になる。」

この言葉が、僕の中での「研究」のイメージを変えました。それまでは、「なんだか難しそう」その程度にしか考えていませんでしたが、
「研究で社会を変える」
そんな関わり方も出来るんだ、と気付かされました。

とはいえ、すぐに大学院に進んで研究をしようと思ったわけではありません。当時は頭のどこか片隅ぐらいに、ぼんやりと残っていたぐらいだと思います。もっと直接のきっかけになったのは、D×Pでインターンとして活動する中で、実際に研究者の方と仕事をする機会が得られたことです。

インターン先である認定NPO法人D×Pでは、研究者の方と協力して、社会的インパクト評価に取り組んでいました。
※ここでは「社会的インパクト評価」の詳細については省略させていただきますが、とてもざっくりとした説明をすると、「何らかの活動が社会に与える影響を、正・負の両方の側面から測定することで、意思決定に利用する手法」です。(詳しく知りたい方は、以下の書籍がとてもわかりやすいです。)

「社会的インパクト評価」という言葉自体は、その当時は知りませんでしたが、「なにやら、研究者の人と一緒に仕事が出来るらしい…これは自分にとって良い経験になるのでは?」と思い、参加させてもらうことにしました。D×Pの中でこうした業務に携わらせてもらったことが、後に大学院まで進む決断をする大きな理由となりました。大学院に入ってもこの「社会的インパクト評価」の研究を行う予定です。

また、3年生のときには、ゼミの教授から、「西村くんはデータを読むセンスがある。ぜひ大学院にまで進んでほしい」と言っていただき、自分の中で、得意と好きが重なる部分だったので、「もう少し研究の領域に踏み込んでみよう」そう思うことが出来ました。

3.大学院の入学金をPolcaで集めてみて考えたこと・感じたこと。

なぜクラウドファンディングで、大学院の入学金を募ってみようと思ったか?
そもそも僕がクラウドファンディングという手法を知ったのは、2017年の夏ごろだったと思います。自分一人では達成できないことに対して、寄付を募ることで、実現する。そうした事例をいくつか見た時、最初に思ったことは、クラウドファンディングで学費を集めることは出来ないだろうか?ということでした。

なので、「もしも大学院に進むとしたら、クラウドファンディングを利用してみよう」という構想自体は、1年以上前から考えていました。
その中で、今回、入学金に絞った理由は、入学金には免除制度が無かったからです。他の大学・大学院ではどういう仕組みになっているのまでは知りませんが、入学さえしてしまえれば、授業料免除や奨学金を取得する方法がありますが、入学時にはどうしてもまとまった金額が必要になります。そこで、入学金を募るクラウドファンディングを始めました。

正直、お金のことを考えると、大学院まで進学することも、直前までとても悩んでいました。大学院には進まず、本当はさっさと働きだして、家の負担を軽くした後で、それでも大学院に進みたいと思ったのであれば、そのときに自分の力で通ったほうが良いのではないか?そう何度も考えました。ですが、大学も親にはほとんど負担をかけることなく通ってきました。同じように学費等を自分で負担するようにできるのであれば、「今」大学院に進みたいと思っている気持ちを大切にしたいと思いました。

と、ここまで、クラウドファンディングを始めた理由を書いてきましたが、強い信念と意思を持って意気揚々と行ったわけではありません。実際には不安でいっぱいで押しつぶされそうになりました。以下では、大学院の入学金をクラウドファンディングで集める上で、不安だったこと、悩んだことについて、3点ほど書いてみようと思います。

①貧困らしさを求められないか?

大学院の入学金をクラウドファンディングする際、もっとも怖かったのは「貧困らしさを求められないか?」ということです。

数年前、貧困状態にある女子高校生の現状をテレビで報道したところ、「貧困なのにゲームを持っているのはおかしい」などの批判が集まるということがありました。

日本の子どもの6人に1人が貧困状態にある。ということが言われて久しいような気もしますが、未だに「貧困なのに」というキーワードは世の中に蔓延していて、貧困らしさを求める声を聞きます。

今回のクラウドファンディングを行えば、きっと多くの人の目に触れることになるだろうと思っていました。しかも、企画内容は「大学院への進学」です。「貧困なのに大学院に進むのか?」という疑問は、企画を立てた僕でさえ容易に想像ができますし、もっともな意見だと思います。
だからこそ自分自身、「本当に今進学していいのか?」と何度も悩みましたし、その上で大学院進学まで決めたのは、はっきり言って僕のわがままでしかありませんでした。

また、クラウドファンディングという手法を利用したので、SNSを用いて、自分自信の状況などを発信してきました。企画を実施している最中には、出会ったことのない方からも、応援のメッセージをいただきました。きっと今回のことで初めて僕のことを目にしてくれた人も多かったと思います。
ですが、中にはそうした僕のSNS上での発信の様子を見て、本当に貧困なのだろうか?と思われた方もいたかもしれません。

僕は高校生の頃からTwitterを利用していて、「〜に行ってきた」とか「〜を食べた」といった、そんな何気ない日常のこともつぶやいています。なので、その一つ一つすら、誰かに監視されてしまうのではないかと少し怖かったです。

特にこの1,2年は様々なことに挑戦してきて、そのことを発信してきました。
「フルマラソン完走しました」
「富士山登頂しました」
「こんなことやりたい、あんなことやりたい」
そうやって、SNS上に現れる僕の姿は、おそらく世間の思う「貧困」のイメージとはかけ離れていたのではないかと思います。

しかし、その裏では、すでに書いたように
母親の鬱のこと。
奨学金や授業料免除を意識してしまうプレッシャー。
他にも
何をするにもまずお金を考えてしまうこと。
友人が話す「親にお金を出してもらった」という声に対する嫉妬。
そんな浅ましい感情を持つ自分への嫌悪感。
SNSでは表現できない、多くのものが存在していました。

そもそも、表に出したくないこともあります。
その中でクラウドファンディングを通して、身をさらすことは本当に勇気が入りました。

②クラウドファンディングをすることによって、プレッシャーを感じてしまわないか?

クラウドファンディングを行うことで、プレッシャーを感じて、自分の将来の選択肢を狭めることになってしまわないか?
これも、実施をする前にとても悩んだことでした。

寄付を募るということは、それに伴って、必ず責任がついてまわります。
自分のお金だけで大学院に進めば、それはただの自分事として終わります。ですが、寄付を募れば、そういうわけにはいきません。
大学院に進学した後、例えば、僕が遊び呆けていたりすれば、「なんてやつだ」と思われるでしょう。
もちろんそんなことはしませんし、誰よりも真剣に学ぼうとするだろうとは思いますが、そのプレッシャーが結果的に自分の首を絞める可能性もあったため、合格が決まった後、直前まで、クラウドファンディングを実施するか迷っていました。

将来に何が起こるのか、それは僕には想像することが出来ません。大学院に進むことが自分にとって良い選択のはずだと信じて、行動してきましたが、大学院の在学中にまた進みたい方向が変わる可能性もあります。そうしたときに、クラウドファンディングを行うことが自分自身の選択の足かせになってしまうのではないか?そんなことを、実施前には考えていました。

寄付をしていただけたことは、本当にとてもありがたかったです。
ですが、あまり大きな重圧に感じすぎないようにしつつ、大学院では真剣に学んでいきたいと思います。
こんなこと、本当は寄付をしてくださった方々に失礼なのではないかと思いますが、あえて言葉にさせてもらいました。

③貧困当事者にとってのしんどさにつながらないか?

最後に、これは、クラウドファンディングを実施している最中に考えたことですが、今回のことが、貧困当事者の方たちにとってのしんどさにつながってしまうのではないかとも考えました。

「貧困でも、クラウドファンディングなどを利用して学校に通うことが出来ないだろうか?」こうした行動が、逆に誰かの可能性を奪ってしまうことだってあると僕は思っています。

僕はかつて、2年半の不登校で引きこもっていたという経験がありますが、その不登校の最中に
「例え不登校でも、今こんな風に生きてるよ!」
と、一見キラキラとした姿を見せられて、希望を持てただろうか?と考えると、決して全力では頷けません。
どちらかというとそんな相手と自分を比べて、さらにしんどくなっていたのではないかと思います。

同じように、
貧困であれ、勉強を頑張ることで、授業料免除や奨学金を取って大学に通っていたという話や、クラウドファンディングを行ったという話が、誰かのしんどさにつながる可能性もあります。
僕なんかよりも、もっとしんどくて、お金にも苦労していて、勉強する余裕もない。人とのつながりもない。今を生きるのも精一杯。そんな子だって日本には大勢いると思っています。僕はたまたま運が良かっただけです。

「出来る」道があることと、「実際にやる」ことの間には、個人の努力だけではどうしようも出来ない、とても広い隔たりがあります。また、「出来る」ことを、「実際にやる」ことが本当に正しいのかもわかりません。

だから僕は、たとえお金が無くても、学校に通うことができる、という姿を見せてはいますが、本音を言うと、別に学校に行くことだけがすべてだとは全く思いません。もっと言えば、大学院に行くことが良いことなのかさえわかりません。

今の時代、大学に行かなくても学べる場は多く、大学に通える道があるからといって、必ずしも大学・大学院に進むことがその人にとって良いことだとは言えないと思います。
ただ、もしも、お金がない状態でも、大学に通いたい(高校の可能性もありますが)、そう思うのであれば、いろんな方法があるよ。そういうことだけ伝えられたらなと思います。

4.クラウドファンディングを終えて。協力してくださった方々への感謝。

ここまで長々と、これまでのことや思いを書いてきました。
公開することもまた、悩みました。
ただ、今年の8月、僕の過去の不登校経験を人前で語り、その様子を毎日新聞のコラムに載せていただきました。その際、出会ったことのない方からもメッセージをいただき、自分自身の経験をなるべく具体的に発信していくことが重要であると感じました。今回のことが誰かの何かに繋がれば幸いです。

「たとえ貧困でも、教育を受けられる社会の実現を。」
と、題名にさせてもらいましたが、自分が助けていただきたくてやっただけのことを、勝手に高尚なものに昇華させてしまうことが良いことなのかもわかりません。
ただ、「いじめ」「不登校」「貧困」いわゆる社会課題と言われるものの当事者として。僕自身は何か事業を作ったり、社会を大きく変えるような力を持ってはいませんが、そんな自分なりに声をあげられる方法があるんじゃないかと思い、こうしてまとめさせていただきました。
「こんな方法はダメでしょうか?」という、あくまで一つの提案です。


今回クラウドファンディングを実施するのはとても不安だったのですが

友達からのメッセージ
出会ったことのない人からの応援メッセージ
直接の言葉かけ
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何より、寄付のお知らせ

一つ一つのこと、全てに支えられました。

最後に、polcaにて、寄付をしていただいた方のお名前をこちらに載せさせていただきます(polca上の表記で統一させていただきます。)

sachiiritaniさん
マツキリョウさん
NoriakiImaiさん
mozukun188さん
おかちゃんさん
yuzutumugiさん
kenseiさん
hironorisatomotoさん
katayama_syotaさん
shigakuさん
ShintaroTamaiさん
Mayu_sanさん
shanpuさん
ゆめだすけさん
kotetさん
eich_taliaさん
Takafumi Sasakiさん
おはいさん
Shisakamoさん
satominakagawaさん
YukiMARUYAMAさん
荒木雄大さん
hiro7526polcaさん
gawashさん
da_kazuさん
kayoさん
ほっちさん
まさみつさん
ネコさん
yutagogoさん
あゆみさん

今回、特に、インターン先である認定NPO法人D×Pでつながった方達に多くの支援をしてもらいました。いつもいつも、見守ってくださって、本当にありがとうございます。

また、過去に出会ってきた多くの方々にも支援してもらいました。本当にありがとうございました。
なかなか会うことは出来ていませんが、また会える日を楽しみにしています。「覚えてくれていた」それだけでも嬉しかったです。

そして、まだ直接はお会い出来ていない方からも支援していただきました。
見知らぬ僕のことを知ってくださり、寄付をしてくださり、本当にありがとうございました。
本当は直接お会いして一人一人に感謝したいところなのですが、こうしてnote上でのお礼という形にさせていただきます。

最後に、ここまで読んでくださった方々も本当にありがとうございました。

#教育 #貧困 #クラウドファンディング #polca #体験談 #報告書

読んでくださりありがとうございます。  好き、コメント、サポート、何でも嬉しいです。