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僕と算盤

※昨年アップしたものから書き直しました。

出会いと洗礼

小学校が生活にすっかり馴染んでいた4年生の春、友達と自転車を漕いで向かっていた。目的地に近づくにつれて僕の口数は少なくなって、緊張していた。

人間、誰しも「最初」はそんなものだと思う。

そんな僕を横目に友達はいつもの様子で軽く扉を開けると、そろばんに向かおうとしている年下の見知った顔が揃っていた。3年生の授業で使うから、と親戚から譲り受けたそろばんを携えて僕は、一歩を踏み出した。

テレビでいつか見た、目を追いかけられそうもない運指、答えを書きなぐるその速度、そして終始漂う緊張感…

そろばん塾の門を叩いた当時、4年生であれば掛け算は余裕、割り算すらも使いこなしている学年。なのにそろばんでは繰り上がりとか繰り下がりの計算をやっとこなせるレベルからの、実にほど遠いスタートだった。

歯ごたえがない、飽きる。

なんなら暗算でできる。

それをそろばんを使ってわざわざやるなんて…そんな単調な問題をひたすらやらされていたが、あることを思い出した。

中学生くらいになると年齢の上下で先輩後輩の縦関係が生まれるけれど、僕らはまだ小学生。そんなものがあるはずなかった。いくら彼らの兄や姉と同級生であっても、そろばんの腕では彼ら以下だったから口撃が容赦なかった、あの帰り道のことを。

「お前、まだこんなところか」「ダッセエなあ」と貶されるのは毎回。

「なんで今更はじめたの?」と子供らしい純粋なまでの真顔で質問されることもあった。

子どもは純粋だから…その純粋さがここで凶器にかたちを変えて、僕の心を切りつけた。始めた当初は辛い記憶しかなかった。サボれば怒られるし、始めた以上は上達したかったけど、仕方ないから行くといった心持ちだった。

このまま負けていられるか。

いつか見返してやる。

その人生最初の屈辱が、僕の闘争心に火をつけたのかもしれない。
事実、単調な計算に辟易することはあっても、辞めてやろうとは思わなくなった。

3級の壁

出会いから数年、中学生になった。進度は早いほうではなかったけれど、なんとか通い続けていた。
誘ってくれた友達は部活が忙しくなって顔を出さなくなったし、からかっていた年下の彼らもいつの間にか姿を消していた。あの頃からは随分景色が変わった頃、3級合格に向けて僕は動き出した。

最初から振り返ってみると計算する桁数はかなり増えたし、答えも日常では見たことのない数字になっていた。今回もそんなものだろうと高を括っていたら、3級は小数点に苦労させられることになった。

それでも練習しつづけて、試験になんとか臨めるくらいになった。
こういうのはひたすら場数を踏むしかないからひたすら珠を弾き続けていた。
毎回満点ではなかったけれど、制限時間内に解き終わって、かつ正答率も高いレベルを維持できていたから余裕!

のつもりだった。

結果発表は毎回緊張する。
いくら手ごたえを感じていてもこの瞬間ばかりは固唾を呑んでいた。

たった1問、されど1問。

学校の壇上で賞状を受け取ろうとした瞬間に校長先生が手を引っ込めて思わず空振ったかのような拍子抜けした感じ。
その合格に近い不合格が受け入れられず、かなり悔しい思いをしたことは覚えている。

そろばんで初めての敗北。
この結果発表の瞬間の敗北感はもちろん、申し訳なさそうに、心惜しそうに結果を伝える先生の顔、周囲の空気…10年以上経った今も覚えている。
この悔しさが、今まで成功しかしていなかったそろばんとの向き合い方を変えてくれた。間を置かず2回目を受けたときは頑張ったせいか、余裕で合格点を突破していた。

2級の壁

準2級はあっけなかったものの、2級で3級以上の壁が立ちはだかることになった。
補数計算というボスキャラが現れた…

要するにマイナスの計算が加わったことで、制限時間内に全問解き終えることも難しくさせたのだった。

この時、気づけば高校生も半ば。
誘ってくれた友達はとっくのとうに正式に辞めていて学校も違って全く会わなくなったし、年上の先輩はごくわずか…いや、お前が先輩じゃんとツッコまれる位いつの間に、その教室では自分が最年長で、最上級だった。

ただ、昔ほど運指がスムーズではいかなくなっていて、サービス問題ですら間違える始末。明らかに伸び悩んでいた。

結果はいつも正直だ。
1回目も、2回目も、3度目の正直も失敗に終わり、最上級の座も年下の後輩に譲るほど数年前の勢いは嘘、とばかりに後退していた。
高校を卒業したら、ダッシュで帰宅してなんとか誤魔化しながら行けていたそろばんも、いよいよ行けなくなるのはわかっていたから焦ってもいた。

最後の大勝負、これで本当に最後、と今思えばバキバキのフラグを立てた4回目の試験も3級同様僅差に泣かされ、未練を残したかたちで教室を去ることになった。
掴まれてんの?って程かなり後ろ髪を引かれた。

最初は嫌々行っていた頃が懐かしく感じるほど、最後は凄く楽しかった。最年長らしく、後席に陣取って寡黙を貫くような男ならいいお手本だったろうが、僕は正反対の男だったから他からすれば厄介者に過ぎなかったのかもしれないがそれでよかった。いつも一緒に帰っていた後輩に密かに好意を抱いていたのも、それを密かに伝えたけれど撃沈したことも、そのおかげでよく着ていたメールがパッタリ途絶えたのも、他の彼ら・彼女らと紡いだそろばんのほんの隙間にあった楽しいひとときも、今思うと懐かしい。

教室という場を通して、そろばんとの向き合いを通して、一言では言い表せないことを僕に教えてくれた。正しい方向で努力し続ける、嫌なことがあっても粘り強く取り組むことの大切さを教えてくれたのは今の人生で大きな財産であったように思う。

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