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【R03:STORY】宇宙一を目指すギタリスト・中山雄喜

ギタリストの中山雄喜(なかやま・ゆうき)は、ソロでの演奏活動を中心に、ユニット活動や他のミュージシャンのサポート、俳優、モデルなど多方面で活躍中だ。「いつか火星でギターを弾きたい」と語る彼のバックボーンに迫った。

ギターとの出会い

大阪府出身の中山は、絵を描いたり、粘土で遊んだり、部屋のなかで遊ぶことが好きな子どもだった。バーテンダーの父からは、一つの物事に継続して取り組むことの素晴らしさを学んだ。「父は、全国バーテンダー技能競技大会に挑んだりもしていました。とても尊敬しています」。正義感の強い母からは、自分の信念を貫く強さを受け継いだという。

彼がギターと出会ったのは15歳のころだ。「クラス替えや習い事などのストレスが重なって、学校へ行けなくなってしまったんですよね」。家に引きこもりがちだった中山だが、たまたま出かけた先で、中古楽器屋を見つけた。

「2300円のギターが売っていたんです。ボロボロだったけど、なんだか運命を感じて。見た瞬間、『これを弾いてみたい』と感じました。中学生のお小遣いで買える値段っていうのも大きかったですね」。

それから中山は、毎日家でギターを弾くようになった。好きだったYUIの楽曲をカバーしたり、作詞作曲を行ったりしていたという。「最初はシンガーソングライターを目指していたんです」と、彼は懐かしそうに振り返る。

そんなある日、担任教師が様子を見に来た。中山がギターに熱中していることを知ると、「文化祭で演奏しないか?」。

その誘いを受けた中山は久しぶりに登校し、全校生徒とその保護者、あわせて1000人ほどが集まるホールで、おそるおそるステージに立った。演奏したのはYUIの『It's all too much』と、flumpoolの『Over the rain 〜ひかりの橋〜』だった。


「まったく学校へ行ってなかったのに、会場全体から拍手をしてもらえたんです。そのとき、ビジョンが見えました。『限界まで音楽をやっていこう』『マジで上を目指そう』と思ったんです」。

ただ、褒められたのはギターの演奏ばかりで、歌は評判が悪かった。その後、ボイストレーニングにも通ったが、結局上達せずに辞めてしまった。しかし悔いはないという。「やっぱり自分はギターが好きなので。ギター一本で勝負しようと決めたのは、中学3年生の後半ぐらいでした」。

高校生になると、大阪府内のライブハウスへ出演するようになった。はじめのころはエレキギターを弾いていた。「ヘビーメタルが大好きなんです。ギターの基本を覚えるのにもぴったりのジャンルですし、高校1~2年はエレキ一筋でやっていました」。

しかし、エレキギターのプレイヤー人口は非常に多い。「このままエレキを弾いていたって、唯一無二にはなれないって気づきました」。

中山は、オンリーワンを目指して試行錯誤を重ね、エレキギターの奏法でアコースティックギターを弾くようになった。自分のスタイルをしっかりと確立したのは、高校3年生の終わり頃だ。

ハリウッドの有名アクション映画『ミッション:インポッシブル』のテーマ曲をカバーするなかで、「これだ」と手ごたえをつかんだという。

だが、高校生時代の中山は、インストゥルメンタルを演奏することに気後れしていた。「インストで人は呼べないだろうと思っていたんです」。

そのためライブでは、周囲に合わせてフォークやブルースを演奏したり、バンドを組んで出演したりしていた。一度だけワンマンライブを行ったが、「周りの皆さんにお膳立てしてもらった感じでした」。

ニューヨークでの武者修行

高校を卒業した中山は、アルバイトとして働き始めた。ニューヨークへ行くためだ。

幼いころから洋画が好きで、海外への憧れが強かった彼は、ギターを手にしたときから「いつかニューヨークで修業をしたい」と考えていた。その夢を実現すべく、約一年で100万円以上の貯金を作った。

「友人の伝手を頼り、現地のシェアハウスを紹介してもらって、住む場所は確保しました。あとは何の当てもありませんでしたね」。勢いだけでフライトを手配し、ニューヨークへ飛んだ。「結構無茶をしましたが、自分のお金で行ったおかげで、本気になれました」。

ニューヨークでは、ギターのテクニックだけでなく、楽器や音楽のこと、空気感など、あらゆることを学んだ。

到着してしばらくは楽器屋を巡り、日本との文化の違いに驚いたという。「向こうでは、お客さんが売り物のギターを手に取って、勝手に弾いちゃうんです。すると別のお客さんも弾きだして、当然のようにセッション大会が始まるんですよ。店員さんも怒らなくて、Welcomeな雰囲気なんです」。

中学英語レベルの知識しかなかった中山だが、ジェスチャーを駆使して、現地の人々とコミュニケーションを取ったという。

武者修行の前後で最も変わったことは?と訊くと、「自分の意識ですね」と中山は語った。

「渡米前も『世界一のギタリストになろう』と思っていましたが、ニューヨークに行って、ますます明確になりました。ある種、現実を見たんですよね。楽器屋で弾いてる一般の人すら、めちゃくちゃ上手いんです。世界のレベルを知りました」。

「もっと勉強しないといけない。目標を高くして、明確にしていかないといけないって、初心に返りました」。

そこで中山が見つけた目標が『宇宙』だ。

アメリカで広く知られている日本人は、野球のイチロー選手やハリウッド俳優の渡辺謙など、超一流の人物ばかりだった。そのレベルに到達するために、どんな目標を掲げるべきか。悩んでいたころ、テレビで『火星移住計画』のニュースを目にした。

「人類が火星へ移住して、そこでギターを弾けたら、すごく面白いんじゃないかなって。アメリカの人を見習って、良い意味でクレイジーなこと、大きなことを言おうと決めたんです」。

憧れだけを頼りに海外へ出て、現実を知った中山は、そこで歩みを止めるどころか、さらに大きな夢を描いたのだった。

No Guitar, No Life.

観光ビザを活用し、約半年間ニューヨークへ滞在した中山。帰国後、よく通っていたライブハウスのオーナーに武者修行の成果を聴いてもらったところ「東京へ行くべきだ」とアドバイスを受けた。

また、渡米前まではギターのことばかり考えていたが「他のことも経験したい」と思い始めていた。たまたま見かけた芸能事務所のオーディションへ応募し、見事合格。「導かれるように上京しましたね」。

現在はギタリストとしてだけでなく、モデルや俳優としても活躍している。「僕はずっとギターしかやってこなかったので、ギターを弾いていない自分がどう見られているのか、どういう人間なのか、あまり分かっていなくて。東京に来て、色んな人と関わりながら、見つめなおしています」。すべての経験が、成長に繋がっているという。

19年8月には、東中野ALT_SPEAKERにて、上京後初のワンマンライブを開催した。「大阪の時と違って、自分でライブを作り上げた実感があります。インストで、自分のスタイルでやっていけるっていう自信がついたというか、覚悟が決まりました」。

ALT_SPEAKERの店主である赤井氏に彼の魅力を訊くと「人柄ですね」と答えてくれた。「約2年前からここでイベントを主催してくれていますが、初期のお客さんがずっと離れずに来てくれているんですよ」。

たしかにワンマンライブでも、ファンそれぞれと記念撮影に応じ、丁寧に御礼を伝えていた。昨年はSHOW ROOMで毎日放送したり、コミュニティの交流会を開催したりもしていたという。

そういった細やかな気遣いの一つ一つがファンを魅了していることは、盛況を博したワンマンライブの様子を見ても明らかだ。会場内には彼の写真をコラージュして作られたボードが飾られ、有志によるペンライトの配布やメッセージ集めが行われていた。

また、筆者の隣の席に座っていた男性は、中山のライブに来るのは今日が初めてだと言っていた。「SNSに上がっていた演奏動画を見て、いいなと思ってフォローしたんです。そのあと、まめにリプをくれたりして、良い人だなと思って、いつかライブに来たいと考えてたんです」。彼の音楽はもちろん、人間性が多くの人を惹きつけているのだろう。

「ギターは僕の心、いや身体そのものです。言葉より多くのことを伝えられると思っています。これからもギター一本で表現していって、いつか世界を変えたいです」と中山は語る。

「ギターが歌を超える時代を作りたい。楽器と言えばギターといわれるような世界にしたいです」。

人生100年時代と言われる昨今、人の為しうるものごとの規模は大きくなっている。中山の遠大な目標も、夢物語ではないかもしれない。火星で演奏する彼の姿を、ぜひ見てみたいと思った。

text:momiji

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