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【SP】音楽などの聴き語りすと・涼汰

「音楽・ロボット・旅行の3本柱で、悠々自適に暮らしています」と語る涼汰。過去1000回以上のライブを鑑賞し、ロボット製作では全国大会や世界大会出場などを経験、さらに国内外を数多く旅してきた彼の素顔に迫った。

友達の誘いから始まった、ライブハウス通い

2011年は4回。12年は10回。13年は41回。14年は124回。15年は200回。16年は186回。17年は182回。18年は162回。19年は137回。これらは、涼汰がライブハウスなどに足を運び、ライブを鑑賞した回数である。

「仕事の気分転換で、癒しを求めた先がライブだったんですよね」。

コロナ禍に見舞われた2020年でさえ、94回もライブを鑑賞したという涼汰。

彼が初めてライブハウスを訪れたのは、約10年前のことだ。

「会社の元同僚から『私のライブを見に来てほしい』と勧誘されたことがきっかけでした。自分の記憶に残っている最初のライブは、2011年7月26日にLive Garage 秋田犬で開催された、彼女のワンマンライブですね」。

ライブハウスとは全く縁のない人生を送ってきた涼汰は、「こんな場所があるんだ」と感銘を受けた。

「友達は、ピアノ弾き語りシンガーソングライターをやっていました。彼女のライブ鑑賞へ行くうちに、他の出演者さんにも興味を持って、だんだんと行動範囲が広がって……という感じです」。

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(2019年12月、MASH RECORDSで主催したイベントの出演者と撮影)

これまでに訪れたライブハウスなどの総数は、100箇所を超える。

「個性のあるお店が好きですね。外装や内装にこだわっていたり、異世界感があったり。『次に行ったらどこか変わっているかも』と思うと、『また行きたい』ってなりますね」。

何よりもアットホームな空間が好きで、家に帰る感覚で長居してしまうと語る涼汰。

様々なイベントやブッキングライブを鑑賞し、1000人以上のアーティストを見てきた彼が惹かれるのは、「自分の世界観を持っている人」だ。

「歌詞だったり、メロディだったり、表現方法だったり。ありきたりならありきたりでもいいとは思うんですけど、埋もれちゃうんですよね。たくさんのライブを鑑賞しているので、『前にもこんな人いたな』ってなると、あまり印象に残らないまま終わっちゃいます。何か少しでも記憶に残れば、記録に残しています」。

アーティストの技量は関係ないと言う。

「下手でも、頑張っている人は好きです。伝えたいものがあってやっている人は、みんな素敵です」。

応援していた人がメジャーデビューしたこともあれば、引退してしまったこともある。そのたび、一緒に祝ったり、残念がったりしてきた。

涼汰にとって、人生最大の趣味がライブ鑑賞なのだろう。

…と予想しながら取材を進めていると、「違うんですよ」という答えが返ってきた。

ロボット作りに明け暮れた高校時代

香川県三豊郡(※現在の三豊市)出身の涼汰は、ごく普通の男の子として育った。「小学校の卒業文集では、『将来の夢』の欄に何を書けばいいか思いつかなくて、欄そのものを消していましたね」。

中学校では卓球部に所属し、ありふれた日々を過ごした。学校内はもちろん、卓球部の県大会出場などを通じて、他校にも友達を増やしていた。「昔から、人と出逢うこと、つながることが好きだったんだと思います」。

香川県立三豊工業高校への進学を決めたのも、「友達が多いから」だった。

「学力的に行けそうな高校はいくつかあったんですけど、友達が少ないところはつまらないだろうなと思って。ものづくりや工業に対して強く興味を持っていたわけではありません。でも小さいころから、ものを直したり、分解するのは好きでした」。

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(涼汰の母校、香川県立三豊工業高校。観音寺中央高校と統合して「香川県立観音寺総合高校」となり、2017年3月に閉校)

高校でも卓球部へ入り、予定通り中学時代からの友達に囲まれた。勉強面でも、部活面でも、学校生活は順調だった。だが、いまひとつ物足りなさを感じていた。

「そんなとき、電気基礎の授業の先生に『メカトロ部へ入らないか?』って誘われたんです。入部したのは、高1の12月くらいでした。最初は兼部だったんですけど、どんどんメカトロ部での『非日常』の時間にのめり込んでいましたね」。

メカトロ(メカトロニクスの略)とは、機械装置(mechanism:メカニズム)と電子工学(electronics:エレクトロニクス)を合わせた和製英語だ。

文系の編者にとっては聞き慣れない単語だが、「工業系の学生だったら、大体どこでも通じますよ」と涼汰は語る。

たしかにGoogleで『メカトロ部』と検索すると、約 4,430,000 件のページがヒットし、全国各地に同様の部活の存在が確認できた。

その活動内容は、ロボット製作を通じてものづくりの楽しさを知ったり、機体や制御基板、プログラムなどの技術レベルを競い合ったりすることだ。

「僕が所属していたときは、主に3つの競技に参加していました。春から夏にかけてロボットの設計と製作、操作の練習やプログラムの調整。過去の大会の動画を見て、他の学校のロボットの特徴なども研究します。秋は地区大会に出て、勝ち上がれば、冬に全国大会や世界大会出場って感じですね」。

『ロボット相撲』は、鉄板でできた円形の土俵内に1台ずつロボットを置き、相手のロボットを土俵の外に押し出すことで勝敗が決まる競技だ。製作者自らが操作して戦う「ラジコン型」と、ロボットに搭載したセンサーやプログラムで戦う「自立型」の2つの部門に分かれている。

『ロボットアメリカンフットボール』は、ラジコン型のロボットを操作して楕円形のボールを奪い合い、ゴールへ運び込む事で得点を競う。他の競技と異なるのはチーム戦だということだ。両チームともロボット5台・選手5名まで参加登録が可能で、審判に申告すれば何度でも交代や修理ができる。操作技術を磨くことはもちろん、激しいぶつかり合いに堪える耐久性能や、ボールを保持する機構などの工夫、何よりもチームワークが重要だ。

『マイコンカーラリー』は、指定のモーター及び指定のマイコン(Micro computer:マイクロコンピュータの略)を搭載したロボットがコースを走るタイムを競う。基本的には、走行開始後は触ることができず、製作者は見守るしかない。ロボット自らが、マイコンに書き込まれたプログラムによってストレート、レーンチェンジ、クランク、坂道といったコースの状況を判断し、速度などを制御しながらコースを走る様子は圧巻だ。

大会雰囲気写真(ロボット相撲)

(2019年12月、両国国技館で開催されたロボット相撲の世界大会の様子)

「ロボットを作るには、機械・電気・電子・プログラムのすべての知識や技術が必要になります。うちの部には、10人以上の先生が顧問のように関わっていました」と、涼汰は語る。

「まずはどんなロボットを作りたいか、『速いのがいい』『重い(吸着が強い)のがいい』など方向性を決めます。次に、CADなどのパソコンソフトを使ったり、手書きだったりで、図面を書きます」。

ロボットにはモーター、タイヤ、ギア、ブレード、バッテリー、ネジ類に加えて、自立型はセンサー、ラジコン型は受信機とプロポという部品が必要だ。それら以外は、基本的に自作する。

「材料は、必要な強度などを計算して選びます。僕は、ジュラルミンと呼ばれる2000系アルミニウム合金を使うことが多いですね。特に高校生のときはお金がなかったので、硬くて軽くて安い金属を使っていました。今は、より強度のある7000系アルミニウム合金やカーボンを使ったり、材料を使用部位によって使い分けています」。

「材料がそろったら、顧問の先生や先輩の指導を受けながら、機械で切ったり、削って成形したり、穴をあけたりといった加工をして、組み上げます。思い通りに仕上がらなければ、調整及び再加工をします。部位によっては、1/100mmの精度が要求されます」。

機体が完成したら、制御基板の製作に移る。ざっくりと説明すれば『小さい部品がいくつも乗った板』だ。

「顧問の先生の指導を受けながら、大電流なものがいいとか、コンパクトにしたいとかの方向性を決めて、電圧などを考慮しながら設計します」。

部品の選び方、組み方には、製作者の個性が反映される。

「部品によって、動きの速さや制御のしやすさが変わってきます。同じ部品でも、ロボットの形に合わせて平べったく並べたり、小さくまとめたり。それによって発熱具合や挙動に影響が出ますし、電流が流れ過ぎると、回路が燃えて、破損することもあります。

特にうちの部は、定格の2倍以上の電圧をモーターにかけることが当たり前にあったので、制御基板や部品が燃えることはよくありました」。

感光、エッチング、穴あけ、はんだ付けといった工程を経て、試験が終われば、無事に制御基板の完成だ。しかし、これだけではロボットは動かない。
プログラムを書き、ICチップに記憶させる必要がある。

自立型の場合は複雑なプログラムが必要になる代わり、完成さえしてしまえば、製作者が行うことはプログラム、センサー、パラメータ(数値の設定情報)の調整くらいだ。ラジコン型の場合は、完成したロボットを自在に操縦するための練習が必要になる。

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(CADを使用して書いた、ロボットの設計図)

涼汰の専門は電子系、すなわち制御基板とプログラムの製作だった。

「工業高校を選んで、メカトロ部に入る人って、大体はものづくりが好きなんです。だから機体製作は人気があるけど、制御基板の製作は、あまりやらない人が多いんですよね。僕はものづくりへのこだわりがそこまで強いわけではなく、電子科を専攻していたり、電子科の先生と仲が良かったりしたので、メカトロ部でも電子系が専門になりました」。

彼はロボット相撲の「自立型」のロボットを製作するとともに、他部門に参加する仲間の制御基板やプログラムに関わっていた。

「先輩や同期が基板を壊したら、僕が直していました。そうするとみんな、他の作業に集中できるから。代わりに僕も、機体製作に関わる加工は、仲間にお願いすることがありました」。

大会への出場や運営にまつわる事務作業、部品の在庫管理、仲間の練習相手なども引き受けていた。

「僕は『自立型』のロボットを製作していたので、操作の練習は必要ありませんでした。でも『ラジコン型』を製作している仲間のなかには、『ロボットの操作を極めるために「自立型」のロボットとも練習したい』と考える人もいたんです。時々、そんな仲間の練習に付き合っていました」。

大会の雰囲気(ロボットアメリカンフットボール)

(2019年2月、ロボットアメリカンフットボールの全国大会の様子)

「他の部は遅くても20時には帰宅していましたが、僕たちは24時ごろまで学校に残っていました。大会の遠征日前だと徹夜もしばしばありました。部活に熱中しすぎて、勉強の成績を落とす子も少なくなかったです。後輩たちは、対策として勉強合宿をやったり、『赤点をとったら部活禁止』ってルールを作ったりしているようです」。

まるで、甲子園優勝を目指す野球部のような青春だ。

「四国地区は『地区大会が実質全国大会』と言われるくらい、レベルが高いんです。指導熱心な先生がいっぱいいて、先生と生徒の人数比率が高かったんだと思います。三豊工業高校も強豪校のひとつで、僕は2年生のときに四国大会で5位、九州大会で優勝。全国大会に出ました」と、過去を振り返りながら語る涼汰。

「部活漬けの高校生活でしたが、『自分が作ったものが初めて動いたときの感動』を今でも覚えています。目の前で仲間が優勝したり、自分の作ったものが人の為になったり、決してお金では買うことのできない経験がたくさんできて楽しかったですね」。

就職後、国内外への旅を楽しむように

メカトロ部での活動を中心に高校生活を謳歌した涼汰は、卒業後、IT業界に就職した。国や地方自治体の公共事業や大手通信局の整備工事において、現場監督や作業員を務める技術職だ。

就職先は地元を選んだつもりだったが、本社採用となり、意図せずして上京することとなった。

「求人票に『本社配属となるおそれがあります』と書いてはあったんですが、現実になっちゃいましたね」。

就職から数年は、仕事に忙殺される日々が続いた。それでも母校の後輩やOBたちが全国大会に出場すれば応援に赴き、ともに優勝を喜んだり、敗退を悲しんだりしながら、自分でも可能な範囲でロボットの製作を続けていた。

「本格的にロボット作りを再開したのは上京して3年目くらい、ライブハウスに通い始めたのと同じ時期です。仕事にも慣れて、落ち着いたので、趣味に使う時間が増えました」。

2011年には、個人として地区大会へ出場。家の近所にある町工場に直談判し、材料の仕入れや加工などでの協力を取り付けたりもした。

「今は、有限会社小堀精密様を中心に、10社くらいと付き合いがあります。高校生のころ、ロボットを作るために部室へ向かっていた感覚で、気軽に工場へ足を運んでいますね」と、彼は語る。

「幸いにも、僕が住んでいる大田区には多くの町工場が集まっていて、横のつながりも強いんです。『仲間まわし』というんですけど、自分のところでは『切削』作業しかできなくても、『穴あけができる工場』『溶接ができる工場』『研磨ができる工場』『塗装ができる工場』というように、近くの工場に工程をまわして、発注された製品を納品できる状態ができています」。

13年には、色々な学校のOBが集まって誕生したばかりの社会人チーム 『チームうどん』へ加入。チームメンバーのひとりは、同年、ロボット相撲の世界大会のラジコン型部門で優勝した。

大会出場用ロボット以外にも、家事や簡単な作業をこなすロボットやネームプレートなどを製作することもある。いずれも、涼汰にとって貴重な『非日常』の時間だ。

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マニラ(フィリピン)にて『非日常』を体感する涼汰

もうひとつ、社会人になってから、新たな趣味ができた。

「旅行です。ロボットの地区大会に出場するときや、仕事の出張で、あちこちへ行くようになりました」。

最も思い出に残っている旅行先は、コロンビアだ。

「15年のロボット相撲の世界大会で、コロンビアのチームから声をかけられたんです。招待状を片手に『うちへ知識や技術を教えに来てほしい』と」。

毎年12月ごろに両国国技館で開催されているロボット相撲世界大会には、日本を含めて約30ヵ国のチームが参加している。優勝経験をもつ『チームうどん』は、他国からも教えを乞われる存在だった。

「飛行機などを乗り継いで片道約30時間かかるし、準備も大変でしたが、いい経験になりました。向こうは空気も自然も綺麗だし、涼しいし、完全に異世界。日本での毎日が馬鹿らしくなるくらいでした」。

コロンビアは、日本から見ると地球の真裏、南アメリカ北西部に位置する国だ。首都・ボゴタはアンデス山脈の東部、標高2640メートルの地にあり、コーヒーやエメラルド、バラの産地としても知られている。

「僕たちはスペイン語ができないので、通訳を介して、英語でコミュニケーションを取りました。『ロボット』という同じものを作っているから、分かり合えるんですよね」。

コロンビアの大会(RUNIBOT)の招待状

コロンビアの大会(RUNIBOT)の招待状

16年、17年と続けてコロンビアを訪問。18年には、同様の経緯でフィリピンのチームからも招待を受け、渡航した。フィリピンは公用語のひとつが英語だったので、コミュニケーションを取りやすかった。

「また海外に行きたいですね。コロンビアとか、台湾とか」と笑った。

人と人をつなげる架け橋に

音楽・ロボット・旅行。涼汰の人生の柱となっている3つの趣味それぞれについて、今後の目標を訊いてみた。

音楽については「いろいろな人と出逢ったり場所を訪れたりしたい」。特に「新しい企画ライブをしたいです」。過去には、2014年に1回、19年に2回、ライブイベントを主催している。

「最初は、自分の誕生日の記念として企画しました。

19年には、Live Garage秋田犬さんとMASH RECORDS 神楽坂さんで、それぞれに出演したことがないアーティストをブッキングするイベントをやりました。いつもお世話になっているライブハウスと、アーティストの皆さんをつなぎたくて、音返し(恩返し)のための企画でした。

コロナが落ち着いたら、また『だれかとだれか』や『どこかとどこか』などをつなぐイベントを企画したいです」。

ロボットについては「今はコロナ禍で大会が休止されているので、再開されたら出場する予定です。何よりもロボットを通じて人に出逢うこと、異世界を感じることが楽しみですね。今のうちに語学力を付けたいと思います」。

旅行では、47都道府県を制覇しようとしている。「あとは秋田県、島根県、鳥取県の三県なんですが、なかなか行く機会がないのが現状です。ロボットや仕事で縁はある場所なので、時間がかかっても行きたいです」。

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(2019年12月、Live Garage秋田犬で主催したイベントの出演者と撮影)

「5年後、10年後は、どんな自分になっていたいですか?」と訊ねると、「もっと余裕を持てていたらいいな」と微笑んだ。

「今は、いろんな意味で頑張りすぎちゃっている気がします。ライブがライフワークになって、ロボットも作っていて、『何もやってない時間』がほとんどないんです。生活面で、余裕を作った方がいいなと思います」。

趣味を仕事にすることは考えていない。

「僕の趣味がロボット作りだと知った会社の上司から、『新規事業として会社でやらないか』と言われたことがあるのですが、断りました。趣味だからいいんです。仕事としてはやりたくないんですよ」。

退屈な人生は嫌だ、と語る。

「今のご時世、コロナ禍で人と人のつながりが薄れつつありますが、趣味があれば、人と人はつながれます。まったく同じではなくても、それに対する思いで分かり合えるから。これからも三本柱を通じて、いろいろな人と直接だったり、SNSだったりで、出逢っていきたいですね」。

あらゆる人に元気と笑顔を届けたい、と笑う涼汰。

好きなことを好きなように楽しみ続けている彼の存在は、豊かな人生を送りたいと考える多くの人にとって、励みになることだろう。

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