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【S03:STORY】CHAGE and ASKAのオマージュから『BOKRA and REN』へ

ギター&ボーカルの如月簾(きさらぎ・れん)とBOKRA(ボクラ)による音楽デュオ・BOKRA and REN。CHAGE and ASKAのオマージュデュオとして始まり、現在はオリジナル楽曲中心に活動する彼らの過去と未来に迫った。

音楽への情熱と挫折

岩手県釜石市出身の如月簾は、18歳で上京して音楽活動を始めた。ギター、歌唱、ハーモニカ、作詞作曲、全て独学で覚えたという。

如月は「音楽で食べていけるようになりたい」という夢を持っていた。がむしゃらに努力を重ね、都内各地で演奏した。「出演したライブハウスの数は数えきれません」と語る。

3回ほどユニットを組んだが、いずれも1年ともたずに解散した。音楽に対する姿勢や、考え方の不一致が原因だった。

ギター弾き語りのシンガーソングライターとして、徐々に活動の幅は広がっていった。とある男性プロデューサーと知り合い、大好きなCHAGE and ASKAのカバーでイベントに出演するようにもなった。

しかし、思うような成功を得られないまま歳月は流れた。オリジナルCDを制作し、世に出したとき、彼の中で一つ区切りがついたという。
「もういいかな、と思いました。あとは趣味で細々と続ければいいかな…と」。
 音楽への情熱の炎が消えようとしていた時、BOKRAと出逢った。

「ASKAを見つけた」

音楽好きな親戚の影響で、幼少期からCHAGE and ASKAの楽曲に親しんでいたBOKRA。中学生の時にアルバム『SUPER BEST II』にハマったことがきっかけとなり、友人とカバーバンドを組み、ボーカルとして歌うようになった。

「僕はCHAGE and ASKAの曲を聴くと、CHAGEの声が一番に耳に入るんです。ASKAのパートは上手く歌えない、という曲も多いです」。彼は生来のハモリ担当だった。

しかしバンドメンバーはそれぞれ忙しく、年に一回集まってライブを行う程度だった。社会人になってからは独学でギターを習得し、弾き語りとして路上ライブ等も行ったが、趣味の範囲だった。

そんなある日、CHAGE and ASKAのファンコミュニティでの知り合い―後日、BOKRA and RENのマネージャーとなる女性から、「ASKAのカバー演奏をしている人がいる。ライブを見に行かないか?」と誘われた。

軽い気持ちでライブ会場へ足を運んだBOKRAは、その人物―如月のパフォーマンスに触れ、衝撃を受けた。

「かっこよかった。『こんなにもASKAのような歌い方をする人、まだいるんだ』。本気で、そう思いましたね」

最高のパートナー

二人を引き合わせた女性は、如月が出演していたイベントのプロデューサーの知り合いでもあった。プロデューサーの鶴の一声により、2010年、BOKRA and RENは『CHAGE and ASKAのオマージュデュオ』として結成された。

当初のBOKRAは、あくまで如月のサポートに徹していた。「自分が本気で音楽活動にどっぷり浸かったり、プロになったりするのは想像できませんでした」。しかし二人でステージに立ち、応援してくれる人々と出会っていくうちに、新たな思いが芽生えた。より高い次元の音楽で、より多くの人の心を動かしたい。気持ちは行動にも現れた。長年、感性のままに勢いだけで歌っていたが、初めてレッスンを受け、技術を向上させた。「二人じゃなかったら、ここまでやってないですね」。

変化は、如月にも訪れていた。BOKRAと練習をし、オリジナル楽曲を制作するなかで、かつての情熱が再び顔を見せるようになった。「もっと高い意識を持てとか、こだわりを持てとか、BOKRAには色々なことを言いました。それでも彼はついてきてくれて、本当に歌が上手くなりました。ここまで理解しあえるというか、一緒に続けられる人は初めてでした」。諦めかけていた心に、再び火が灯った。

彼らは、オマージュデュオとしてイベント出演を重ねる一方で、オリジナル楽曲の制作を本格化させていった。14年から16年にかけて8枚のシングルCDと1枚のミニアルバムを制作し、販売した。

二つの特別な舞台と、目指す未来

同時期、彼らは二つの特別な舞台を経験した。

一つ目は、格闘技の聖地とも言われる後楽園ホールでのライブだ。イベントプロデューサーから課せられた「2ヶ月間で100枚のチケットを完売する」という条件に挑戦し、見事達成。『ガッツワールド後楽園大会』のオープニングアクトとしての出演だった。

「純粋にプロレスを見に来ていた方も、一緒に盛り上がってくれて……。満員のホールで歌っていると自分も高揚して、『お客さんに力をもらう』というのを実感しました」と二人は振り返る。

もう一つは、如月の故郷、釜石市でのライブだ。エンタテイメントを通じて『こころの復興』を目指している『チームスマイル・釜石PIT』で開催した観覧無料のライブには、如月の親族や友人をはじめとした地元の人々だけではなく、関東圏のファンも駆けつけたという。

東日本大震災の日、二人は東京にいた。仕事中だったBOKRAは、強い揺れのなかで真剣に生命の危機を感じた。如月は、連絡の取れない親族の身を案じ、眠れぬ夜を過ごした。「歌い手である自分たちにできることは、音楽を届け、楽しさを共有することだと考えました」とBOKRAは語る。「故郷で歌うのは子どものころからの夢でもありました」とは如月。彼らは19年8月にも釜石PITでのライブを予定しており、現在発売中のオリジナルボールペンの収益も全額寄付するという。

これらの特別な経験は、二人の意識をいっそう高めた。

自分たちの音楽でさらなる大舞台を目指し、世代や性別を問わず楽しませたい。そんな夢を描く彼らは、もはやオマージュデュオではない。自分たちの色を模索しながら、未来に向けて、確かな歩みを進めている。

text:Momiji photos:Tamotsu Okawa(TAMENICOMPANY) casting&PR:Smitch

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