青い月夜の特別なこと

青い月夜の特別なこと(冒頭部分 6660文字)

自作小説の宣伝となります。おそらくわたしの小説の代表作かと。
この小説はPrime Readingにも選ばれたことがあります。
ジャンルとしてはミステリのフリをしたファンタジーのフリをしたナニカです。

以下はAmazon Kindleで99円で販売しているものの冒頭部分となります。
Kindle Unlimide対象にもなっておりますので、お楽しみいただければと思います。

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夕暮れ時の依頼

その日の午後、双一郎が勝手に「三行半(みくだりはん)事件」と名付けた事件が、犯人の自決によって解決した。

事務所で事件のあらましを聞かされて呆然としたままの依頼人が帰った後、わたしは眼鏡を外し、いただいた謝礼を帳簿に付け、吸い取り紙を手早く確実にインクの上に広げる。椅子の上に鞄と手袋と帽子を置いてから吸い取り紙を柔らかく取り除き帳簿にふーっと息を吹いて端っこの単語にそっと触って乾いたのを確認。赤い革の表紙を閉じて棚に戻している間に壁の振り子時計がゆっくりと八時を告げ始める。
眼鏡をかけて「それではお疲れ様でした」と、事件解決後の余韻(おそらく自己陶酔)に浸って窓の外を眺めている双一郎に声をかけた。
「ああ、良い週末を。若い娘(こ)が遅くまで遊ぶんじゃないよ」
と、双一郎がこちらを見ることもなく返事。彼だってわたしと大して歳は変わらない。
これから一階のお手洗いで化粧を直して通りで馬車を捕まえて約束の広場まで。時間の余裕はある。さあ、先週買った新しい口紅が活躍する時がきた。シビレサンフシの虫脂(むしあぶら)とセンチイロの赤がいままでとはまったく違った輝きを放ちあなたの魅力を最大限に引き出しますという宣伝文句の半分でもいいから効いて欲しいものだ。顔色があまりよくないわたしは、暗闇ではいっそう酷い表情に見えるだろうから。それを少しでも補ってくれることを期待して、無理して買い求めた。完全に日が落ちる前に出かけなければ。
事務所の扉を開けようとした途端に階下の物音が聞こえてきた。
慣れている者は一階の扉が風に煽られやすいと知っているので、最後まで手を放さず静かに閉める。さらに、下の代筆屋も仕立屋もとっくに店を閉めている。つまり、不慣れな者がうっかりと一階から建物に入り込んだということで、入ってすぐに書いてある『探偵事務所は建物右側の階段を直接二階へ』という案内を見てすぐにまた玄関が開けばこの事務所に来る可能性は極めて高い。
再び扉が勢いよく閉まる音。いいかげんに大家さんも何とかしてくれないか。
案の定、樫の木の細い急な階段を上がってくる足音が響く。
途中で止まって罵り声。慌てて上がって向こう臑でもぶつけたのだろう。
振り返ると双一郎も気がついているようで、わたしを見て微笑んだ。
「京子ちゃん、君の今日の仕事は終わりだよ」
そうしたいのは山々だが、ここで働かせてもらうときに「探偵という特殊な仕事だから、急な仕事が入ったときには定時以外にも働いてもらうこともあるかもしれない」と聞いていた。以来、半年になるけど、実際にはそんなことは一度もなかった。
「依頼人であれば、その用件が済むまで助手として待機します」
やがて、ノッカーが激しく鳴らされた。双一郎が「どうぞ」と応じるとナベラカダマシを磨き上げた銀色の取っ手が回り、勢いよく開いた扉からひげ面で赤ら顔の男が入ってきた。
着ているもののくたびれ方、伸び放題のひげや髪の毛からは、この探偵事務所に縁がなさそうな人に思える。双一郎が要求する報酬はかなり高額だ。
「あんたが探偵の先生か?」
中年の男は双一郎の父親といってもおかしくないぐらいの歳だった。できるだけ丁寧に話そうとしていることはわかる。だが、いまにも飛びかからんばかりに気が急いていることもよくわかった。
「ええ、その通りです。いったいどのような……」
「俺と一緒にクスティーモル卿のお屋敷に来てくれないか。いますぐに。知っていることは道すがら説明する。なんだっけな、ええっと『最上級の依頼(スヴェラティーベ ディプリカトーリヤ)』だそうだ」
それを聞いた双一郎はすぐに立ち上がった。
「了解です。いますぐに準備します」
わたしは壁に掛かっていたオーバーコートを彼に手渡しながら「ご一緒します」と言った。わたしがこの事務所で勤めるようになってから『最上級』は初めてだった。これを見逃したくはない。
「ありがたい。だけど、君は約束があるのでは?」
「仕事で行けないこともあると、先方は承知です」
「でも日が暮れてからだからなあ……食事ぐらいならともかく、捜査となると君には向いていないと思うが」
「そんなことをいつまでも言っていられません。探偵の仕事に慣れていく必要があると言ったのはあなたじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
「今日は特に体調も良いのです」
「うん。それは気がついていた。ただ、そういう時でも外に行くとなるとね……まあ、でもいつかは越えなければならない壁かな。いざとなったら休んでいればいいわけだし……よし、行こう。この助手も同道させてもらいますが、よろしいでしょうか」
わたしのことなどどうでもいいというふうに男は「ああ」とうなずいて、部屋を出て階段を下り始める。
建物の外へ出る。うっすらと陽光の名残が広がる空。胸の奥が少し重い感じになる。調子が良いと言ったことを後悔する。
東の方に浮かんでいる大きく丸い月を見て深呼吸をする。やや楽になった。頑張らなければ。
男が手招きする。
「俺の馬車がそこの馬車溜めに停めてある。急な依頼なんで、明日運ぶ荷物も載っけたままだ。ちょっと窮屈だけど我慢して下さいよ」
郊外のクスティーモルの館となると、ここから結構な距離がある。
昨日の雨でややぬかるんだ道に、二頭立て四人乗りの幌付き馬車が停まっていた。馬はどちらも栗毛色で、鼻面だけが白い。小型で力のある品種だ。馬車の箱はステップが高く乗り降りしにくい古い型。どうやら、この赤ら顔の御仁は御者らしい。
男は綱木に結ばれていた紐を器用にほどくと、馬の背を撫でてからその図体に似合わない軽やかな動作で御者台に収まった。
先に箱へ乗り込んだ双一郎の手に捕まって、わたしもよいしょと座席へ。幌があるとはいえ、椅子も狭い。御者の背中が見えており、揺れれば頭がぶつかりそうなぐらいに近い。足下に置いてある木箱が邪魔だった。座席のシートは埃をかぶって薄汚れている。普段は客乗せよりも荷運びが主なのだろう。
人通りが多い石畳の間をゆっくりと馬車は進み始める。わたしは道に並ぶ虫灯を頼りに、通り過ぎる人の姿に目を凝らす。
「いや、虫を飛ばす必要はないと思うよ」と双一郎。
何故わたしが伝書虫屋を探しているのがわかったのかと聞き返しそうになったけれど、誰かと待ち合わせしている予定を急遽変更したとなれば、それを知らせようと伝書虫を飛ばす、あるいはそこいらの子供に伝言を頼むというのは容易に想定できる、と得意げに言う姿が想像できたので、黙って固い座席に背を預ける。
「さて、御者さんは早く僕を連れて行けばチップをはずむとでも言われているのかな」
「ああ、すまない。まだ名乗ってもいなかった。俺はオンズっていうんだ。あんたを九時までに館に連れて行けば二千ダインくれるって言うんだよ。バルトシュ・クスティーモル本人の言葉だから間違いない。探偵の先生にとってははした金かもしれんが、俺にしてみたらひと月分の稼ぎだ」
「いやいや、確かに人を運ぶ報酬としては破格だね。で、僕が向こうでなにをすりゃいいのか、依頼人からちょっとでも聞いていないですか? オンズさんが急いでいるのは百も承知だけど、大金を払って呼びだしたという期待に応えるため、こちらもできるだけ準備をしておきたいんだ」
「ああ、そうか。バルトシュさんはある事件の犯人を突き止めてほしいと言っていた」
「ある事件ね。そうだと思ったよ」双一郎が大げさにため息をついて両手を広げる。もちろん、ただの見せかけだとわたしにはわかる。
「いや……」御者がやや口ごもる。サパタの大通りを離れ、人影がまばらになってきたため、馬車は速度を上げる。「たぶん、殺しがあったとか、そんなことだと思う」
「依頼人から直接聞いたわけではないと」
「ああ……今日の夕方、俺は馴染みの店を回って、いつものように肉の塊と牛乳、鳥の餌、それからチーズなんかを受け取ってクスティーモルの屋敷に運んだ。毎週届けるように頼まれているんだ。いつも屋敷の裏っかわで料理番のイチュに荷を渡して運び賃をもらう。帰り道はオオテの街道に出るために東側の塀に沿った道を通るんだが、そこには一つ古い門がある。広大なクスティーモルの敷地にある別館っていうのかな、やや小さな、といってももちろん俺の家の何倍もあるようなやつ。その別館に一番近い古い門だ。中にも外にも雑草が茂って、普段はあまり使われていないようだった。その中から俺を呼ぶ声が聞こえたんだ」
御者の話も気になるし、大切なのだが、わたしは伝書虫を飛ばさなくていいという双一郎の言葉の根拠が知りたくてやきもきしていた。だけど、次第に暗くなる空を見ていたら、どうでもいいような気持ちになってきた。
御者は手綱と鞭を操りながら大声で話を続けた。
「まあ、急な荷物を運んでくれって話はよくあるし、そんな時は運賃も色をつけてくれることが多いから、こちらとしては歓迎さ。近寄ってみるとバルトシュ・クスティーモル卿が一人で門の向こうに立っていた」
「間違いなく本人でしたか?」
「ああ。いままでも何度か近くで見たことがある。バルトシュさんには娘と息子がいるだろ。娘さんは穏やかな評判の良い人でね、隣町のお金持ちと結婚して、確か何年か前に女の子が産まれたんじゃなかったかな。ところが、クスティーモル家の跡継ぎとなるはずの息子のエミルにはいろいろと困った噂が多い……頼りないとか、穀潰しとかな。でもな、実際には気さくで義理堅い青年なんだ。何回か町から乗せたことがある。俺が屋敷に肉を運ぶ曜日を知っていてね、肉屋の前で待ってるんだ。『カードで文無しになっちまったから、家まで送っておくれよ』って。もちろん、家に着いたらちゃんとチップをはずんでくれるのさ。で、あるときバルトシュさんが門のところで待ち構えていて、大目玉を食らったことがあった。それ以降はエミルも用心して館の近くで降りるようになったな。まあとにかく、そういったときは執事や料理人を通して必ず後でチップを払ってくれるのさ。憎めない人だよ」
そう言っている間に、オオテ街道へ向かう辻へと馬車が辿り着くと、双一郎は『はい、ちょっと停まって』と御者の背を軽く叩いた。ここまで順調に進んでいることもあってか、御者は大人しく馬車を止めた。わたしはすぐに伝書虫の看板を掲げた男を見つけ出した。甲虫が羽ばたき、胴に結ばれた細い紐に手紙がぶら下がっている絵。大きな辻には必ず彼等のような伝書虫屋がいる。オオテ街道に入ればしばらくはお目にかかれないだろう。虫を飛ばさなくてよいと双一郎は言ったが、その根拠が分からない以上、頼むなら此処しかない。
「で、何故オンズさんは依頼の内容が殺しだと思ったんですか?」
「ああ、すまん。話が長くなった。そのバルトシュさんが俺に『大至急、町に行ってイヒュビュート通りの探偵事務所の双一郎って先生を連れてきてくれ』って頼んだんだ。九時までに来てくれれば二千ダインはずむからって。そのバルトシュさんの血相もただ事じゃなかったので、俺はすっかり気圧されてうなずくだけだった。で、馬車を飛ばしながら気がついた。変わった模様のシャツを着ていると思ってその時はぼんやりと見ていたんだが、どうもそれは模様じゃなくて、シャツにたっぷりと広がった血の跡だったんだじゃないかってな」
「なるほど、わかった。そういうことであれば此処を左に折れてエディンヒル通りへ行ってほしい。もう一人、拾っていかなきゃならん。さあ、郵便局の前まで急いで!」
有無を言わせない口調に、わたしも驚いた。確かにエディンヒルへの寄り道となると時間的に厳しくなりそうだ。
急いで動き出した馬車は角を曲がって町の西へ向かう。
その途中で、今夜、行こうと思っていた食堂の前を通りかかった。予約ができない店なので、満員の場合は並ぶしかない。案の定、通りにまで人が溢れていた。あの混雑した中でいつ呼ばれるかわからないまま、暗くなるまで待つ羽目になるのを回避したのだ。もしかすると、食べる前にわたしの気分が悪くなっていたかもしれない。そうならなくてよかったじゃないかと、いまはそう思うことにしよう。
しばらく無言で馬車に揺られた。わたしは待ち合わせの心配をしなくてすむことになってほっとしていた。
いま双一郎が指示した『エディンヒルの郵便局前』と言えばマグザブの家なのだ。
しかし、そこで新しい疑問が生まれる。
虫を飛ばさなくていいと言ったのは、結局マグザブを連れていくことになるだろうと彼が予想していたということだ。それはいい。しかし、それはわたしの約束した相手が分かっていなければ言えないことだ。
「双一郎、あなたはどうしてわたしがマグザブと会うってわかったのですか?」
双一郎は視線を前へ向けたまま「なに、簡単な推理だよ。君がいつもと少し違う洋服を着ていること、君がいつもより帰り時間を気にしていたこと、君がいつもより……」
口元を微妙にゆがめてこんな口調で答える時にはまず間違いなく本当のことを言っていない。
「さてはマグザブに聞きましたね」
「……頼んでおいた虫を明日までに欲しいと急かしたら、今日の夜には君と食事に行くことになっているから勘弁してくれと言っていた。もちろん、本気で頑張れば何とかなるだろうと励ましておいたから、いまから行けばできているんじゃないかと思う。それに、そもそも君がこんな時間から会う相手なんて、昔ならともかく、いまとなってはマグザブ以外に考えられないしね。で、君はどうして僕がマグザブに聞いたのだとわかったのかな」
「あなたが自信満々の表情から推測しました」
と彼の真似をして口元を微妙にゆがめて答える。
馬車は郵便局の前で停まった。
「ちょっと待っててくれ。すぐに呼んでくるから」
御者に言って双一郎は馬車から飛び降りる。「足下が暗いから君はゆっくりと来たまえ」と言い残して三階建ての住宅の正面を回り込んで、隣の小邸宅との間へ姿を消した。
慌てて後を追う。表からはわかりにくいが、薄暗い路地の奥にはレンガの簡単な門があり、階段が下へと続いている。
壁に触りながら一段ずつゆっくりと下りる。陽は沈んだが、まだ空はうっすらと明るい。壁の目地もはっきり見えるし、双一郎の事務所の急な階段で鍛えられているからこんな靴を履いていても平気だ。
短い距離を下りきるとすぐに階下の部屋の扉があり、半分だけ開いて中の灯りが漏れていた。地下にはこの一室しかないはずだ。
「そんなこと言ったって、時間がないって言ったじゃないか」
部屋の中から、いつも通り力のないマグザブのぼやきが聞こえた。「いや、もちろん君が頑張ったことを疑う僕ではないよ。で、その涙ぐましい努力の結果、どれだけ出来てるの?」と双一郎の声。
舌打ちとともに「五匹だけだよ」とマグザブ。
「ふーん……まあ、今夜はそれだけあれば十分じゃないかな。よし、じゃあ、それをとっとと虫の瓶に入れて」
「だから、僕には約束があるんだって」
「君の悩みならこの名探偵が即解決だ。はい、その約束はたった今無効になりました。ほら、入って来なよ」
わたしは扉の隙間から中を覗いた。
「こんばんは」
マグザブがわたしを見て笑顔を浮かべる。柔らかいくせっ毛のせいで子供っぽい顔立ちがより強調される。笑顔だと特に。でもこの辺りでも評判の優秀な虫薬剤師なのだ。
マグザブは肩をすくめると、ため息をついて帽子とオーバーコートを手にした。双一郎が「な、大丈夫だって言ったろ。まあ、簡単に解決できたからお代は負けておくよ」と笑みを浮かべる。そう言えばこういう時のやや意地悪な表情も決まり切った感じだ。
「さあ、役者も揃ったところで出発だ。その中途半端におめかしした状態で構わない。愛用の薄汚い鞄に虫を詰め込んだらすぐに出発だ。丸い月の下で、特別な悲劇が我々を待っている」

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以上、宣伝でした。

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