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【N12】神田川とカップラーメンと直方体#忘れられない先生

小学校1-2年生と5-6年生の合計4年間、担任だったA先生のことは忘れられません。


世間の小学校では担任の先生が全科目教えてくれるそうですが、私の小学校は科目別……つまり、中学校や高校のように各科目専任の先生がいました。

A先生は、算数が専門でした。

その道では有名な人らしく、いつもユニークな授業をしてくれて、教科書を開いたことはほとんどありませんでした(=例題などは自習するしかない=テストや模試は大変)。

教室の後ろには、生徒達が『A先生文庫』と呼ぶ小さな本棚が置かれ、『数の悪魔: 算数・数学が楽しくなる12夜』(ハンス・マグヌス エンツェンスベルガー著)や『頭の体操』(多湖輝著)などが並んでいました。

わたし達はこぞってそれらの本を借り、オリジナルのナゾを考えて遊んでいたものです。


ある日、私たちが漫画の貸し借りしているところを見つかってしまいました。

「『学校の勉強に関係ないものは持ってくるな』と、校則で決まっているぞ」と、A先生は厳しく注意しました。

続けて「だが俺は、お前達が直方体について理解を深めたいなら、止めはしない」と言いました。

私たちが首を捻っていると、次のように説明してくれました。

「ここに、ビニール袋や包装紙で包まれた直方体があるとする。お前達がそれらを貸し借りするのは、直方体への理解を深める学習の一環だから、俺は問題にしない」。

なるほど、と思いました。

次の日から、私たちは漫画を紙などで包み、中身の見えない『直方体』として貸し借りを行うようになりました。

直方体はしばしばA先生の目に入りましたが、注意されることはありませんでした。


大人になった今、振り返ると、先生の指導は合理的だったなと思います。

なぜなら全ての漫画が厳重に梱包されたため、ほとんどの生徒はそれを学校では開かなかったのです。

生徒達が各家庭で漫画を読むか読まないかは、学校の先生の関知するところではないでしょう。

無駄に怒らず、やみくもに禁止せず、学校で漫画を読む行為だけ減らす、素晴らしい指導でした。


昼食の時間、私たちは4人ずつの班で机をくっつけ、A先生は一日おきに各班をまわっていました。

先生の昼食はいつもカップラーメンでした。

今考えると不健康なことですが、小学生だった私たちにとって、毎日カップラーメンの先生はヒーローでした。

私たちは、自分のおかずを一つ先生にあげて、代わりにひとつまみのラーメンを分けてもらうことを楽しんでいました。

また、お弁当を持ってくるのを忘れた子は、先生の部屋にあるカップラーメンのストックから一つ、好きなものを貰うことができました。

これがまた、全国津々浦々のカップラーメンが何十種類も揃っていて、ワクワクさせてくれるのです。

まだインターネットショッピングが盛んではなかった時代、出張や旅行の際に仕入れていたのでしょうか。

見慣れないパッケージのカップラーメンを見つけて「何これ!?」と聞くと、「それは◯◯県限定のやつでな~」としたり顔で教えてくれる先生の話は、遠い世界への想像をかきたててくれました。


掃除の時間になると、先生は教室のラジカセのスイッチを入れ、『神田川』(南こうせつとかぐや姫)を流しました。

それが何の曲なのか、何故その曲なのか、私たちにはさっぱり分かりませんでした。

「どうせ音楽を流すなら、好きな曲を選びたい」「流行りの曲を日替わりでかけよう」と、ホームルームの時間に提案したものの、先生は首を縦に振りません。

結局、小学校5年生の後半から約一年間、私たちは毎日『神田川』を聞きながら掃除しました。

最初は嫌でしたが、だんだんと愛着がわいて、いつしか「私たちのテーマソングは『神田川』だよね」と囁きあうほどになりました。


6年生の秋のことです。

「合唱祭のクラス紹介コーナーで『神田川』を歌おう」という話が持ち上がりました。

言い出したのはA先生だったか私たちだったか……よく覚えていませんが、みんなノリノリだったことは間違いありません。

普通、クラス紹介コーナーでは、自分達がどんなクラスか、今日はどんな意気込みで歌うかなどを発表します。

課題曲を歌う前の約2分ほどの時間。そこで歌うなど、前代未聞でした。

もちろん音楽の先生には秘密です。

掃除の時間、私たちはラジカセから流れる南こうせつ氏の歌声に合わせて練習しました。

課題曲の伴奏者と指揮者とは別に、ピアノの得意な子が伴奏を弾き、クラスの代表的な人気者が指揮者を務めることになりました。

A先生はこっそり講堂や特別教室を借りて、練習場所を作ってくれました。

音楽の先生は不穏な空気を感じていたらしく「変なことをするなよ」と何度も言われましたが、流れは変えられませんでした。


合唱祭当日、私たちはクラス紹介コーナーで、『神田川』の一番を熱唱しました。

他のクラスの生徒達は大爆笑。先生方も笑っていましたが、音楽の先生は頭を抱えていたことを覚えています。

最高に楽しかったです。


もちろん卒業式でも『神田川』、同窓会でも『神田川』を歌いました。


「窓の下には神田川」と、意味も知らずに歌っていた私たち。

……どうせならもっとこう、明るく爽やかな友情ソングを選んでくれればよかったのに、と思わなくはありません。。

しかし、あれから10年以上の月日が流れた今、私は神田川のすぐ近くに住んでいます。

『神田川』が導いてくれたご縁かもしれないな、と、こっそり思っています。


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