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長州小力になあれ

久しぶりに神戸岡本の『春秋』でモーニング。去年くらいからここのモーニングが、オペレーション簡単なお手軽メニューに変わってしまって、これはひょっとして『コメダ』や『星乃』的な、コンサル介入チェーン展開の前兆なんじゃないか? と思ってまったく来なくなってたけど、なんだか今日はどうしてもここのはちみつバタートーストが食べたくなってやってきた。

きっと一年ぶりくらいだけど、昨日も来たような顔をして、一階に置いてある神戸新聞をさっと握り二階の禁煙席へ連れて来る。季節はいつのまにかアイスコーヒーを通り越していて、春秋と書かれたカップに注がれた熱い珈琲を飲みながら、神戸新聞の一面をぼんやり眺めた。

いまだに経済成長を一番に掲げる安倍さんの「GDP600兆円目標」という文字。600兆円。もはや意味不明な数字に、響きだけしか頭にはいってこない。ろっぴゃくちょうえん。ちょうえん。そういえばこの人、腸炎で急に辞任したことあったよな。と思い出す。

この人の言葉にこんな風にしか向き合えないのは、このおじさんがずっと言葉を不誠実に使ってきたからだ。僕は物書きとしてそのことをとても悲しく思っている。この人の言葉に一番始めに不信感を持ったのは2006年に出た文春新書『美しい国へ』だったことを思い出す。

当時僕が作っていた雑誌『Re:S』(リトルモア刊)に、「りすからの提案」というページがある。広告代理店を介さずに雑誌を作ると意気込んでいた僕は、クライアント縛りのしがらみのなさから、毎号、企業や人にこのページを介して直接メッセージすることを続けていた。ずいぶん無謀なコーナーだけど、そこから実際に魔法瓶メーカーさんや、富士フイルムさんとのものづくりに発展していったのだから、馬鹿にしたもんじゃない。いまとなっては恥ずかしいけど、ここで画像をアップしてみる。

地方がいいの提案(2007年/Re:S)

「Re:S vol.4 2007 Spring」特集「地方がいい」。いまでこそ当たり前のように頷いてもらえる言葉も、当時はただの天の邪鬼のように思われて終わりだった気がする。でも僕には確かな実感があった。だからこそ「美しい国、日本」などと軽々しく言う安倍晋三という男に、その美しさをどこに見るのか? を問いただしたかった。「美しい国」という言葉を、不当に使い、空っぽな言葉に転換して欲しくなかったのだ。穏やかな口調で会いたいと書いてはいるけれど、実際は胸ぐら掴んで訴えたかった。それが僕のリアルだった。

一昨日くらいに偶然、大河ドラマ『花燃ゆ』の総集編を見た。もはや僕はまっすぐな目であのドラマを見ることができない。もうこれ以上、長州閥にコントロールされ続ける日本はいやだ。明治維新以降、僕たちが失い続けたものについて考えなきゃいけない。様々な権力を断ち切り、小さくなった長州の力を前に、「もう切れてんじゃないですか?」と聞けば、空しい顔で「いや、切れてないですよ」なんてつぶやく、そんなギャグが流行ればいいのにと切に思う。


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