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1994年生まれ、群馬県高崎市出身。大学で社会学を勉強したのち、デジタルデザインの企画…

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1994年生まれ、群馬県高崎市出身。大学で社会学を勉強したのち、デジタルデザインの企画・設計を仕事に。もう一歩、暮らしや自然の近づいてデザインしたいと思い、2023年1月に長野県伊那市に移住。地方と都市や、産業構造など、大きな「社会」について考えつつ、自分の心地よい生活を探求中。

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スクールカーストを思い出す 0516

7時半ごろ起床、9時頃に布団から出る。今日はちゃんと早めに寝て、生活整えよ…(これ毎日言ってる) 昨日の夜に再視聴していた『桐島、部活やめるってよ』の余韻に浸る。やっぱりいい映画だった。自分の高校時代が否応なく思い出される。 私は当時、スクールカーストで言えば上の方にいたと思う。いたかったとか、必死にコードを守っていたわけではなくて、たまたまそこにいた。勉強は普通にできたし、バスケ部に入っていたし、元から割と快活な性格で、そこまで緊張せずに人と話したから。背も割と高い。田

    • Through back Thursday(& Friday) 0514-0515

      0514 今日の目覚めはまあまあ。7時半ごろ目が覚めて、そこからいろいろニュースを惰性的に眺めて、9時頃になってようやくベッドから出る。昨日食べ過ぎたので、今日はなるべく固形物を避ける。(実家でこれを遂行するのはなかなか至難の技) 今日あたりから少しずつ日々を整えることに挑戦する。生理終わりだし、昨日は一日おやすみモードだったからちょうどいいし。 東京の歯医者や東京の精神科医にかかりたい、と思う。相手も私のことを無名の患者として扱い、私も相手のことを無名の患者として扱う

      • 価値観についてそういえば考えていた日(2020年5月6日)

        昨日の夜は寝床に入ってから、休暇終わりの憂鬱な気持ちを解消したくてセックスアンドザシティを見始めてしまった。3話まで観てなんとかストップ。 今見ると、少し昔の女性の切実な悩みが本当に直接的に描かれているのだなという気持ちにさせられた。「独身女性は本当にエレガントか?」「どうしていつも女性が譲歩しなくてはいけないの?」など。現在はもう少し関係がフラットになっているし、独身の人ももっと受け入れられる社会になっていると思うけど、ほんの少し前までは、美しさを保ち、男性から言い寄られ

        • 体が重い(2020年5月5日)

          6時ごろ目が覚める。が、最近はなんだか朝すっきり起きられない。過食気味だからだろうか。結局10時前までベッドから起き上がることができなかった。過食気味なのも運動不足なのも自覚はしているので、今日は朝食はスキップし、できるだけ食べない日にしようと心の中で、小さく決意。 しかし午前中は本当に体がだるくて仕方なく、昨日みつけたブログを読みながら、適当に音楽とかラジオを聞いたりだらだらして過ごす。Twitterでランダムにザ・女子向け元気が出る映画(オードリーヘップバーンとセックス

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          欲張り(2020年4月27日)

          私は欲張りだ。その性格のせいで、自分で自分の首を絞めることも多い。例えば今も、やりたいこといっぱい両手に抱えて、結局ゆっくりとぼとぼ歩くしかなくなっている感じが、今日はすごく強くて、なんだかすごく寂しくなってしまう。自分の必死さが、ものがなしい。 そんなに欲張って、わたしは卑しいな。 欲張りといえば、思い出す、ホームビデオ(を見ている自分)のワンシーンがある。 私が多分5歳か6歳くらいのときのビデオ。それを見る自分は、多分15歳くらい。ビデオデッキを手放すとかで、整理の

          欲張り(2020年4月27日)

          選択練習(2020年4月26日)

          この春、私は再度大学に入学した。 とはいっても、通信制なので、仕事は続けながら、基本的には自宅にて学習し、時々通学して先生や仲間と共に学ぶ。 デザインの勉強がしたく、運良く少し貯金も溜まっていたし、しばらくは海外に出れそうにもないし。またひとつ、新たな挑戦。 25歳にもなって(という物差しが、相対的で言っても仕方のない枕詞とは承知しつつ)、私はまだ自分が生業としたい事柄が未だはっきりとわからない。 18歳の頃の私や、23歳頃の私が見れば、まだぶらぶらしているの?とでも

          選択練習(2020年4月26日)

          "Sorry, we missed you"(邦題「家族を想うとき」)

          こんなにも悲しくなってしまうのはきっと、自分たちの生活を覆う巨大な経済構造が、いち人間の存在や願いをあっけなく踏み潰しているということが、極めて我々が感じている事実に近いからなのだからだと思う。 この映画を観たあと、私は涙が止まらなかった。号泣とか、嗚咽が止まらないとか、そういった衝撃を受けたときの身体の反応ではない。心を静かに掴まれてしまって、そこがどうにも痛い。 映画館を出て、なんとなく駅の方にのろのろと歩きながら、ぼんやりと映画のことを考えていると、この寒い中、BI

          "Sorry, we missed you"(邦題「家族を想うとき」)