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生きのびたい

突然ヒッチハイクで大阪を飛び出し、
新潟や秋田などを転々としていた絵描きのsaccoが
石巻に移住したのは5年前の震災直後。
そんなsaccoを頼って、僕も震災後何度か石巻に足を運んだ。

さらに月日が流れ、
いまは瀬戸内海にある
人口14人の志々島に移住したと聞いていたsaccoから、
突然みかの携帯に電話があって
「そらちゃんに会いたい」と一言。
そしてまるでそのオマケみたいに
うちのすぐ近くにある「ギャラリー6cで展覧会をしてる」と。
そう聞いてすぐに観に行った。

会場に入ると
“あんどさきこ”という本名と携帯番号が書かれた白いボックスに
『生きのびたい』と書かれている。
そしてホワイトキューブの壁面には、
黒く大きな津波が描かれていてハッとした。

そこには津波にのまれ天使になった大川小学校の子どもたちや
小さな子どもを抱えたお母さんの姿など
saccoが石巻に住む間に見聞きした様々な人々が描かれていた。

そう言えば彼女に出会って間もない頃、
突然「天使になりたい」と言われたことを思いだす。
あまりに急なその言葉に戸惑いつつも、
僕はなぜだかこの子ならなれると
確信めいた気持ちを持った。

あれからもう10年が経つ。

「なんで急に展覧会することにしたの?」と聞く僕に、
saccoは「生きのびたいから!」と大きな声で叫んだ。

saccoは本当に不思議な女の子で、
まだ小さかったそらとまるで双子のように仲良しだった。
けれどいまはもう、そらの方が大人のよう。
saccoは31歳だけど、saccoはいつまでもsaccoのまま。
子どものように純粋で、そして残酷。

saccoが石巻に行く事を決めた時、
一つだけ決めたことがあるという。
それは絶対に泣かないこと。
涙が込み上げてくるたびに自分のおへそをつねって我慢した。
そして5年間ずっと、石巻で聞いた話をお腹に閉じ込めてた。
そうsaccoは言った。

他人に言えない話を、
なぜかみんなsaccoには言えたのだとわかる。
僕が石巻に訪れたときも、
いまのそらよりも大きな、中学生くらいの子どもたちが、
なぜかsaccoに順番におんぶをねだったりしていた。
みんな何かを抱えていて
みんなsaccoに甘えていた。

saccoの絵を見ながら僕は、
最近お話を聞く機会を得た、101歳のジャーナリスト、
むのたけじさんの言葉を思い出していた。

「皆さん、黙祷をするけど、黙祷する時間があったら、もっと声を上げなきゃダメ。厳しいとき、辛いとき、日本人はこれまでどうしてきましたか? 誰かたすけてくれないかな? 誰かひっぱってくれないかな? そうやって英雄待望してきた。それじゃあ何も変わらない。黙祷するよりも、みんながそれぞれに、こーしたいんだー!あーしたいんだ!わーーー! って叫べばいい」

saccoはいま「生きのびたい!」と大きな声で叫んでいる。

展示は3月20日まで。saccoの描くこの作品は
素晴らしい震災の記録画だと思う。
関西の人はぜひみてほしい。


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