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小説【夏のストロボあるいは魔法】第6回最終回(4674文字 無料 全6回)

第5回からの続きです。

あるいは魔法

部屋には一人きりだけだった。いや、身動きをしなくなった香苗が一緒にいた。
一彰は口を開いた。
「さて、この事件の実に特異な性質に僕も危うく真相を見逃すところでした」
積雲が太陽を隠したためか、窓の外が少し暗くなった。
「まず、最初の手掛かりは被害者と思われていた香苗が購入したという時計でした。怪しげな老人から購入したというそれは、止まったり動いたりを繰り返す、実に厄介なしろもので、時計としてはほとんど役にたちませんでした。しかし、最近は時計などそれほど高価なものではなく、よほど安い品であっても、しばらくはそれなりに動き続けるものです。それなのに、どうしてこの時計はこんなに頼りないのでしょうか」
一彰はその言葉が、見えない誰かに理解されるのを待つように間を置いた。
「そして、この島で奇妙な事件が起こりました。さんぞう先輩がいないはずの部屋から出てきたり、空き缶が時間をかけて落ちていったり、小屋の中に人が入ったまま消えてしまうなどの出来事です。これらはすべて合宿に初めて参加した僕を驚かせるために仕組まれたものであると僕自身は思い、そしてその謎に答えを出しました。しかし、それらは本当に真の解決だったのでしょうか」
言葉を慎重に選ぶ。
「もし、これらの事件が、現実に起こったものであり、彼等が何のトリックも用いておらず、単に自分の見聞きしたものを報告したものであるとしたら、どうでしょうか」
時間はたっぷりあった。急ぎすぎてもいけない。それでは彼女が本当に死んでしまう。
「例えば、僕が目撃したさんぞう先輩は、突然部屋の中に現れたように見えました。だから、窓の外に隠れていたに違いないと結論に至ったわけです。しかし、先輩は本当にそんなことをしたのでしょうか?そもそも彼は一言でもそんなことを認めたでしょうか。逆に彼は僕の言葉を『合宿を盛り上げるための作り話』だと思っていなかったでしょうか。実際に、永津子さんとのやり取りの中でそういうことを言っています。これらは他の事件にも言えます。あの一連の不思議な出来事の真相はもっと他のところにあるのではないでしょうか」
急速に外は暗くなり始めている。夕立が近づいているのかもしれなかった。
「そして、僕はある要因に思い至ったのです。最初の事件のとき、目撃者である僕は永津子さんと一緒に廊下のソファのところに立っていました。階下から誰かがあがってきたら絶対に見逃すことはないでしょう。それでも、三蔵さんが普通にそこからやってきたのだと考えてみましょう。彼は少し離れた僕達に気が付かなかったか、あるいは気が付いてもそれほど気にとめずに部屋に入ったのかもしれません。永津子さんの目撃した不可解な人影でもそうです。彼女が戻ってくる二十分ほど前に二朗さんが問題となった小屋にモップを取りに行ってます。彼女が見た人影や『曲がり角を曲がった途端に小屋が閉まるのを見た』ときに、実際に小屋に入ったのは二朗さんだったと考えてみます。小屋から出た二朗さんは隠れている永津子さんには気が付かずに、そのまま戻っていったのです。もちろん」
声がかすれてきたので、一度言葉を止めて唾を飲む。
「もちろん、これらは本質的な事件の解明を求める説明ではありません。では、何を目的としているかといいますと、『目撃されたものが、そのことに気が付かなかった可能性はあるか』ということなのです。これらはすべて一連の不可解な現象が本当に起こったものとして、その説明をするために必要なものなのです。目撃者がどう思おうと関係ありません。見られた者が見ていた者に声をかけず、また、見ていた者に起こっているある不自然な状態を看過する可能性があったかどうか、ということに焦点を置いているのです。そして、その可能性は十分にあったとするのが僕の考えです」
彼は机の上のカメラを見た。思えば、確かにそれは事件を象徴する装置だった。
「では、その不自然な状態とは何でしょうか。そのことを如実に物語る事件がありました。それがあのビールの空き缶落下事件です。あのとき、三蔵さんが言ったとおり、彼は窓からビールの缶を落としました。そして、缶は五分の時間をかけて落下して音をたてたのです。なぜ、そんなことが起こったのか。それがこの事件のすべての真相を解明するただ一つの原因です。すなわち……」
廊下から入り込んだ風が、横たわる香苗の髪を散らすように舞いあげた。
「缶ビールの時間が止まっていたのです」
大気の流れがゆっくりと現実を動かしているのだと一彰は思った。
「思えばここへ来るときに船のエンジンが何度も止まったのも同じ原理なのかもしれません。機械の時間が止まったために、何度かその動きがおかしくなってしまったのです。そして、僕等の周りで起こったすべての事件がそのことで説明がつくのです。あの廊下にいたとき、おそらく、永津子さんがビールを飲み始めた瞬間に僕の時間が止まってました。その間に三蔵さんが階段を上がって部屋に入り、ビールを飲み干した永津子さんが缶を置いた瞬間に僕は動き始めました。現象は僕だけに起こり、よそ見をしていた永津子さんは三蔵さんが通ったことには気が付かなかったのです。彼女は最初から三蔵さんが部屋にいるものとしてビールをもらいに行きました。その中で、僕だけが驚いていたのです。ところが、今度は同じことが永津子さんにも起こりました。彼女がバケツを取りに小屋へ行くとき、その前方には二朗さんがいました。そして、彼が小屋に入るところを見て、小屋の壁に背を付けて中から彼が出てくるのを待ちます。この時、彼女の時間が止まりました。その間に用事を済ませた二朗さんは建物へ引き返していきます。やがて、復活した永津子さんはしびれを切らして扉を開け、誰もいないのを発見することになったのです」
遠くから拡声器を通したような声がかすかに聞こえてきた。彼等を助けるために船がやってきたのかもしれない。彼は残り少ない時間を考えた。
ここまではうまくいっているという確信があった。
「そして、同じことが三蔵さんにも起こりました。永津子さんが階段を下りた直後に彼の時間が止まったのでしょう。そして、戻ってくる彼女を見逃してしまいました。つまり、この島で起こった一連の不思議な現象はこれですべて説明がつくのです。もちろん、この合宿では『自分で考えたトリックを実際に試してみる』という目的があるので、人が行った何らかのトリックを目撃する可能性もあるわけです。皆はそれがわかっているのでそのときはそれほど騒ぎたてず、ただ起こったことを皆に説明するにとどまりました。それがトリックを行ったものに対する礼儀ということなのでしょう」
汗が、額から幾筋も顎に伝う。
「さて、一連の『時間が止まる』という現象はいったい何が原因で起こっているのでしょうか。それは最初、香苗の時計が止まるという些細な出来事でした。しかし、彼女がそれを気にしていたところからすると、そんな現象が以前から彼女の周りで頻繁に起こっていたとは思えません。とすると、何か契機があるのでしょうか。すぐに思い当たるのは彼女の話に出てきた謎の老人です。どうもこれが胡散臭い。そこで疑われるのはまず時計です。僕は最初、この時計に時間を止める能力があるのかもしれないと考えました。しかし、それにしては気になることがあります。それは合宿が始まった二日でこの現象が一気に派手になってきたということです。いままで彼女の回りでそんな頻繁に不思議な事件が起こったという話は聞きません。だとすると、時計は関係を疑いたいところですが、まあ、せいぜい触媒といった程度でしょうか。では、他に何が考えられるでしょう。次に決定的に怪しいのはカメラです。彼女が言っていましたが、これはまさに時間を切り取る魔法の箱です。そして、これも謎の老人から買ったものです。しかし、これも突然昨日から時間が多く止まるようになったという現象を十分には説明できません。ここで思い出して欲しいのは昨日彼女の身に何が起こったのかということです。いいですか、彼女はひどく具合が悪くなっていました。その原因は僕にあります。フラッシュの光に対して彼女は過剰に反応しました。随分おおげさでしたが、今となってはその原因もある程度予想がつきます。つまりある種の光過敏だったということです。驚きと刺激ため、彼女はひどく心身ともに不安定な状態になってしまって、そのために、彼女の能力である『時間停止』が垂れ流される結果になってしまったのです。そう、全ては彼女がそれと気が付かずに引き起こしていたのです」
風で一斉にざわめく島の木々。生い茂るたくさんの葉が陽光を鈍く反射する。一彰は一瞬眩暈を覚えた。自分の立っている場所がわからなくなった。それでも、言葉を止めるわけにはいかなかった。
「もちろん、本人は周囲にそのような混乱を振りまいていたことなど知りません。ただ体調は悪くなっても自分の考えたトリックを披露しようと懸命に下準備を行ったでしょう。その辺りはまさに先ほどの推理で語られたそのままです。感電して壁にぶつかり、衝撃でナイフが刺さったという不幸な事故は、確かに現実として起こったのです。しかし、ここで注目すべきことがあります」
彼は物言わぬ香苗の身体を指さす。
「胸にささったナイフの傷口は、致命傷になったにしては奇妙な点があります。出血があまりに少ないのです。おまけに、右の胸です。左ならばともかく、右の胸で出血も少なくて、死に至るでしょうか。もちろん、心臓が右にある特異なケース、あるいはナイフが刺さったショックによる心臓麻痺なども考えられます。同様に、もう一つの可能性も導き出すことができるのです」
窓の向こう、外から三蔵の声が聞こえた。「はい。そうです。ここに僕達は泊まっていました」聞きなれない話し声。数人はいる気配が伝わってきた。
一彰に残された時間は少なかった。
「そうです。突如として襲ってきた衝撃に、彼女はその能力を反射的に発揮したのです。すなわち」
彼はようやくたどり着いた結論を口にした。
「彼女の時間はいま止まっているのです」
階下で玄関が開く音がする。彼は手の中のカメラを見た。
「そして、このカメラです。謎の老人から入手したという怪しげな品物。彼女がそもそも能力を頻繁に発揮するようになったきっかけを作ったのがこのカメラです。だから、僕は思いました。つまり、いま彼女の時間は止まっていますが、それをもう一度進めることができるのではないかと」
このまま発見されたのでは、香苗は死んでいると思われてしまうだろう。その前になんとかしなければならなかったのだ。ナイフが刺さっており、なおかつ生きている。そういう状態なら急いで治療を受けることができるはずだ。
「彼女を驚かせ、不安定な状態にしたのはフラッシュです。光です。もう一度同じ刺激を与えれば、あるいは彼女の時間を……」
カメラを構える。ファインダーの中に横たわる香苗の姿。見開いたままの目。蝉の声に覆われたこの島の夏。
タイトルは『祈り』。
ドアの向こうで永津子の声がした「一彰君、ここにいるの?」
「時間を戻すことができるのではないかという結論に達しました。以上、証明終わり」
探偵の長い呪文は終わった。
彼はシャッターを押した。
小さな視界の中に白い光が広がる。
一瞬、何もかも見えなくなった。

持っていた時計の針が、耳元で音を立てて動き出す。

勢いよく扉が開いた。

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