5これからの世界に、私の妄想を加えた未来の話について

この話は、前提知識がどこまであるかと
その知識をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、また人がどこまで利己的だったり善人であったりするかと解釈する事で、
未来像は変わってきます。
なぜなら未来ですから。

なので、希望も踏まえつつ
今のままだと世界はこうなるだろうという予想を書いていきます。

全く知識がない方はまず
中田の2030年予測などを、参考にしてください。
https://youtu.be/vJEJxzj47aw
それでは本題に入ります。

これは、ASPが無くてもいつかは起こる未来。

・資本主義の終わり、戦争が起こる。 
格差社会が拡大し、実質的な植民地化か、暴動が起きると予想されます。
→理由はテクノロジーの発展によって、資本が集まる所にはさらに資本が加速度的に増加し、もちろんそれはどこかから集められた資本である。
それを全世界に普及することがゆくゆくは行われるだろうが、他の企業は、データ的、資本的、権力的に、その市場にすでに参入出来なくなっており独占状態となるため。

また、交通手段の発展により、今よりも早く他国へ攻め入ることができるようになる。
結局それを取り締まるのは、富を持っている組織で、持っていない組織ともっている組織の対立構造になり、世界は分化していく。


・国の分化。独立が多発。
特に都市部を中心に。経済的に弱い地方は切り捨てられる。
日本から、東京、大阪、京都などが独立するイメージ。

・あるいは、国という概念が消えていく。
全人類が自由に、住む場所を選べるようになる。全世界の平均化が進む。


→なぜなら、交通手段の多様化と食料や衣服、家などの生産が全てロボットにとって変わられる上に、狭い土地でも栽培が可能となる。今は地方で農作物を作り、都市で、化学を進歩させるというような、分業の必要性が無くなってくる。
全ての人に最低限の生活が保障されるようになるのなら、あとは自由に生活したいという人がでてきてもおかしくない。
マイナスの利益を出している地方や弱者と協力をする意味がそこまで無いからだ。
場所を選ばずに、顧客は世界におり、養うべき人類も居なくなる。
よって自由に恩恵を受けていいから、関与はしてくるなという形の独立が起こると予想される。


そして、資本主義の終わりにもつながるが
貨幣の価値もより娯楽のためのものと、本当に世界に数ある貴重なものを手に入れるためのものという意味合いが強まる。
人が生きるのに最低限必要なものは、衣食住と、それらに類する食器や家電などだ。
これらの製造で、今後人が努力する必要は無くなる。特に何をせずとも、ロボットが、人の不満を聞き、進化させてゆく。その製造に人は一切関与せずそのものが完成する。つまりコストは、数を重ねるだけどんどん材料費のみに近づく。
その材料の生産が、世界人口に追いつく数のものであれば無料にすることができるし、
そうでないのなら、有料となる。

全人類が、この有料を欲しがるとは限らない。一部のより良いものを使いたい人だけが、資本主義社会で努力し、生きてゆくことになる。

一方、そうではない人は、ゆっくりと人生を過ごしていくことができる。


国や企業のブランドというものは、資本主義社会においての信用のためのものであった。
しかし、その社会に全世界の人が参加する必要がなくなった時、アイデンティティとしてのブランド以外は、必要が無くなり、国の意味が変わってくる。例えば、私は日本人である。というのは、そこの血を含んだ人種であるという意味だ。猿に対して、私は人間であると言っているのとあまり変わらない。

日本人らしい文化というのも、
結局は、そこに価値があり、それを享受出来ていたのが日本人だけだったから意味があった。

しかし、それが全世界的に享受できるのなら、日本人と名乗る必要はあまりない。

つまり
ブランドとしての価値が残った所では、資本主義があり、固定化された人が集まる。

逆に、ブランドを排除した、最低限の社会では、独自の文化を、多様な人で作るかもしれないし、つくらないかもしれない。それを欲しがるのは、資本主義の社会の人にあげるかもしれないし、独占するかもしれない。
おっと、これでは世界が昔に戻っただけである。

有料で、その独自の文化を売ったとして、
手に入れたお金は、資本主義の国との交流に使うだろう。きっと資本主義国家にある発展した特別なものを買って、みんなでシェアするだろう。

ものを独占して価値を高めあう国と、物をシェアして、みんなで仲良くやる国のどちらもが世界に存在していく。

これを可能としていくのが、自動化だ。


しかしここで問題なのが、
資本主義国家が、世界を滅亡させようとしていたり、その自由に暮らしている人達を害しようとした時だ。
もちろん、かなりの武力、知力、科学力を有しているだろう資本主義国家に、立ち向かうのは無理であろう。
ここで、最初に戻る。戦争が起きるか、植民地となってしまうかもしれない。

・これを是正するために法が有効と思うかもしれないが、それを実行するだけの三角関係が格差社会にあるかはわからない。

また、そもそも、物資が豊かな社会で、本当に法的に守るべきものというのは、人の命や人権だけになるだろう。

となると、ルールが簡素化したり、そもそも無くなるかもしれない。ルールを破って与えられる罰則も、軽くなっていくかもしれない。そもそも誰が与えていくのかも分からないが。ルールで縛るという社会をいつかは脱して行く所も存在していくと思われる。

とまぁ、
こんな感じの未来社会になる。

さてここで、
どこに希望があったのかという話だが、
まず、人は今生活で使っているもののほとんどが、無料になる。つまり、誰でもある程度のものを手に入れられる社会になるということが一つ目だ。ある程度の格差の是正につながるというよりは、格差社会の下が底上げされて今のレベルになるというのが正しい。

次に、生き方の選択肢が増えるということだ。今は、生まれてずっと、努力をしないといけない社会だったが、ただ生きるだけでもいい社会が訪れる。
もちろん、ボクサーとして日日鍛えている人とそうでない人が共存する社会のようになるがそれは今も同じだ。

次に、このボクサーがみんな良い人であれば戦争なんて起こらないし、いじめも起きない。これに抑止力が、必要になるかどうかは分からない。私は人は抑止力なしでも大丈夫だと思いたいが。
というのも、均一化された社会での教育で、全世界の共通のモラルという暗黙のルールや思考制限がかかると思われる。まず無料で手に入るのに、窃盗なんかはしないので、問題になるとしたら、全て人間関係だろう。しかしそれもその時その時の対処法が全世界で共通化できていくだろう。

結果、平和になる。
というのが私の未来予測だ。

人は、人それぞれ価値観を持っており、
その価値観に従って生きる権利がある。
その妨げを出来るだけ取っ払うために人は、何千年も努力をしてきた。これからもする人はいるだろうが、休みたい人もいるだろう。
それで良いのだ。

人は、本来動物である。
ただ知性が乗っかっただけなのだ。

生きたいように生き、死ぬ時は死ぬ。
そんな社会があってもいいはずだ。

さて人は、これから
まだアリとして生きるか、
1匹の獣として生きるか、
ロボットとして生きるか、
人として生きるか。

果たして人として生きるとは何だろうか。
あなたはどんな答えが出てきましたか?


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