大都会/クリスタルキング

クリスタルキングは1971年にムッシュ吉崎を中心に佐世保で結成され、佐世保の米軍キャンプや博多のディスコクラブなどで活動していました。

1976年にカバー曲『カモン!ハッスル・ベイビー』でデビューしています。
1978年のポプコン本選大会でグランプリを獲って区切りをつけるはずが、まさかの入賞に終わってしまいました。
(グランプリ受賞は円広志の『夢想花』でした。)

その時、ポプコンのスタッフに「お前ら、九州の男やったらもう一回勝負するよね。」と言われたことで火がつき、生まれたのが『大都会』です。
曲の舞台は東京ではなく博多で、故郷で抱いた果てしない夢、大都会での厳しい現実と葛藤が描かれています。
田中昌之は「俺らは『夢想花』のサビのインパクトで負けただけだから、簡単に言えば審査員を驚かせればいい。俺の高音で歌メロが始まれば、びっくりして審査員は〇を付けるやろ。」とグランプリ獲得を宣言しています。

翌1979年に宣言通り『大都会』でポプコングランプリを受賞し、さらに世界歌謡祭でもグランプリを受賞しています。
同年11月21日に『大都会』で再デビューし、150万枚の大ヒットを記録しました。
田中の「3オクターブの美声」と評されるハイトーンボイス、吉崎のドスの利いた低音ボイスは大きな話題となりました。
(田中曰く高い音は出そうと思えばピアノの最高音を超えるぐらい出せるとのこと。)

もしも彼らが今の時代にタイムスリップしたら、歌の上手さと迫力で他のアーティストを圧倒することでしょう。

『蜃気楼』、『愛をとりもどせ!!』もヒットしスターの仲間入りを果たすかと思われましたが、『大都会』のセールスを超えることはできず、その後は波乱万丈の運命を辿ります。

田中は1986年に「グループでは役割が固定していて、自分の好きなロックが歌えない。」という理由で脱退しています。
ソロに転身したもののCDが思ったように売れず、福岡に戻りホストクラブのステージで歌っていましたが、突然の悲劇に見舞われました。

1989年に草野球の最中に打球が喉を直撃してハイトーンボイスを失ってしまったのです。
さらに、「高い声が出ないお前に用はない。」と勤めていたホストクラブをクビになり、周りの人達もどんどん離れて行き、約3年間死ぬことを考えるほど落ち込んでいました。

ある日、友人でプロ野球選手の若井基安に「どんな豪速球の投手でも、いつかは変化球で勝負しなければならない日が来る。お前は変化球で勝負する勇気がないのか。」と諭されたことで歌い続ける決心をしたと語っています。
それからはハスキーボイスを売りにし、天神のパブでバーテンをしながらショータイムに出演し、再びメジャーの舞台に戻るチャンスをうかがっていました。

1995年に再加入しましたが、そこで待っていたのは想像を絶する屈辱でした。
吉崎は『大都会』を当時の原曲キーで再現したいと言い出しました。
しかし、田中の状態を考えると到底無理だったので何をしたかというと口パクでした。
事前に田中の歌声を録音して人工的に原調まで引き上げ、それをTVやラジオなどに流したのです。
その際、田中はマイクの前で口をパクパクさせるしかありませんでした。
そのため、ストレスが募りメンバーに八つ当たりすることもあったそうです。

田中は1998年に再脱退し、他のメンバーも田中に従って脱退しています。
(現在、クリスタルキングは吉崎のソロプロジェクトになっています。)

2009年には田中と吉崎の間で商標権を巡る訴訟が起こっています。
発端は田中がライブの告知でクリスタルキングのボーカルと名乗り、TVで「クリスタルキングは解散した。」と発言したことでした。
吉崎は自身の経営する「株式会社クリスタルキングカンパニー」が商標登録しており、田中の当該行為は「商標権の侵害」に当たるとして、グループ名の使用禁止と計1,050万円の損害賠償を求めています。

2010年に吉崎の主張は「脱退後に元メンバーがクリスタルキングの名前を使っても何ら問題はない。」として棄却されました。
また、解散発言については「田中の某発言は虚偽であると認めるが、1998年にされたものであり、当該不法行為から3年以上が経過している。」として時効が成立しています。
両者の仲は修復不可能なほど悪化しており、再結集は永久にないと言われています。
かつての仲間同士でドロドロの争いが繰り広げられたと知ると正直悲しくなりますね。

その後ですが、田中は2011年に心筋梗塞で倒れて救急車内で心肺停止になり、4回目の電気ショックで奇跡的に蘇生しています。
それまで1日2箱吸うヘビースモーカーだったが完全に禁煙し、新たに生涯現役ロックシンガーになる目標が生まれたと明かしています。
様々な困難や試練を乗り越え、心から楽しんで歌えるようになった今の姿を見ると大変心を打たれます。

吉崎は代表取締役の傍らアーティストとしてディナーショーにも出演するなど精力的に活動しています。
年を重ねて貫禄が付いたせいかヤクザの組長の雰囲気を感じるのは私だけでしょうか(笑)

『大都会』の衝撃から来年で40年目を迎えるクリスタルキング。
その道のりは泥まみれで決してカッコいいものではないかもしれません。
けれど、これほどまでにドラマチックなグループもそうそうないと思います。
クリスタルキングの名前は後世まで語り継がれてほしいですね。


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