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偏差値55の大学生が愛って何か本気で考えてみた。|人を好きになる方法

「愛とは、人のことをどのくらいの比率で考えられたか?という最高到達点の深さ次第で発生するものだ」という仮説をたてようと思う。

友達が本気で人を好きになったことが無くて、俺って人間じゃないのかなと悩んでいたので、「愛」とはなにか本気で考えてみようと思った。どうやったら人の事を「好き」になるのか?と。そしたら色々と分かったことがある。この友人を主役に話を進めていく。

愛って何か「そもそも」考えてみた

俺は考える時にまず、「そもそも」愛ってなんだ?と考える人間なので、まずは「そもそも」から考えてみた。

そもそも愛は、
・友人や親友に向ける好きとは違うのだろうか?
・家族に感じる「愛情のようなもの」とは何か違うのだろうか?

・そもそも、好きと愛って何が違うのだろうか?
わからなかったので、

俺が知っている愛情の深さを並べて考えてみた。

愛してる>恋人>仕事仲間>親友>友達>家族>知人>他人<害悪

ここから考えると、ナニカの気持ちに対して言葉を付けているような感覚が一番しっくりきた。そして、基本俺は人の事が好きなので、俺に「死ね」「消えろ」「きもい」などで害をなして来たり、「話が通じない」人以外は全員好きだと感じた。でも、愛してると思ったことがあるのはまだ人生で1人だけなのだが、「好き」と「愛してる」は明確に違うと考えた。

しかし、「愛」は好きの延長線上であるという実感もまたあるので、完全に違うわけではない事もわかった。図化するとこうだ。

結果 これで愛とは何か?を定義することは多少できたのだが、愛の前提となる「好き」が一体なんなのかわからないので、どうしようもない。

そもそも「好き」ってなんだ?

ということで、今度は「好き」を考えてみる。ただ、どこから考えてみればいいかわからなかったので、まずは「なぜ好きと思うのか?」考えてみた。

なぜ好きと思うのか?

これを考える時、まず俺が浮かんだのは、「嫌い」という対義語と「無関心」というこれまた、ある種、対義語的なニュアンスの言葉だ。害悪な存在を並べて考えたときに嫌いの分類として入れたのだが、無関心な存在はどこだろう?と思い、入れてみた。

愛してる>恋人>仕事仲間>親友>友達>家族>知人>他人<無関心<害悪

そうすると、じゃあ俺が好きと感じるのは、逆説的に「無関心でない人」且つ「害悪でない人」となる。言い換えると、「気になる人」と「いい人」である。この二つが合わさると、俺は「好き」と感じるようになるようだ。

じゃあ、好きは相手で変わるのか?

愛してる>恋人>仕事仲間>親友>友達>家族>知人>他人<無関心<害悪

この図にあるように、明確に俺の中では「好き」に順番があるように思う。しかし、以前その悩んでいた友達に話を聞いてみると、「人に好きの順番はつけたくないと感じる」と言っていた。ということは、おそらくこうなる。

愛してる>好き<無関心<害悪

実に面白い。そしてシンプルになった。おそらく人によって、好きが変わる人と変わらない人がいるのかもしれない。しかし、一点気になるのが、彼にも人の嫌いなところや、害悪と感じる存在はいるはずである。つまり、

好きな部分と嫌いな部分

は必ず相手に対して抱いていると思うわけだ。そして、つまり、ここから考えられるのは、この2パターンだ。

「好きという感情にグラデーションがあるから、嫌いが生まれる」
または
「好きと嫌いはまったくの別感情で、2択しかない」

つまりこうかもしれないということだ。すべてが別の感情ということだ。

愛してる|好き|無関心|害悪

結果 人によって、好きの定義は異なる可能性が見えてきた。

どうやって好きになるのか?

友人の「好き」の定義で、俺が考えたなぜ好きと思うのか?を考えてみた。

結果、「彼の人の見方が、これそのままである」と予想した。
人の中にそれぞれ、「愛してるところ、好きなところ、嫌いなところ、無関心なところ」がそれぞれ独立してあり、それぞれの感情の比率があるだけなのかもしれない。

俺の場合の他者の見方は、
人の中にそれぞれ、「愛してるところ、好きなところ、嫌いなところ、無関心なところ」がそれぞれ独立してあるという所までは友人と同じだが、それぞれの感情の比率に応じて、「好きよりになるか、嫌いよりになるか?」が変わって、人との関係性を決めているように思う。

これを踏まえて、私の考え方に当てはめると、友人にとっては、「好きな人と嫌いな人は同一人物である」ということが判明する。実に面白い。

結果 となるとだ、大事なキーワードは「気になる」ではないか?と思うようになった。どちらの場合でも「気になる」というステップが無ければ、そもそも、無関心が100%か、無関心の人のままで終わり、一生誰とも関係性は築かれないことになるが、俺は彼と友人である。よって、「気になる」というステップは踏んでいるに違いない。

【余談】だが、俺にとってのこの感情が分かれている感覚は、尊敬で現れる。俺にとって「嫌いな人と尊敬できる部分は両立させられる。」嫌いな人には変わりないがw

気になるとは何か?

では次は、気になるとは何か?を考えてみよう。

結果 人に興味を持つことだろう。もっと言うと、相手のことを考える瞬間のことだと考える。

実はここからが、この記事で一番伝えたい内容となっている。私たちは、必ず他者に関心を持って生きている。そうでない人もいるのかもしれないが、少なくとも我が友人は、恋をしたほうがいいのではないか?という想いを抱いたという事であり、その原因は必ず誰かがそんなことを言っていたからだろう。つまり、その人には関心を向けていて、俺らとも友達をやっているので、関心はあるはずだ。

しかし、女性を好きになることができない!
なので、ゲイかもよ?と聞いてみたら
いや、男にもない。と返ってきた。

ふむ。

しかし彼は人の話も聞くし、話題提供もできるし、好きなことだってある。関心は色々持っているのだ。ただ、好きにまでいかないということは、理由はどちらかだ。

原因1:女友達もいないことから、そもそも女性に対して興味がない。
原因2:たまたま興味を持てる女性に出会っていない。関わる機会が少ない。

しかし、原因1の方は、
・女性と普通に喋ったことがある点
・女性に対して性欲がある点
から完全に興味が無いわけではないのは判明している。

故に、原因2の方だろう。
単純に女性との接触数が少ないのだ。

友達同士で彼の事を話題にしていた時も結局これで落ち着いた。

だが!ここで終わらないのが俺だ。

いやまて。彼は好きになれないことに悩んでいたのだから、そこまでちゃんと考えてみよう。どうやったら好きになれるのか?と。

人の好きになり方

ここで冒頭の仮説を回収しよう。

仮説「愛とは、人のことをどのくらいの比率で考えられたか?という最高到達点の深さ次第で発生するものだ」

そもそも好きってなんだ?で考えた好きになる理由とは違って、こちらでは、好きになる方法を検討していく。そして、この回答が

「相手の事を考える」:「自分ことを考える」の比率の到達度

である。基本人は、自分が可愛い。よって、自分のことしか考えていない。しかし、好き、愛しているという感情はその常識を打ち壊すものだ。色々なラブストーリーを見ていればわかると思うが、相手が困っている時は全力で支えたい!と思うのが愛情ではないか?自分がどんだけ辛いこと、嫌な事でも、ずっとは無理でも相手のためなら死に物狂いで頑張れるという状況だ。

この状況を「最愛到達点」とでも名付けよう。この時の数字がこうだ。

「相手の事を考える」9:1「自分ことを考える」の比率の到達度

ずっとは無理でもが無くなることはないだろう。あるとしたら、それは死を覚悟しているもので、生きるのを諦めているものだ。あくまで私見だが、その状態は愛情とはずれてしまった、依存状態だ。中毒症状と言ってもいいだろう。正常な人間の思考なら、長い未来を考えることができ、その長い未来をずっと誰かのために死に物狂いで頑張るなんてのはできない。

自分の命と引き換えに命を助けるというのはできるが、それでは死んでしまうためにやはり「0:10」は愛情の関係には存在しないと考える。愛し合いたいのなら、生きるしかないのだ。

話がそれたが、では、友人はどうかというと、多くの場合

MAXでも「相手の事を考える」9:1「自分ことを考える」だろう

愛してる>恋人>仕事仲間>親友>友達>家族>知人>他人<無関心<害悪

親友なら「7:3」恋人なら「8:2」愛してるなら「9:1」となる。

愛とは自己犠牲の最高到達点とも言えるように感じるかもしれないが、そうではない。あくまで、相手の事を考えるという事と比較した時の比率なのだ。なぜなら、孤独なものに愛は成立しないからだ。


そう考えると、自殺をする人間というのも、人のことを考えるようにすれば死にたいと思う気持ちよりも相手の事を考える気持ちが上回るようになり、いつしか愛情を知り、死にたいとも思わなくなるのではないか?


愛とは何か?

これはあくまで仮説でしかない。しかし俺は思う。

愛とは、人のことを自分のことと比べてどれくらい考えられたのか?という比率の最高到達点が9:1の時に生じる、「気になる」の最終進化系の感情ではないだろうか?


【余談】ビジネスの世界でもお客さんのことをこれだけ深く考えて愛するまでいかずとも、愛するに近いレベル8.8ぐらいまで考えることが出来れば、成功するのではないだろうか?と仮説を立てておく。


筆者自己紹介

自己紹介

初めまして。MBTIの心理テストによると:ENTP(討論者)の性格を持つ、「まつだじゅんや」と申します。世界平和という夢を目指して、日々生きています。どんな人間か気になったら色々飛べるようになっているので見てみてください。「生き様がアートな人間でありたいと思っています。」


また、本も書いているので良かったら読んで見てください!


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