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10年経ったら

2014年2月寒い寒い冬の時期のヒッチハイクを終えてから10年経った。
10年前から、変わったこともあるし、変わっていないところもある。
当時、強烈に感じたことも、覚えていたり覚えていなかったりする。
3日かけて東京まで行き、14台の車を乗り継いで行ったことは覚えている。
僕は地理が好きで、場所を覚えることが得意な方だから、どこで誰に乗せてもらい、どういう景色の中、どういう話をしたのか、なんとなく覚えている。
そんな話を今更詳しく書くつもりはないが、10年前に10年後に何か文章を書こうと思っていた気がするので書くことにする。
10年間、何から逃げ、何を学ぼうとしたのか、
文章になるかわからないが是非最後まで付き合ってほしい。

まずは、人の死について書きたいと思う。
友人が死んで、祖父が死死んで、葬儀屋に就職して変わったこと、感じたこと、考えたことを書く。
僕にとって「死」とは重要なキーワードだった。
好きな小説の主人公の大切な人は大体死んでいき、どこか「死」について興味があった。
死にたいとか生きたくないとかではなく、事象として、気になっていた。
何故死んでいき、どこに向かうのか。
生は死の一直線上にあるといわれているが、果たして本当にそうなのか?
そんなことをよく考えている学生時代だった。
大学時代に友人が死により深く考えるようになった。
「お前は絶対自殺で死ぬと思う。」死んだ友人から言われた。
僕もそう思った。
自分自身に負けて死ぬのか、考えすぎで死んでいくのかわからないが、自分の性格を考えると自殺が自分には合っていると思っていた。
死は他人を成長させるのだ。
私はそんな友人の訃報を聞いて、「誰よりも死について考えてやる」と決心し、
死に近い場所で働くことに決めた。
葬儀屋で働けば何か、自分の体験した死に答えが見つかる気がした。

人の死が人を成長させるには簡単だった。
そこで何を学ぶのか。死んでいった人の生き様なのか死に際なのか、
人の死をたくさん見てきた。

分かったのは、死はその人の人生だということだ。

同じように人の死を体験した人も見てきた。
すぐに切り替えられる人、10年経っても切り替えられない人、いろいろだ。
その両者の何が違うかと言うと、残された人に何を伝えてこれたかと言う点だと思う。

誰も悲しむ人がいない人もいた。
悲しかった。
この人はどのような人生を送ったのかと考えた。
こういう人生だとしか答えが出なかった。

死を見つめることで見えてきたことがある
死は事実だと言うことだ。
これほどはっきりとした事実は、他にないだろう。
100%の現実である。
人は簡単にいなくなるのだ。
長い時間をかけてか、あるいは、ほんの一瞬でいなくなるのだ。
そこを理解すると人生において、自殺の選択肢はなくなる。
少なくとも、私は自殺という選択肢はなくなった。

心というモノは脆いモノである。
誰かに言われて硬くなるモノではない。
自分で硬くしないとすぐに壊れてしまう。
それが10年でわかったことだ。

話は変わるが自分の10年の変化について書こうと思う。
大学1回生から28歳社会人の自分についてになる。

結局大学は5年通った。
一言でいうと向いていなかった。
3歳から続けていたレスリングも3回生の時に辞めた。
辞めたというよりも、目標が達成された。
教養として続けていたが、あの環境でのレスリングから学べる範囲は学びきってしまった。
卒業まで続けていたら何か変わっていたとは全く思わなかった。
やり切ったとはまた違うし、燃え尽きたとも違う。
やることがなくなったという表現か全クリしたという表現が近い気がする。
別にレスリングが嫌いなわけではない。
10年経った今でも、日本レスリング協会のホームページで最新の大会の結果などは見ている。
競技としてのレスリングは終わったので、趣味としてまたいつか格闘技ができればと思う。

5年通った大学を卒業し、無職になった。
父が再婚相手と滋賀に移り住むとのことで、なんとなく大阪にいては、何も変わらない気がして、私も行くことにした。
はっきりした理由は覚えていなし、当時はこれからのことは全く考えていなかった。
滋賀に移住して、1か月が経つ頃に、無職の父に仕事をしろと言われた。
それで今の職についた。
職場が遠かったので一人暮らしを始めた。
それが5年前の4月になる。

そこからはの5年は一瞬だった。
正直に言うとあんまり覚えていない。
必死に仕事をしたと言えば聞こえがいいが、ただ生活をしていたともいえる。
2年前に結婚し、家を買い、去年子供が誕生した。

私がついていけないスピードで生活をしている中、父は子供を2人作り、私は晴れて、8人兄弟姉妹になった。
これが私の10年間である。

変わったことを書いてきたが変わらないことを書く。
5年前から上司が変わらない。
変わりたい部下はみんな辞めていった。
そんな上司を5年前から許していない私も変わってはいない。

生活は変わったが、性格はまるで変わってない。
10年前から一人の時間が好きだし、10年前に買ったヘッドホンをつけて、10年前から好きなアルバムを聴き、10年前から持ち歩いている「風の歌を聴け」は今でも持ち歩いている。
そんなものだ。
にんげん中々変わらないものだ。
というより、変われないのだ。
心がしんどくなる時もあるけれど、長年連れ添った心はどこよりも心地いい部屋になってしまっているのだ。
今更といよりか今は変えようとは思わない。
変えられる人だけが成功しているのだ。
そんなことも知っているが、私は変わらないだろう。
そんな自分が愛しくてたまらないからだ。

あれから、10年経って振り返ったがこの10年はこれからも続くであろう10年なんだと思った10年だった。

最後に。
10年前から知ってくれてる人へ
みなさんは如何お過ごしでしょうか?
私は元気です。


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