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【RS:lyrics】答え合わせ

シンガーソングライターを辞めて久しい私ですが、REASNOTを創刊して以降、ありがたいことに人前で歌わせていただく機会が増えました。

かつてはどうあがいても手の届かなかったステージに立てるのに、約10年前に作った曲とカバー曲しか歌えないのでは、さすがに申し訳ありません。

せっかくなので、毎年1曲くらいは、新曲を用意しようと決めました。


本日は、2023年に制作・発表した『答え合わせ』をご紹介します。
※一ヶ月限定で、Fan magazine限定公開部分を減らして全体をお楽しみいただけます。


私たちの決死行

昔、友人が毒親から逃げるのを手伝ったことがあります。ここではDちゃんと呼びましょう。事実を正確に書くと問題が起きるので、創作を交えて書きますね。

Dちゃんは学生時代の友人です。出会ったころから彼女は家庭に問題を抱えており、私は話を聞くたびに「何それ?!」とドン引きしていました。

Dちゃんの母親は、彼女を殴ったり、蹴ったりするわけではありません。でも言葉の暴力や支配行為が酷かった。おまけに情緒不安定で、言うことがしょっちゅう変わるので、病気なのでは?とも思っていました。

Dちゃんの父親は、そんな母親の言動に何も対処せず、病院に連れて行くこともないので、やっぱりろくでもないと思っていました。

高校2年生のとき、学校で一回目の進路希望調査がありました。Dちゃんは「東京の大学へ行きたい」と書きました。

それを見た彼女の母親は、「女の子が大学へ行くなんてとんでもない。高校を卒業したらお見合いして、結婚して家業を継いで、子どもを産め」と答えました。二人は口論をしました。

一ヶ月経って、母親は「まあ時代は進んでいるものね。実家から通える範囲で、地元の大学なら行ってもいいわ。卒業したら以下略」と言い出しました。Dちゃんは溜息を吐きながら、前よりはマシになったし、大学卒業後のことはその時考えようと、志望校を地元の大学に変えて勉強を始めました。

さらに一ヶ月経って、母親は「まあ若いうちに広い世界を見ておくのもいいかもね。でも無名の大学へ行かせるのはお金の無駄だし、共学は怖いわ。お茶の水女子大学、津田塾大学、日本女子大学、東京家政大学のどれかなら行ってもいいわ。卒業したら以下略」。Dちゃんは喜び、志望校を東京の有名女子大に変えて勉強を始めました。

また一ヶ月が経ったころ、彼女の母親は「やっぱり、女の子が大学へ行くなんてとんでもないわ!高校を卒業したらお見合いして以下略」。二人は以前より激しい口論をしました。

このループを、私の知る限り3回やりました。。。

高3の1月、たまたま母親が「有名女子大ならいいわよ」モードだったため、Dちゃんはそれらの大学を受験することができました。彼女は優秀だったので、無事に合格しました。流石に合格通知が来ると、Dちゃんの母親も喜び、上京の準備に協力してくれました。

それから月日が流れました。大学3年生になったDちゃんは、「大学で学んだことを生かして〇〇業界に就職したい」と言い出しました。

それを聞いた彼女の母親は、「女の子が社会で働くなんてとんでもない。大学受験の時に約束したとおり、卒業したらお見合いして、結婚して家業を継いで、子どもを産め」と答えました。二人は口論をしました。

一ヶ月経って、母親は「もうちょっと独身を謳歌したいっていうなら、大学院へ行きなさい。社会に出て擦れちゃったり、彼氏ができたりしたら、嫁の貰い手がなくなるわ。大学院を修了したらお見合い以下略」。Dちゃんは溜息を吐きながら、前よりはマシになったし、先のことは2年後に考えようと、大学院へ進むための勉強を始めました。

さらに一ヶ月経って、母親は「まあ時代は進んでいるし、せっかく大学を卒業するんだし、就職してもいいかもね。3年くらいしたら退職してお見合い以下略」と言い出しました。Dちゃんは喜び、就職活動を始めました。

また一ヶ月が経ったころ、彼女の母親は「やっぱり、女の子が社会で働くなんてとんでもないわ!卒業したらお見合い以下略」。二人は以前より激しい口論をしました。

このループを、私の知る限り3回やりました。。。

私は遂にキレました。

「20歳過ぎた娘をここまで振り回す親はおかしいし、それにつきあうDちゃんもおかしい。もう成人して、これから社会に出ようってんだから、自分の人生は自分で決めるべきだ」と、私はDちゃんに熱く語りました。

「大学受験の時みたいに、タイミングに任せて今を乗り切ったとしても、就職して3年後や、院に進学して2年後に、また繰り返すの?あなたの人生はそれでいいの?」

「江戸時代ならいざしらず、お見合い結婚で家業を継ぐとか継がないとか、Dちゃんの意志を無視して親が勝手に決めるのはおかしいよ。長く勤めてくれている人に地位を譲るとか、自分の代で閉業するとか、やり方は色々あるでしょ?子どもは親の持ち物じゃない!」

当時、Dちゃんには彼氏がいました(※もちろん親には内緒です)。彼氏さんは、そこそこ年上の社会人で、たまに3人で遊んでいました。

私がキレたのを知ると、彼氏さんも「その通りだ」と援護射撃してくれました。Dちゃんは泣いてしまいました。

「私だって親の言うとおりに生きるのは嫌だけど、親はどこまで行っても親だし、もうどうしたらいいのか分からない」

私たちは散々語り合いましたが、ずっとDちゃんを支配し続けてきた母親の呪縛は強く、私と彼氏さんの言葉はなかなか届きませんでした。

いよいよ行き詰まった時、私は最後通牒を突きつけました。

「Dちゃんが『逃げたい』と言うなら、協力するよ。彼氏さんと一緒に、やれるだけのことをするよ。でもあなたが母親の言いなりを続けるなら、もう付き合ってられないから、友達をやめる。彼氏さんも、愛想が尽きるってさ。私たちを選ぶか、親御さんを選ぶか、どっちがいい?」

今思えば、とんでもない二択ですが、私も限界でした。

「一つだけ言っておくと、親御さんは、永遠に親御さんだよ。ここで逃げて縁を切っても、血の繋がりは消せない。一生ずっとどこかで繋がってしまう。逆に言えば、5年後、10年後、何かのきっかけで和解できるかもしれないね。でも私と彼氏さんは、どこまでいっても他人だよ。ここで縁が切れたら、それで終わり。もう二度と一生会わないかもね」

あれこれあって、Dちゃんは逃走を選びました。私は手段の確保、彼氏さんは新しく住む場所の用意などをがんばりました。全て上手くいきました。

とはいえ結局、数年経って、Dちゃんは親御さんに見つかってしまいました。まあ、本当に失踪してみせたことで、親御さんも多少は反省したみたいです。ほどほどに和解できた……と言っていいのかな。

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