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【S06:STORY】縁を繋ぎ、縁に生きる音楽ユニット・ワダノヒト 【前編】

Gt.&Vo.の箱守啓介(はこもり・けいすけ)とKey.&Vo.の赤司渉(あかし・わたる)による音楽ユニット・ワダノヒト。中学校のクラスメイトだった2人が18年の時を経て再会し、音楽活動を開始するに至った軌跡とは。
(※後編はこちら!

杉並区立和田中学校のクラスメイト

杉並区和田出身の箱守啓介は、歌うことが好きな子どもだった。興味の対象は歌謡曲から流行曲まで幅広く、特にMr.Childrenのファンだったという。

中学生のころ、音楽好きな父親が新しいギターを買ってきたことをきっかけに、弾き語りを嗜むようになった。「『弾け』と言われたわけじゃないです。だけど結果としては、僕の音楽への情熱に火をつけたのは親父だと言えますね」。

赤司渉もまた、和田に生まれ、幼少期から音楽に心惹かれていた。「自転車で走りながら歌ったり、道を歩きながら大声で歌ったり……迷惑な子どもだったでしょうね」。とりわけ洋楽やゲーム音楽に興味を持っており、『いつかロックバンドを組みたい』と夢見ていた。

同じ中学校へ入学し、2年生の時にクラスメイトとなった2人は、ごく自然に友人となった。箱守は、赤司が視聴覚室のピアノを弾いていた姿を覚えている。「スーパーマリオの曲などを耳コピで人差し指だけで楽しそうに弾いていました。本当に音楽が好きなんだな、と思って見ていました」。

赤司は中学生の頃、一度だけ箱守と行ったカラオケへ行った日のことが忘れられないという。当時、高音域を得意としていた赤司は「キーの高い曲だったら自分が一番上手く歌える」と自負していた。だが箱守の歌を聴き、そんな驕りは吹っ飛んだ。「上には上がいることを知りました。テクニックはもちろん、とても美しい歌声に感銘を受けました」。

仲の良かった2人だが、別々の高校へ進学した後は、会う機会がなくなってしまった。「たまに道端ですれ違って『よっ!』と挨拶するくらいでしたね」。

音楽の道を諦めた赤司

高校へ入学した赤司はロックバンドを結成。生来の耳の良さを武器に、ボーカリストとして活躍していった。「このまま音楽で生きていくんだろうなと思っていました」。

しかし20歳を過ぎたころ、転機が訪れる。当時所属していたバンドはメンバー全員がプロ級の腕前だったが、人間関係が最悪だった。耐えきれず脱退した赤司は、そのまま音楽の道から離れてしまったのだ。

理由は二つあった。「まず『自分のボーカルって大したことないな』と痛感したこと。次に、他の人と新しいバンドをやろうとしても前のバンドの演奏レベルとの落差が大きく上手くいかなかったこと。誰と組んでも、もう続けられないと思いました」。

音楽の道で生きていくことを諦めた赤司は、一般企業へ就職した。とはいえ、キーボーディストとしてプロのミュージシャンが出演するTV番組のバックで演奏を務めるなど、音楽との接点がゼロになった訳ではなかった。

歌い続けていた箱守と、赤司との再会

箱守は、ユニットやバンドを組むことはなかった。友達と公園で弾き語りをしたり、路上で演奏したり、自分のペースで音楽を楽しんでいた。

だが、音楽以外にもやりたいことはあった。「僕は小さな頃からバス釣りが好きで、年間60日くらい行っていました」。就職してからは、するべきことも増えた。忙しくなるにつれて音楽活動の頻度は減っていた。

そんなある日、高校生時代のアルバイト仲間で、ロゴデザイナーの永井弘人氏から連絡が来た。「今度、企業で講演をするんだけど、サプライズで演奏してくれないか?」。プロのデザイナーとして活躍する彼からの依頼を快諾した箱守は、ギターを片手に出かけていった。

すると当日、演奏を聴いたお客さんの一人から「知り合いが主催するライブに出演してみないか?」とオファーされた。箱守は嬉しく思いつつも、「本格的なライブに出るなら、ソロじゃなくてユニットでやりたいな」と考えた。

しかし、誰と組めばいいのだろうか。悩んでいたころ、古い友人から飲みに誘われた。そこで久しぶりに顔を合わせたのが赤司だった。

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赤司は当時を振り返り、「僕は学生時代の友人とほぼ疎遠になっていたんです。中学時代の野球部の友人が珍しく飲みに誘ってくれて。その場にハコも来るって聞いて、楽しみにしていました」。2人がゆっくり話をする機会をもつのは、実に18年ぶりのことだった。箱守から「ライブをする予定なんだ」と聞いた赤司は、「絶対観に行くよ」と約束した。

飲みが終わった後、箱守は改めてユニットの相方について考えた。「赤司とやってみたいと思いました。センスあるなと思ってたから。中学の頃、赤司は音楽コンクールで3年連続指揮をやって三連覇していたこととか、ファミコンの作曲ゲームでササっと曲作っていたこととかを思い出して。卒業以降、彼がどんな音楽をしていたのか知らなかったけど。仕事も忙しそうだったので断られても仕方がないと覚悟しつつ、それでも一緒にやれたらいいなと、声をかけてみたいと思いました」。ダメ元で、ユニット結成の話を持ちかけた。

誘われた瞬間、赤司の脳裏に在りし日のカラオケボックスで聴いた箱守の歌声が鮮明に蘇った。「ハコとだったら一緒にやってみたい」。赤司は、間髪入れずに「やりたい!」と答えていた。尊敬する箱守に声をかけてもらえたことが、何より嬉しかった。

ワダノヒトの始動

ライブまで約一ヶ月。演奏する曲目や演出を考える慌ただしい日々のなか、ユニット名を決める必要があった。箱守は半分冗談、半分本気でLINEを送った。「2人とも和田出身だし、ユニット名は『ワダノヒト』でどう?」。赤司は「いいじゃん!」と即答した。「カタカナってのがいいね、可愛いし」。こうして2016年2月、一度きりのライブ出演のために、ワダノヒトが結成された。

箱守はライブハウスに出演すること自体が初めて。赤司もキーボードの弾き語りは人生初の挑戦だった。さらに、2人とも楽譜を読むことができない。アクシデントによる怪我や病気もあり、練習は厳しい仕上がりだった。

不安を抱えたまま迎えたライブ本番、会場は高円寺 Club ROOTS!。無我夢中でステージを終えた2人だが、思いもよらないほどの拍手を浴び、惜しみない賞賛の声を受け取ることとなった。「音楽を通じてヒトの心を動かす」という、他では得難い喜びを感じた2人。「またライブをやりたい」と、純粋な気持ちで一致した。

【後編も、こちらから続けてお楽しみください!】

text:momiji


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