キレイなところから叫んでも人を救うことはできない

私は机の上で仕事してたほうが多い気がした😟
ここで待ってても役になんて立てないよね。
自分から動かないと。
病院のボランティアも4年続け、
日々ケアルームで身体に触って、心に向き合って、
施術もさせてもらっているけれど、まだまだ足りない。
っていうか9年も経ってるのにこの程度。。。

実際に母の介護とか家族の病気の経験があっての
この仕事なんだけど、でもやっぱりそれだけじゃ足りない!
本も読むし、ネットでの情報もあるけれど
実際の現場の状況を知ることって何より大事だし、
そうじゃないと実在しないものに
勝手に都合よくストーリーをつくり
自分のために行い、自己満足しているだけな気がする。

もっと自分から動かないと、、、
と言いながら動けてない自分、動けない自分もいる。
そんな自分も認めつつ、いま出来ることをする。
奮起させる感情と逃げたい感情と焦る感情といろんな感情が交錯しているのを苦しみもがきながら感じる。

役に立つってなんだろう?
役に立ちたいって思う人のところへ飛び込んでいかないと彼らの気持ちなんてわからないのに。
解ったつもりになっていい気になって
「いいことしてる」って?笑っちゃうよ、まじで。
「役に立ちたい」のと「役に立っている」のとは違う。
人様の役に立つってことは本気でその人たちのところへ行って、同じ空気を吸って、一緒に体感しないと
相手の気持ちなんてわかるはずがない。

社会問題とか健康のこととか、
世の中を平和にしたいって
自分が平和じゃない人に限って言う。
社会貢献したいなら他人じゃなくて
まずは自分を幸せにしろって話。

安全な場所から汚いところを眺めて
あれをキレイにしようって
一体何様だろうか?
自分のために他人を利用するなんて。

飲んだくれたちはこう言う。
「こんなクソみたいな生き方」
って言いながらめちゃかっこいい生き方してる。
だって、常に正直で本能丸出しで生きてんだから。
嘘ついてないんだから。

夜回り先生が浮かんだ。
深夜の繁華街で若者たちの話しを聞いて更生や非行防止に取り組んでいた水谷修さん。
きっと現場に行かない、目の当たりにしていないで(わかったつもり)キレイごとやっていることってあると思う。
いかにも”素敵な活動”だけど実際は内情知らないとか。
こんなこと書いているのだって実は偽善っぽいとか(笑)
自分だって気づかないでやってた、なんてことあって恥ずかしいって反省したりとか。
でも、そんときは気づかない。
熱くなって周り観えなくて自分の世界へ入っちゃってるから。人のことなら人のことを観なくちゃね。
現実をさ。


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