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各無線従事者免許試験の思い出

こんにちは徒然です、通信士のわたしがいろいろと無線のこと、仕事のことをnoteに書いています。今回は各無線従事者試験を受けたときの感想と思い出を書いていきたいと思います。(今回はわたし個人のくだらない思い出話です)(画像は全ての試験が終わった時のわたしです、イメージ図)

わたしは高校を卒業後、特に何をするわけでもなく大学にも進学せずバイトなんかをしながらダラダラとつつがなく過ごしておりましたが、ちょっとした都合で船の見学に行かせてもらい、船長に『明日も来なさい』と言われ次の日は船に乗せられ仕事の見学をさせてもらいました(これは色々と違反です、わたしも船長も)。その日会社に連れて行かれ社長を紹介され、ご飯を食べさせてもらい(焼肉!!)、そして『よかったらたまにでいいからうちで働きなさい』と言われ非常勤として入社しました笑。当時母親は大激怒していましたが、父親は(こそっと)かっこいいじゃないか、と言ってくれたのを覚えています。

仕事は最初のうちは月10−15日ほど、日帰りの仕事の日に呼ばれて…という感じでしたが予定が立てづらかったので他には1日のイベントスタッフをやったりまあまあそれなりに生活は楽しんでいました。まあただ、(はっきり言って)よくもこんなわけのわからない役にも立たないのを船に乗せてくれたと思います、船の親方や社長、女子の先輩などお世話になった方は数え切れません。

で、資格ですが、当時の船は一応VHFがあったものの親方の素晴らしい指導により呼ばれても無視していました(当時は無資格だから操作はできないけど。まあちっちゃな平水船だったから無視してもセーフ扱いで)。一年ほど働いた後、VHFから管制に関するやりとりを聴きました。(わたしもああやって管制の仕事してみたいな)となんとなく思い、拙いものでしたが調べた結果まずは3海通を取ろう、という運びになりました(当時19歳冬)。この始まりは単なる思いつきです、でも管制の仕事やりたいなんて周りには言えず1人ひっそりと勉強を始めました。過去問と法規の教科書を本屋さんで注文し、いざ問題を見るものの全く意味が分からなくて涙も出なかったことをはっきりと覚えています。あの時の自分は何者にもなれそうもない孤独感虚無感は半端なく辛かったですね(いやほんとに、絶対に戻りたくないです)。
ただそこで問題集を閉じずに勉強は続けました、とにかく合格するんだこれを取らないと話にならないぞわたしは大学には行かなかったのだからこれくらいの勉強するのは当たり前だ、と必死にとにかく勉強をしました。勉強の方法については皆さん頭の理解もそれぞれでしょうし自分のいいと思うやり方でやったらいいと思いますが、わたし自身は全ての無線の資格で圧倒的勉強量を確保したことが結果になったと思っています…とにかく勉強の量、何も知らなかったのでそうするしかなかったのですね、最後の方の資格は多少知恵がついてこのペースならいけるな…くらいには読んでいけましたが、最初はもうひたすら何度の過去問過去問、法規は教科書、英語は実は何もやってませんが(過去問解いたくらい)1月から勉強して3月の試験まで毎日毎日やりました。3海通にそこまで?と思われる方もいるかもしれませんが、わたしにとっては一番最初に強烈に目指した資格なので加減がわからない&絶対に合格したい💮という理由からとにかく勉強量で自信をつけました。実はこの時点で3月の3海通の後は7月の2陸技、と決めていたので(こんなところでは落ちれない!)とモチベーションを高く保とうとしていたのだと思います。

両親にだけは船の資格の勉強を始めると伝えていましたが、勉強をやりだして2週間ほど経った時にあまりにも勉強が嫌すぎて父親に『もう勉強したくない…』とポロっと言いました。しかし、じゃあ明日図書館行かないんだ?と言われ、『…行く』と返事をし、そこで本当にやるしかないんだ、としみじみ決心できました。あの父の不思議な思いやり?は何故効果的だったのかはよくわかりませんが、『来る日も来る日もやるしかないよ…自分で決めたんでしょう?』そんな感じで思ったのでしょうね。振り返れば懐かしくも、あほらしくも、何も知らないのによく頑張ったなと思います。

そして3月の3海通を合格します、事前の情報が少なくて不安と意外だったのが通信術のPCのタイピング(直接印刷電信)です。古いPCの型のデスクトップでノートPCで練習していたわたしにはキーボードの押しが深く、ちょっと嫌でしたね。わたしの前の前にいた女の人は何故か途中から泣き出し、わたしもとんでもなく怖くなりました。覚えているのは、『ちょっと練習していいよ』と言われ適当にABCDE…と打ちました。で、PC内に表示された英文を順番に打っていけば良い、違った文字を入力するとプッと音が鳴ると言われたような気がします(どこまで入力したかはカーソルがついてくるんだったかな?もう覚えてない)。わかったようなわからないような状態で『はいじゃあエンター押したらスタートね』と言われ、入力を始めたもののうまくいかない…あれ、あれ、やばい…と。
『いやだからエンター押さないと始まらないから』と呆れたように言われたのは覚えています。この時点で(ああこいつもダメだな)と思われたんでしょうね、その後の入力は特にミスなく終わり『できました』と言った時に、え?できたの⁈と言われ(笑)その後送話をする前に送話の係員の方から『合格目前だね』と言われました。嬉しかったですね〜、終わった後は合格できたかな、という感じでこの辺りもまだ初々しいです。(最後の方は試験後も『…別に。過去問ばっかり』みたいなスカした感じ)

3海通の後、すぐに2陸技の勉強。工学の基礎、Bを重点的に、疲れたら法規で休憩。最初はこんなプランでした。Bから始め、あらかた解けるようなったら今度は基礎。教科書を読みながら理解を深め対応の過去問を解く、わたしはこんな感じでした。いきなり過去問を解くより教科書を読んだ方がいいなとなんとなく思っただけですが、この後の1陸技も同じ教科書を使うので多少意味はあったかなと思います。当たり前ですが、2陸技はかなり勉強しました。おそらく一番勉強したのは2陸技です。船の仕事ある日は仕事、帰宅後勉強。ない日は一日中勉強。とても今は無理です、(30分ある、法規の問題集解こう。寝る前に公式を忘れてないか確認しよう)などいい言い方すれば燃えてましたけど、狂ってましたね笑
Bはいける、基礎も大丈夫な気がする、Aは今回はごめんなさい、こんな感じで当日です。2日目のAMがAだった気がします、ほとんどAの問題を見たことがなかったのですが、試験前に一応(ふ〜んこんな問題でるんだ)程度でしたが、これが思ったより解ける。(うんこれはわかる)、(これは多分こうすれば…)、(これは全然わからない、でもマークシートだから)→思ったよりAができた、Bと基礎は合格の自信あったので良かった、Aもいい感じ。後日の回答がHPにアップされるとAも取れてるっぽい!(法規についてはそもそも誰も落ちない、あんなもの落ちるようでは最初から話にならないとすら思っていた)となり、見事2陸技も一発合格、これは嬉しかったですね。ここでやっとなんとか無線の仕事に就けるかもしれない…と本格的に通信士を意識しました。2陸技を取っていれば3海通を2海通に全科目免除の申請ができるので、これで2陸技+2海通。

で、次は9月の1海通。2陸技持ちはAとBのみ、しかしAを甘くみていたのかここでAだけ落とします。しかしこのあたりから強烈なモチベーションはなくなり(落ちた…あっそう。はい次ね。)と淡々としたものでした。海技士の4級航海の勉強のため次は3月の1海通、Aのみ。合格すると思っているのであまり覚えていません。海通の試験もこれで3度目なので、試験会場の試験管、開始前の注意事項の確認を喋る人が(あ~またあの人だな~…)などと思ってました。1海通取得。
7月、1陸技。わたしの感覚では2陸技の問題にもう一手間入っている、計算問題が2段階になっているという感じで0から始めた2陸技よりも苦労はしませんでした。特に計算問題、問題によって使う公式をきちんと覚えて当てはめるだけなので実は計算問題の方が楽です。1陸技の試験間際は解けない過去問などないし、この問題はもうやる必要ないなという問題も多く、問題集の基礎、A、Bを1日で全て解いて復習するくらいでした。当然1陸技も合格。どの科目も開始後まずは全ての問題に目を通し、(よし合格できる。)と思って解いたくらいでした。(今解くのは絶対無理)
そして試験後、家に帰ってやったことは全ての問題集と参考書、ノートを捨てることでした。理由はもう見たくなかったからです。すっきりしました〜
で、いよいよ総通になります。1陸技があるので工学系は全て免除、受験科目は法規、地理、英語、そしてモールスを含む通信術です。3月から勉強の合間にモールス符号を覚えていったものの、合格のラインに行くには流石に1人では無理でした、(とはいっても各モールス符号くらいは1人で覚えて、モールスアプリを使って聞き取りくらいはやる)。今までの経験上、未知の分野について取り組む時どういった気持ちで取り組めばいいのかはわかっていました。それはつまり『朝起きてから、夜寝るまでひたすらやれ。一切言い訳するな』ということです。大体ひと月です、そうすればある日突然できるようになります。これまでのどの無線の資格もそうてした、みんなそうなる前に辞めるんですね。わたしのような暇人ばかりではないでしょうから、大変かもしれませんが『泣いててもいいから、やれ』です。ひと月ほど聞いて、叩いてをやっているとなんとな〜くうまくなっていきます。そこからは早いです、モールスの聞き取り速度、モールスを叩く速度は上がります。わたしは英語辞典のある例文が30行乗ってるページを毎日打ちました、段々とスピードが上がりますね。最初は30分かかっていたのが最後は5分で打ちました。和文は新聞のある部分を適当に見繕い、打っていました。この頃は、会社の事務所もやるようになり、社内の外航の局長経験者の方にモールスを打ってもらい聞き取り、わたしのモールスの聞き取りをしてもらい、額表を教えてもらい、、、モールスの試験についてはなかなか1人では、厳しかったと思います。わたしは周りに教えてくれる人がいて幸運でした。

というわけで、3月の1総通試験。今思えば1海通あるならとりあえずは2総通でも良かったかもしれません。法規は大丈夫、英語と地理は一回で合格できなくてもいい、通信術は合格したい。こんな感じです。モールスの受話はひとつ取れなくて焦ってそのあと全部死ぬ、というのが怖かったです。終わった後は多分いけたかな、という感じです。1陸技、1総通は実はあんまり思い出がなくその時はできたけど~…という感じで、今は1陸技の問題見ても目眩がしますし、モールスはどれくらい覚えているんだろう?機会と機械がないのでわかりません。(なんとなく、和文より欧文の方が覚えてるけど…🙂)

全部で2年と少し。随分と前のことに感じます、資格試験は仕事を進めていく能力とは別ですが、自分で決めた目標を達成したことは自信に繋がっていると感じます。試験対策やポイントなどてはないので何の為にもなりませんが、こうして書く綴って(書き殴って?)いくとまた新しいことが浮かんで来るような気がします。

『取れてよかった…』、感想はこれしかありません。通信士の仕事は船によって全く違うでしょう、1級が良かったと思ったこともありません。実際の仕事の対応は資格試験とは全く別問題です。ただ、わたし個人として思うのは『やる気があるうちに1級まで取った方がいいですよ』です。

というわけでなんの役にも立たない思い出話でしたが、これから海通総通を目指す方合格できることを陰ながら応援しております🙂

TKS BIBI OUT



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